「潜在意識のかそけき声 - 夏樹静子」00年版ベスト・エッセイ集 から

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「潜在意識のかそけき声 - 夏樹静子」00年版ベスト・エッセイ集 から

坐れない、立てない

三年間の私の奇妙な闘病体験については『椅子がこわい』という本に書いたり、いろいろな機会に話しているので、重なる部分があるかもしれない。でも全然ご存知ない方もあるわけなので、やはりまず簡単ないきさつを記させていただくことにする。
九三年一月のある朝、私はいつものように書斎に入り、デスクの前に掛けて、原稿の続きを書き始めようとした。ところが、なぜか椅子に掛けていられない。腰が力を失くして上半身を支えられなくなったみたいな、なんとも頼りない感じで、何度掛け直してみても十分とは持続できない。私は突然、「椅子に掛けられない人間」になってしまったのだ。これがすべての始まりだった。
そのうち、立っていることもつらくなり、腰に痛みが出てきた。短時間の鈍痛から、ほとんど終日のたまらない痛みに変った。さらに、身体が大地に吸い寄せられるように異様な倦怠感に襲われるようになった。
坐れない。立っていられない。激しい腰痛と全身倦怠。この四つの主症状がひと月ほどで出揃い、鎮痛剤も全然きかない。私にできることは、比較的症状がらくな時にしばらく歩いたり、プールで泳ぐ。ほかはただジッと痛みに耐えて横たわっているだけとなった。
西洋医学から東洋医学、はては手かざしやお祓いまで、治りたい一心、人に勧められたことは何でも試した。が、状態は悪化の一途で、二年目くらいからほとんど原稿も書けなくなり、三年目に入ると、もう自分は治らないという確信的な絶望感に搦めとられて、暗澹として死ぬことばかり考えていた。
発症後二年半経った九五年夏、心療内科の問診を受けた。私が整形外科や内科ですでに何回も全身的な検査を受けたことを確かめた上で、H先生は「あなたは身体にはどこも悪いところはない。すべての原因は心にあり、つまり心因性で、あなたは典型的な心身症です」と診断された。
私は頭から受けつけなかった。「心身症」という病名にも馴染みがなかった。
心身症とは、健康な社会人に、ストレスや生活様式の悪影響、各人の体質などが絡みあって、さまざまな身体症状がひき起こされたケースをいうのです。もっと簡単に、心の問題で起きる身体の病いの総称と考えていただけばいいでしょう」
それでもまるで納得できなかった理由の第一は、自分の性格。本来私は明るく楽天的だし、心因性の病気になるほど純粋でも無器用でもないと思っていた。第二はその「心因」がわからない。私の発症の約二年前からミステリー以外にも作品世界を拡げ、仕事は大変だったが意欲的に取り組んでいる充足感があった。プライベートな面でも、とくに思い当るほどの問題はなかった。だが、なんといっても最大の理由は、病状がひどすぎたことである。たかが心因で、これほど激烈な痛みや障害が発生するとは到底考えられなかった。
「いや、心因だからこそ、どんな症状でも起きるのですよ」と先生は静かにいわれたが。
半年後の九六年一月、勧めに従って入院。相変らず「心身症」など信じていなかったが、もうどこへも行き場がなかった。

 

