「喘息との奇妙な対話 - 吉行淳之介」日本の名随筆28病 から

「喘息との奇妙な対話 - 吉行淳之介」日本の名随筆28病 から

肺切除の手術をしてから、もう十三年経つ。結核とは縁が切れた。と考えてよいようだ。この病気は安静が第一で、動かなければ動かないほどよろしい。そういう癖がついているせいか、現在でも私の唯一の健康法というのは、すぐ横になることである。書斎が寝室兼用になっていて、ベッドが傍らにある。そういう按配だから、健康法にゴルフをすすめられたとしても、とてもそれが健康につながるとはおもえない。過労になって、病気になるとしかおもえないのである。 
だいたい、今年はすこぶる健康の具合がよろしくない。ゼンソクと皮膚炎が、交互にやってくる。どうもこの二つの症状は裏おもての関係にあるらしく、一つがおさまるともう一つが現われる。この二つの症状とは長年のつき合いなねだが、それにしても、うっとおしくて閉口している。
たしか徳川夢声氏の随筆だったとおもうが飼犬が頑固な皮膚病にかかって、どうしても治らない。その犬が死んだ。と、みるみるうちに、その皮膚の症状が消えて、きれいな体になった、という。ずいぶん昔に読んだものだが、印象に残っている。結局、ゼンソクとか皮膚炎(それもバイキンによるものでないもの)は、体質に深くからまっているもので体質が変わらなければ治らない。ところが、体質というものは、なかなか変わるものではない。死んで、モノになってしまい、体質などというものと無関係になったとき、はじめてそういう症状と縁が切れるというものなのだろう。
となると、一生その症状とつき合ってゆかなくてはならぬ覚悟が必要なようである。ただ、ゼンソクというのは奇怪な症状であって、一瞬の間にその症状から縁が切れたという例があるので、最初はその覚悟がつきにくい。たとえば、電気蓄音機をいじくっていて、感電して気絶した。意識が戻ってきたときには、ゼンソクと縁が切れていた、などという話がある。
しかし、そういう幸運は、私のところにはやってこなかった。今後も、やってこないと考えてよさそうだ。
となると、その症状を手なづけて、飼い馴らすしかない。凶暴なやつの頭を撫でてなるべくおとなしくさせることを考えるわけである。そして、たしかに、二十年前にくらべると、私のゼンソクは温和になっている。



それは、突然やってくる。私の場合、強い睡気がまず最初にある。背中をまるくして、まるくなった躯の外皮がカブト虫の皮のように堅く、外界を遮断している感じになり、ただ睡気だけがそこにある。数時間重い眠りがつづくと、不意に呼吸困難の発作が起こってくる。
こうなると、もう歩くこともできない。その頃の私は、薬の力にたよらず、自然の治癒を待つのが躯のためによい、と考えていた。そこで、嵐を真正面から受けることになる。嵐の中にじっとうずくまって、それが去るのを待つほかはない。それが二十時間つづくか、三十時間つづくか分らない。その間は、横になることもできず、上半身を布団の上に起こして、文字どおりうずくまっているしかない。

今は、そういう烈しい発作に襲われることはなくなった。その理由は、一つにはこれまでいろいろ試みた治療法のどれかが効果があって、ゼンソクそのものが軽くなったためであろうし、もう一つはゼンソクが馴染みになり、いくぶん手なづけることができたためだろう。以前は、暗闇からいきなり襲いかかってくるえたいの知れぬものだったが、いくぶんその正体が分ってきた、ということになる。
ゼンソクの場合、自然治癒に頼るのは、かえって躯にわるく、上手に薬を使って、ゼンソクが波の上に立上がる大入道の海坊主になる前に、小坊主ぐらいにとどめることが賢明なのだ。しかし、その薬の使い方というのは、なかなかむずかしい。
思い返せば、ずいぶんいろいろな治療を受けた。昭和二十二年に、京大病院に入院して、頸の両側を切開し、頸動脈球を除去する手術を受けた。
この手術は、いまはおこなわれていなあ。何年か経つうちに、効果がないことが、はっきりしたのである。先日、ある医師に会ったとき、彼は私の頸の傷を見て、
「頸線切開をやったのですか。あれは駄目でしたね。私も、患者を一人殺しました」
と、あっさり言った。
これが、新しい治療法というものの恐ろしいところで、運が悪いとモルモットになってしまう。
上?部の表皮を麻雀牌くらいの大きさに剥ぎ取って、それを一昼夜冷蔵庫に入れておく。その皮をもう一度元のところへ貼りつける。......これは、スターリン賞を取ったソビエトの新療法で、私も試みたが効果はなかった。
血管から血を採り、一昼夜冷蔵したその血を、筋肉に注射するという療法を受けた。
私が効いたとおもう療法は、金コロイドを注射する方法である。ゾルガナール療法といい、インシュリンを併用する。
ところで、客観的な立場に立ってみれば、ゼンソクというのはじつに奇怪な症状である。発作を起こす原因は千差万別で、興味深いものがある。ノイローゼ性ゼンソクでは、発作のことを考えているうちに本物の発作が起こってくるものもある。特定の音楽を聞くと、起こるものもある。たとえば、シューマンのピアノコンチェルトがいけない、といった按配である。あるいは、母親のシュミーズのにおいを嗅ぐと発作が起こる、というのもある。おそらく、そういうものが悪い記憶につながるのだろう。
私のものは、もっと単純なものらしいがともかく、ゼンソクを面白いと思えるようになったなら、それだけ飼い馴らした、ということになるわけである。