(巻二十八)甚平にとどめの駒を打たれけり(中澤昭一)

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(巻二十八)甚平にとどめの駒を打たれけり(中澤昭一)

3月23日火曜日

細君は午前中歯医者へ出かけた。家事はなかったが、新聞の折り込み広告でゴミ袋を作っておいてくれと言われ、折紙をして角型の升状の容器を20個ほど作った。

小売り業が好調なのだろう、新聞の折り込み広告は大判になり増えている。加えて受験塾の広告がふんだんに入ってきてゴミ袋製作の材料は豊富である。

細君は昼前に弁当を買って帰ってきた。(私は備蓄食料の調整で済ませた。)その弁当に入っていた小さな桜餅をお裾分け頂いたが、桜の香がいたしてなかなか美味しく頂いた。

立ちさうでたたぬ茶柱さくら餅(丸井巴水)

散歩:コンビニで珈琲を喫してから図書館へ歩き5冊ほど返却した。書架を巡り拾い読みをしてみたが、心が軽くなるような書物には出逢えない。『庭の手入れをするもんだ・養老孟司の幸福論』という先生らしくないタイトルの書も捲ってみたが、幸福感は得られない。

図書館から少し歩いて曳舟川公園に参り桜の様子を伺い一撮いたした。今週末あたりが満開か?花下のベンチでお茶をしている御同輩がチラホラ。

今日生きて今日の花見るいのちかな(角川春樹)

本日は三千六百歩で階段は2回でした。

願い事-叶えてください。八苦五蘊の一つに「受」というのがあるらしい。感受性が強いのは苦であると。老人性パラノイアはこれだろうから、感じず、鈍るのが何よりだろう。加えて「想」もよくない。大体私が「想」ことなどはとうの昔にややパラノイア気味の諸氏に想われて本に書かれている。

「受」「想」、この二つを何とか鎮められないものだろうか。空っぽになりたいものである。

その辺がすぐにはうまくゆかぬ春(西やすのり)