「ネコはどうしてわがままか - 日高敏隆」新潮文庫 ネコはどうしてわがままか から

 

「ネコはどうしてわがままか - 日高敏隆新潮文庫 ネコはどうしてわがままか から

 

ライオン、トラ、そして、ネコなど、世界にネコ族のけものはたくさんいるが、共通しているのは単独性の動物だということである。ネコ族で群れをつくるのはライオンぐらいしかいない。ネコ、つまりイエネコも、本来、単独性の動物である。このことがネコのネコらしさ、ネコとイヌとのちがいを生むいちばんの根源になっている。
よく知られているとおり、イヌは集団、つまりパックをつくって生活し狩りをするパック・ハンターである。いわゆる野犬といわれる野良犬たちが、たいてい五、六頭の群れになっているのもそのためだ。
イヌと飼い主との関係もこのことと関係がある。イヌは飼い主を自分の群れのリーダーだと思っている。だからイヌは、飼い主に忠実に従う。
ところが、ネコは一匹で単独に暮らしたがっている。リーダーなんていうものはいない。だから、ネコは飼い主のいうことを聞こうとしない。
イヌは飼い主が「こっちへおいで」と呼べば、たいていはちゃんとやってくるが、ネコはそんなことはない。いくら「おいで、おいで」といっても、ちょっとこっちを見るくらいが関の山で、さっぱり寄ってこようとはしない。
ぼくの家に五匹も六匹もネコがいたころ、春や秋の日曜日の昼には、庭の奥でバーベキューをすることがよくあった。するとまもなくネコたちはみんな家の中から出てきて、ぼくらのいる庭の隅にやってくる。けれどイヌのようにぼくらの足もとに寄ってくるわけではない。近くの物置の上や塀の上に、てんでにすわりこんだり、寝そべって、ぼくらのほうを見ている。そして、とても満足そうな顔をしているのだ。
彼らは人間といっしょにというか、人間の近くにいたいのである。だからぼくらが留守中のネコの世話を近所の知り合いに頼んで二日ばかり旅行に出かけようとしていると、非常に不安そうな様子になる。ぼくらの気配で何か察知しているとしか思えないのである。
本来は単独生活をしているネコたちで親密なのは、親子関係だけである。親子といっても、父親との関係はまったくない。父親はメスに種[たね]つけをしただけで、そのあとメスはオスを追い払う。子どもは自分の父親を知らない。子どもか知っているのは、授乳して世話をし、保護してくれる母親だけである。子ネコは母親にべったりだし、母親も子ネコの鳴き声(泣き声といったほうがより当たっている)がしたら、何をおいても跳んでくる。
ネコと飼い主の関係は、この親子関係である。といっても人間とネコはじつの親子ではありえないから、その関係は「疑似親子」関係になる。大人のネコが飼い主の人間に寄り添って、人間に撫[な]でられながら、ほとんど幸せそうにごろごろいっているのは、この疑似親子関係としか思えない。
実のネコの親子のあいだでも、子ネコが鳴けば(泣けば)母親は跳んでくるけれども、母親が鳴いて子どもを呼んだからといって、子ネコは親のところへ跳んでいくわけではない。
餌が欲しくてネコが鳴けば、飼い主は急いで餌をやる。ネコにしてみれば、飼い主はまさに親ネコなのだ。けれど飼い主がネコにおいでといったからといって、ネコが飼い主のいうことに従って近寄っていく理由はない。自分がいきたいときに、いけばいいだけである。
ネコたちの「わがまま」は、これで理解できそうだ。