「吾輩は猫である(巻末抜書) - 夏目漱石」ちくま文庫夏目漱石全集1 から

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吾輩は猫である(巻末抜書) - 夏目漱石ちくま文庫夏目漱石全集1 から

主人は早晩胃病で死ぬ。金田のじいさんは慾でもう死んでいる。秋の木の葉は大概落ち尽した。死ぬのが万物の定業[じようごう]で、生きていてもあんまり役に立たないなら、早く死ぬだけが賢いかも知れない。諸先生の説に従えば人間の運命に自殺に帰するそうだ。油断をすると猫もそんな窮屈な世に生れなくてはならなくなる。恐るべき事だ。何だか気がくさくさして来た。三平君のビールでも飲んでちと景気をつけてやろう。
勝手へ廻る。秋風にがたつく戸が細目にあいてる間から吹き込んだと見えてランプはいつの間にか消えているが、月夜と思われて窓から影がさす。コップが盆の上に三つ並んで、その二つに茶色の水が半分ほどたまっている。硝子の中のものは湯でも冷たい気がする。まして夜寒の月影に照らされて、静かに火消壺[ひけしつぼ]とならんでいるこの液体の事だから、唇をつけぬ先らすでに寒くて飲みたくもない。しかしものは試しだ。三平などはあれを飲んでから、真赤になって、熱苦しい息遣[いきづか]いをした。猫だって飲めば陽気にならん事もあるまい。どうせいつ死ぬか知れぬ命だ。何でも命のあれうちにしておく事だ。死んでからああ残念だと墓場の影から悔やんでもおっつかない。思い切って飲んで見ろと、勢よく舌を入れてぴちゃぴちゃやって見ると驚いた。何だか舌の先を針でさされたようにぴりりとした。人間は何の酔興[すいきょう]でこんな腐ったものを飲むのかわからないが、猫にはとても飲み切れない。どうしても猫とビールは性が合わない。これは大変だと一度は出した舌を引込めて見たが、また考え直した。人間は口癖のように良薬は口に苦しと言って風邪などをひくと、顔をしかめて変なものを飲む。飲むから癒[なお]るのか、癒るのに飲むのか、今まで疑問であったがちょうどいい幸だ。この問題をビールで解決してやろう。飲んで腹の中までにがくなったらそれまでの事、もし三平のように前後を忘れるほど愉快になれば空前の儲け者で、近所の猫に教えてやってもいい。まあどうなるか、運を天に任せて、やっつけると決心して再び舌を出した。眼をあいていると飲みにくいから、しっかり眠って、またぴちゃぴちゃ始めた。
吾輩は我慢に我慢を重ねて、ようやく一杯のビールを飲み干した時、妙な現象が起った。始めは舌がぴりぴりして、口中が外部から圧迫されるように苦しかったのが、飲むに従ってようやく楽になって、一杯目を片付ける時分には別段骨も折れなくなった。もう大丈夫と二杯目は難なくやっつけた。ついでに盆の上にこぼれたのも拭[ぬぐ]うがごとく腹内[ふくない]に収めた。
それからしばらくの間は自分で自分の動静を伺うため、じっとすくんでいた。次第にからだが暖かになる。眼のふちがぼうっとする。耳がほてる。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。主人も迷亭も独仙も糞を食えと云う気になる。金田のじいさんを引掻いてやりたくなる。妻君の鼻を食い欠きたくなる。いろいろになる。最後はふらふらと立ちたくなる。起[た]ったらよたよたあるきたくなる。こいつは面白いとそとへ出たくなる。出ると御月様今晩はと挨拶したくなる。どうも愉快だ。

陶然とはこんな事を云うのだろうと思いながら、あてもなく、そこかしこと散歩するような、しないような心持でしまりのない足をいい加減に運ばせてゆくと、何だかしきりに眠い。寝ているのだか、あるいてるのだか判然としない。眼はあけるつもりだが重い事夥[おびただ]しい。こうなればそれまでだ。海だろうが、山だろうがおどろかないんだと、前足をぐにゃりと前へ出したと思う途端ぼちゃんと音がして、はっと云ううち、-やられた。どうやられたのか考える間[ま]がない。ただやられたなと気がつくか、つかないのにあとは滅茶苦茶になってしまった。
我に帰ったときは水の上に浮いている、苦しいから爪でもって矢鱈に掻いたが、掻けるものは水ばかりで、掻くとすぐもぐってしまう。仕方がないから後足で飛び上っておいて、前足で掻いたら、がりりと音がしてわずかに手応えがあった。ようやく頭だけ浮くからどこだろうと見廻わすと、吾輩は大きな甕[かめ]の中に落ちている。この甕は夏まで水葵[みずあおい]と称する水草が茂っていたがその後鳥の勘公が来て葵を食い尽した上に行水を使う。行水を使えば水が減る。減れば来なくなる。近来は大分[だいぶ]減って烏が見えないなと先刻[さっき]思ったが、吾輩自身が烏の代りにこんな所で行水を使おうなどとは思いも寄らなかった。
水から縁までは四寸余[よ]もある。足をのばしても届かない。飛び上っても出られない。呑気にしていれば沈むばかりだ。もがけばがりがりと甕に爪があたるのみで、あたった時は、少し浮く気味だが、すべればたちまちぐっともぐる。もぐれは苦しいから、すぐがりがりをやる。そのうちからだが疲れてくる。気は焦[あせ]るが、足はさほど利[き]かなくなる。ついにはもぐるために甕を掻くのか掻くためにもぐるのか、自分でも分りにくくなった。
その時苦しいながら、こう考えた。こんな呵責[かしやく]に逢うのはつまり甕から上へあがりたいばかりの願である。あがりたいのは山々であるが上がれないのは知れ切っている。吾輩の足は三寸に足らぬ。よし水の面[おもて]にからだが浮いて、浮いた所から思う存分前足をのばしたって五寸にあまる甕の縁に爪のかかりようがない。甕のふちに爪のかかりよいがなければいくらも掻[が]いても、あせっても、百年の間身を粉[こ]にしても出られっこない。出られないと分り切っているものを出ようとするのは無理だ。無理を通そうとするから苦しいのだ。つまらない。自ら求めて苦しんで、自ら好んで拷問に罹[かか]っているのは馬鹿気ている。
「もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりでご免蒙[こうめ]るよ」と、前足も、後足も、頭も尾も自然の力に任せて抵抗しない事にした。
次第に楽になってくる。苦しいのだかありがたいのだか見当がつかない。水の中にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然としない。どこにどうしていても差支えはない。ただ楽である。否[いな]楽そのものすら感じ得ない。日月[じつげつ]を切り落し、天地を粉韲[ふんせい]して不可思議の太平に入る。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られね。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。