「コンパクトなものが好き - 赤瀬川原平」随想二〇一一 から

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「コンパクトなものが好き - 赤瀬川原平」随想二〇一一 から

カメラでも車でも、コンパクトなものが好きだ。昔のイギリス車のミニクーパーなんて、見ているだけでも楽しそうで、欲しくなる。
コンパクト願望のいちばんわかりやすい例だ。でもミニクーパーは製造中止となり、もう買えないと思うと寂しかった。こちらには買うだけの余裕もなく、第一運転免許も持っていないのに、それでももう買えないという寂しさはある。
でもしばらくすると、ドイツのBMWがそのブランドを取得して、通称BMミニが売り出された。イギリス時代より少し大きくなったが、でもやはりきっちりコンパクトだ、イギリスとはまた違うドイツ味のミニで、ぼくはそれを買うことに決めた。
とはいえやはり運転免許はないし、ガレージもないし、金だって目の前にはない。でも気持の中で勇気を出して買って、乗り回した。気持の中だけとはいえ、非常な贅沢である。贅沢というのは憧れるけど、何か落着かない。
ぼくの買ったのは銀色タイプだ。コンパクトで銀色だとよけいにフィギュアのミニカーの感じがあって、嬉しい。恰好[かつこ]いい。でも恰好いいというのも、これはなかなか落着かないものだ。
ファッションもそうだが、恰好のいいものは何かしら疲れる。恰好いいものを着ると、自分の振舞いまで恰好よくしないといけないようで、どうもそれが負担だ。
銀色の車のミニもそうで、もちろん恰好いいけど、その乗り降りから表情まで、やはり恰好よくあることをその車に望まれてしまって、それがわずらわしい。
ベンツを買うときにもそう思った。もちろん気持の中での買物だが、ベンツに乗ったら、やはりこちらもベンツらしく振舞わなければならず、それが重い。ベンツは名車であることは知っているけど、そのステータスが負担になって、これはやはり買いかけてやめた。名車というのは難しい。
アメリカ車のことをアメ車というが、これはコンパクトの反対、その代表だ。とくに昔のアメ車は無駄な大きさ、無駄な長さ、無駄な凸起[とつき]がこれ見よがしにあって、あえてそれを乗り回す、その「あえて」の快感はわかる。ある意味、痛快でもある。でもやはり自分では、気持の中のことでも、アメ車は無理だ。

カメラもできるだけコンパクトなものが欲しい。カメラなら小さいし、ガレージもいらないから、気持だけでなく現実に衝動買いをしたりもするが、なかなか思い通りの物がない。コンパクトカメラはたくさんあるけど、小さいのでこれというのが見つからない。小さいカメラは婦人向け、素人的な大衆向けと決めてかかるところがメーカーにはあるようで、小さくてしかも程度の高い物、というのが出てこないのだ。
でも考えてみて、コンパクト願望というのは、高齢化のせいもあるのだろうか。ぼくのはもともと無駄が嫌いのコンパクト願望だけど、たしかに年をとると、ことさら無駄に大きい物は持ち歩けなくなる。贅肉をできるだけそぎ落して欲しいと、カメラを見つめる。
家がいい例だ。若いうちは欲張って、できるだけ大きな家を建てたりする。でも年をとると、もう欲張れなくなり、家の贅肉を削りたくなる。はじめは子供が生れて、勉強部屋があったりするが、成長して家を出ると、後はがらんとする。そうじゃなくても、もう余分な見栄はたくさん、実質だけで充分、となる。久し振りに会った同級生が、もう小さい家がいいよ、とつくづく呟いていた。
そうやって実利的なコンパクト願望もあるのだけど、中には実利を超えたものもあって、それが年を取ると堂々と出てくる。自分の言動を見ていて、それをつくづく感じたりする。
ぼくは家庭内のゴミ出し係だ。この係は男性が受持つことが多い。女性は朝の寝ぼけ顔で外に出るのを嫌がる。なるほど、それは一理ある。男はねぼけ目で髪の毛が立っていても大したことはない。というのでこの役割分担となるのだろうが、男がやるとなると、そのゴミ袋をできるだけコンパクトにまとめたい。
いちばん困るのは、お惣菜などを買ったときの、あのべかべかの透明プラスチック容器だ。そのまま捨てたんではすごく嵩張[かさば]る。だから鋏で切ってコンパクト化する。基本は四角い箱だから、その稜線に沿って切るとぺたんと平面化され、驚くほど嵩が減る。
ところが相手もさるもの、あれは店頭での展示効果など考えて、ただの四角ではなくいろいろ複雑な立体にしてあるから、切るのが難しい。簡単に切ったのではまだけっこうでこぼこしていて、コンパクト化が完璧ではない。だから焦らずその立体の複雑な稜線通りに切ると、えらく時間がかかる。そんなのは凝らずに仕事に励んだ方がよほど経済的だぞ、という声もあるが、これはもう経済を超えているのだ。
缶ビールの空缶も問題だ。あれはアルミだから、手で二回折ればとりあえずはひしゃげる。でも手だけではどうしても完璧なコンパクト化はできない!話では、鉄製の足踏み式道具で、ほぼ完全にひしゃげるものがあるというが、いまはとりあえず手作業だから、どうしても潰せない部分が残る。それがどうしても不満要素として気持の隅に引掛かっている。コンパクト化はなかなか完逐できない。