「馬の目は・・・ - 佐野洋子」朝日文庫 あれも嫌いこれも好き から

 

「馬の目は・・・ - 佐野洋子朝日文庫 あれも嫌いこれも好き から

 

○子さま
理由はないのですが、秘密があります。とても恥ずかしいことです。。恥ずかしがらない人も居るかもしれませんが、私は恥ずかしい。
乗馬クラブに行って馬に乗ったのです。私は田んぼで畑をたがやすのに馬をオレオレなどといって追い回すのは恥ずかしくない。しかし、ビロードの帽子をかぶり、乗馬ズボンに長革靴をはいて、長いスラリとした脚の馬に乗るのは恥ずかしい。自分の生まれを裏切ったようで、インチキして別の階級にもぐり込んだような気がするのです。しかし民主主義は、全てのことが、わずかな金で、みんな手に入るのです。
それが恥ずかしい。いつかオートバイに乗った時と同じように、まだ馬によじのぼる前に、私は身なりからせめていきました。勿論、黒いビロードの帽子、コール天に皮のひざあてがあるズボン、テカテカの長靴、全てオーダーでした。赤いラシャの上着も欲しかったのですが、あれはレース用で、練習用ではないそうで、私は恥をかきました。
初めて馬によじのぼる時、すでに私は後悔致しました。馬は見た目より、ものすごく背か高い。
あぶみに足がまずとどかない。しがみついて、お兄さんにしりを押してもらい、馬にまたがる時、股がさけるかと思いました。
三十年前なら、あの馬の背中よりも高いベランダをひらりととびこえ、我が家に侵入したことが何度もあります。鍵をなくした時、今、私はもう我が家に泥棒に入ることも不可能とわかりました。馬場は絶景の中にあります。銀色に輝く浅間山、その周りグルりと上州の山並みが雪をいただいて素晴らしい。
私はたづなをにぎりしめ、周りの景色を見まわす余裕など一ミリもない。こぶこぶに泥がこびりついたたてがみと、その下の口から白いつばきをブクブク出している馬の口が見えるだけです。その口はしじゅうチューインガムがのびるようにゆがむ。
義経が馬にのって、一の谷をかけ降りたかと思うと、スーパーマンが空とぶよりすごいと思い、カウボーイが馬にのりながらピストルをぶっぱなすなんて、どんな脳タリンでもでもノーベル賞をあげたい。二度三度通うううちに馬は私をなめ始めました。すぐ止まって、糞をひり出し、そのあと五メートル嫌々ながら歩くと、立ち止まり滝のような小便をする。
その間私の股はさけかかっている。馬ってのってみるとものすごく幅広でした。そして、馬の上で、今馬にのれたからって何なんだ、戦争に行くわけでもなく買い物に行けるわけでもない、今からジョッキーになれるわけでもない。貴族の男をたぶらかす若さも美貌もない。それでもこれだけもとをかけたんだ、長靴の先の分くらい上達したいもんだとケチな了見もある。
私が行っている乗馬クラブの馬は全部去勢してあるそうです。去勢しないと、一頭でもメスが混入すると、オスは狂喜乱舞してメチャクチャになるそうで、まるで人間みたい。人間も去勢すれば、人類のトラブルのほとんどが解決するんじゃないでしょうか。
そして群れになるとかならずボスが居る。そして馬の集団はボスと同じ性格になるそうです。だからいいボスをさがすのが大変なんだって。いいボスは何かあっても驚かず、度胸があり、とりわけて好奇心が旺盛であること、居るだけでおのずと外の馬が従うそうです。最低の馬はやたら驚く馬だそうです。
風が吹いても支離滅裂になり興奮して、あられもなく騒ぐ馬が居ると、集団がメチャクチャになると、私の優しいインストラクターのお兄ちゃんが教えてくれました。人間でもそういう奴いるじゃん。本当に迷惑だと目のさめる思いを致し、しかし自分のことかとも思う。
しかし、馬は何と清らかに澄んだ目をしていることでしょう。生まれた時から、馬であることの宿命を受け入れ、限りなく静かな哀しげな目をしている。馬のような深い哀しみをたたえた人間の目を見たことない。私は馬の目を人間であることが恥ずかしくなります。あんまり上達しないので、このごろ休んでいる根性なしの私です。