作家・夏樹静子の葬式

入院中は主に心療内科の技法療法の一つである絶食療法を受け、その中でカウンセリングが続けられた。
- あなたは自分の中にこんなひどい症状をひき起こす心因はないと主張しているが、あなたが自分の心のすべてと思いこんでいる意識の下には、その何倍もの潜在意識がある。あなたの意識は仕事、仕事と張り切っていたかもしれないが、潜在意識はもう疲れ果てて、作家・夏樹静子を支えきれなくなっていたのです。あなたは腰が身体を支えてくれない、交差点で信号を待つ間も立っているのがつらいという。それは実にシンボリックな症状です。あなたは長い年月走り続けて、もう自分を支えきれないほど疲れているのに、わずかの間でも立ち止まっていることが心身の不安定に直結してしまうのです。
- あなたの意識は、疲れ切った潜在意識の悲鳴に気づかず、少しも耳を貸さない。その結果両者はどんどん乖離して、ついに潜在意識が病気になれば休めると考え、幻のような病気をつくり出してそこへ逃げこんだ「疾病逃避」があなたの発症のカラクリなのです。
従って、あなたが作家を続けている限り、治癒は望めない。夏樹という存在を葬るほかはない。夏樹静子の葬式を出そう。
呆然としている私に、先生は優しくいった。
「命には替えられないでしょう?」
そうだ、命には替えられない、と私は心底から思った。作家であり続けることが実際的にももう不可能になっていた。その頃になってようやく、私は「心因性」を受け容れ始めていたのだった。
そして、実に不思議なことだが、もっとも認めにくかった自分の真の姿を認めた瞬間から、治癒が始まった。
波状攻撃的に押し寄せていた痛みが少しずつ間遠になり、穏やかになっていった。十五分、二十分と、坐位が保てるようになった。
その経過を見て、先生が夏樹の「葬式」を「一年間入院」に切り替えて下さった。つまり、「作家廃業」から「一年間休筆」に救済されたわけだ。
私は夏樹を入院させたまま、主婦・出光静子として退院した。二カ月前には飛行機も車もみんな横になって来たものが、きちんとシートに掛けて、福岡の自宅へ帰った。その後一年間はひたすら主婦の意識で暮らし、無事夏樹も退院を許されて、私は仕事に復帰した。

 

心身一如ということ

丸三年間苦しみ、治癒して丸三年の春がめぐってきた。
時が経って思い返すたび、やはり実に不思議な体験であったという感を深くするが、それを通していくつか学んだことに気がつく。
自分の中には自分の知らない自分が潜んでいるのだ。この「潜在意識」というやつは、何を考えているかわかったものではない。自分の意識している心だけを本音と思ってはならない。潜在意識の声にも、注意深く耳を傾けなければいけない。それは必ずしもはっきり素直に聞こえてくるものではないが、とにかく潜在意識のか細い声に耳を貸そうとする姿勢が、自分の中にある種のゆとりをもたらしてくれるようである。
そういえば、自分の内なる声ばかりでなく、ひとさまの話にも、以前よりずっと耳を傾けるようになった。自分が心身症などになるわけないと頑強に否定し続けていたことが百パーセント誤りだったと実証されてしまったのだから。人間は知らず知らずのうちに、一人よがりな固定観念でコチコチに凝り固まってしまうものなのだ。でも世の中には、まだまだ自分の想像もつかなかったことがある。そしてその思いもかけないことが自分自身に発生する場合もあるのだと、骨の髄まで思い知らされたのである。
治療中、「心身相関」ということばを何回も聞いた。心と身体がいかに密接に関わっているか。これも観念ではわかっていた。緊張すれば口の中がカラカラになり、心配事があれば食事がおいしくない、ストレスが胃潰瘍をつくるくらいのレベルまでは異論なく認めていたつもりだったが、やっぱり心の奥底ではまさかと高をくくっていたのだろう。しかし、私は、結局「ストレス」ということばで総称される目に見えない心の現象によって、坐れないという異様な障害に苦しみ、動けないほどの腰痛に苛まれて死まで考えたのだ。
意識と潜在意識によって心がつくられ、心と身体によって人ができている。しかもそれらはみんな一つに合わさり、渾然一体、心身一如となって一箇の人間を形成しているのだった。
さらに、当の人間に危機が忍びよった時、みんなが結束して存在を保護しようとする。その生命の不思議にも、最近ようやく思いが至った。なぜなら、あの心身症に羅らなかったら、私は本当に死んでいたかもしれないのだから。
愚かな私の意識が、潜在意識の発するサインに気づかず、私がどこまでも遮二無二走り続けようとしていたら、私の心も身体ももう修復不能なまでに疲弊して、死病を招き寄せていたのではないだろうか。その直前に、生命体の本能が組織をあげてストライキを起こしたのではなかっただろうか?
あれは私にとって必要なことだったのだと、今になってしみじみ思える。
しかしながら-
治癒から三年、最近私は、今度はかなり意図的に自分に警告を発している。
そろそろ忘れかけているのではないか。あのミゼラブルな経験、天にものぼる回復の喜び、それから学びとった教訓も、何もかもがうすれかけてはいないか?
確かに人間は経験から多くを学ぶ。だが、なかなか本質的には変らないということにもまた気づき始めたのである。しかも、すぐ現状に慣れてしまう。
健康に慣れきった自分は、そろそろ忘れかけているのではないか?
危い、危い。
今日も、どこかで一度静かに立ち止まって、心の谷底から聞こえるかそけき声に耳を傾けよう-。