「甲武線 - 島崎藤村」河出文庫 むかしの汽車旅 から

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「甲武線 - 島崎藤村河出文庫 むかしの汽車旅 から

甲武線に添うて市内にある小停車場は、建物としては簡便を主にしたようなものだが、位置に変化があって、通り過ぎるたびに飽きないここちがする。飯田町の停車場から改札口を出て石段を上ろうとするところに、迫った土手の側面図と、そこに高く低く植えてあるつつじの木とは、いつも目につく。寒い日の午後に、わずかしか見えない乗客に混じりながら、あの土手のつつじの葉に薄い光のさしたのを見て、それから列車の待っているところへ出るのはちょっと他の線にないここちだ。堀の向こうの草土手がだんだん高く見えてきて、四谷から先の町の建物をその上に望むのもおもしろい。
私が大久保に住むころはよく、電車で飯田町から新宿の間を往復したが、用たしを済まして、家の方へ帰って行くと、夕方の町々につく灯[ひ]がチラチラ電車の窓から見えて、そのたびに、いかにも郊外のほうへ行く気がした。
中野から先を汽車で通るたびにそう思うが、のんびりとした地勢に耕地と耕地の続いたぐあいは見たばかりでもここちがよい。土の色の感じも柔らかい。山の上の麦畑なぞは深い雪にうずもれていろころに、ここには残雪のかたまりすらなく、麦の芽の豊かに延びて青々としたのを見るも楽しい。信州あたりの耕地に思い比べると、まるで庭園のような気がする。野に出て麦の根を踏んでいる人たちまで農夫とは思えない。園丁だ。春先降る雨の暖かさも思いやられる。信州にいるころ、たまにあの山の上から降りて来て見ると、
「ああ柔らかい雨が降るなあ。」
私はそう思い思いしては寒い国のほうへ引っ返して行った。
こういう楽しい土地を耕やす人たちのことを考えると、山の上なぞで骨の折れる百姓の生活を見慣れた私には、ひとの事ながらうらやましく思われた。それから私は信州を去り、ようやく開け始めたころの郊外に移り住むようになって、付近の百姓に接してみた。一年ばかりもそういう人たちの中にいるうちに、かつて自分が山の上で想像したとはよほど様子の違っていることがわかってきた。
もっとも私は大久保へんのことしか知らないから、一概に東京の近郊がみなそうだとも思わないが、私の接してみた人たちで言ってみると、純粋に独立した農夫というよりもむしろ都会に向かって野菜を供給する人たち - いわば野菜作りというほうに近いことがわかってきた。
このことを中野に住む蒲原[かんばら]君に話したら蒲原君もやはりそんなようなことを言っていた。中野へんの人たちでも百姓としてのおもしろみは薄いという話だった。
とにかく、近郊の農家の生活が色彩で言えば淡い単調なものであることは争えない事実のようだ。一例を言えば、信州あたりの農家では同じ米の粉でもそれをいろいろに製することを知っている。米の粉を煎[い]ってみじん粉というものに造って幼児を養うことなぞをよくやる。大久保へんに来て見ると、私はほとんどそういうふうに農家の女たちが心をつかう場合に出会わなかった。
野菜や雑草の性質をそらんじているという点から言っても山国の百姓ははるかにすぐれて見える。これにはさまざまな関係があろう。一方に大きな都会を控えて万事よりかかることのできる近郊の農夫は、それだけ物をつかむ力を弱められている。

 

八王子というところはなんとなく伊勢崎、桐生などに共通した感じがあって、織物の市が立ち、町々に梭[ひ]の音の聞えるのもおもしろい。角喜[かどき]という地方の宿屋としてはここちよい家がある。静かで清潔だ。一体に女が幅をきかしているような土地では、宿屋商売をさしても上手かしら。
郡内といえば昔の甲州街道を歩いて通った旅人にはずいぶん山道で悩まされたものだという。八王子の町には雪を見ない日でも、汽車であの山あいにかかると、もう降り積もった雪の中だ。あの相模灘に面して暖かいみかん畑のある相模の国の一角が同じ雪の汽車道に接しているとは、ちょっと想像しにくい。

甲州へはいると駅の名の発音からして特色がある。
汽車が山あいの暗いトンネルを抜けて行って、それからにわかに甲州の谷の深く広く開けたところに出ると、旅客はいずれもホッとする。夏の空気と光とを通してあの大きな谷間を望むと、雪のある日に望むとは、また別の趣がある。甲州では塩を他国に仰ぐばかりで、その他の物はほとんど自国で供給する、それほど勤勉な土地だ、とある人が私に話した。あの停車場で肥料のような物をしょった人たちが雪の積もった道をセッセと歩いて通るのを見かけた。各所に散在する町、村落、その他一望のうちに収められる。ところどころにきわだって城郭のような構えの邸宅のあるのも目につく。汽車の窓からながめたばかりでも、なんとなく競争の激しい、油断なく立ち働く人たちの住む谷間のように見える。甲州の谷は、たとえば両国の国技館の中をうんと大きくして、天井だけ取り去ったようなものだ。あそこにだれが大きな養蚕の室を建てて、ここにだれがぶどうを栽培しているかは、隠すところなく見渡される。

釜無川は実に荒い川だ。怒って流れているような川だ。私は一度、信州境の野辺山が原から八つが岳の傾斜に添うて甲府のほうへ降りたことがある。あの時、高原の間を流れる釜無川の上流を見たが、ずっと川上からして川原[かわら]の様子が違う。あの川原の石が物を言っていた。平素はかようにひからびたようでも、これで一度水が出てごらん、どうしてただは置かないからと。
あの時は甲府から諏訪の間を歩いて通ってみた。韮崎から先にはまだ汽車のないころだった。秋のことで、釜無川の広い川原には、ところどころの砂石の中に柳の木がポツンポツンと立っていて、その風に吹かれる木の葉のさまがよけいに定まりない、荒い川岸の感じを与えた。
甲州から信濃路へはいって上諏訪の湖水へ出るあたりは、私の好きな眺望のあるところだ。雪につつまれた風景を汽車から見ればそれほどにもないが、以前歩いて通った時は実によかった。うっそうとした樹木の間から見た秋の湖水は今だに忘れられない。
汽車で雪の深い諏訪へはいると、なんとなく信州らしい感じのすることは汽車に乗ったり降りたりする人たちでそう思う。白い毛皮の耳袋をつけた隠居が湖水のスケートの話をして、まるでからすが飛んでいるぐらいにしか見えないなぞと言うのを聞いても寒い国の話だと思う。しかし何よりもまず心を引くものは、列車の中で見る信州人の皮膚だ。女や子供のあからんだほおの色ばかりとはいわない。なんとなく信州人の皮膚には一種の感じがある。私は以前からそう思っていたが、今になって注意して見るとよけいにそれを確かめられるような気がする。