「大往生するための条件 - 中村仁一・久坂部羊対談」思い通りの死に方 から

f:id:nprtheeconomistworld:20210704110847j:plain

 

「大往生するための条件 - 中村仁一・久坂部羊対談」思い通りの死に方 から

中村:少し前になりますが、緒形拳さんもいい死に際を見せてくれましたね。2008年に肝臓がんで亡くなりましたが、ずっと病気を隠して仕事を続けていました。最後の出演作となったドラマ『風のガーデン』では、亡くなる5日前の制作発表にも出席した。その撮影では、ロケ地の北海道で一軒家を借りていたそうですね。そのとき、彼は一匹の雌犬を連れて行ったんです。きっと、撮影を終えて帰るたびに、その犬に愚痴や弱音を聞かせていたと思いますよ。そうやって、精神のバランスを取っていたんじゃないでしょうか。今は患者の話を聞く「傾聴」というボランティアもありますが、変な相槌を打つ人間よりも何も言わずに聞いてくれている犬のほうがいいと私は思いましたね。つまり、傾聴ドッグですよ。
人間は弱いので辛いときは何かに頼りたくなるんですが、老いや病気や死は、結局のところ自分自身で引き受けるしかないと思うんです。私はそれを親父から教わりました。親父は20歳で両眼を失明し、私が高校2年のときに切迫心筋梗塞で死んだのですが、死ぬまでの半年間、激しい心臓発作に幾度となく襲われながらも、鍼[はり]の仕事を一日も休まなかったんですよ。その間、愚痴や弱音を口にすることは一度もありませんでした。視力を失い、差別を受け、何度も自殺を考えるような過酷な体験を通じて、これは他人を頼ってもどうにもならない、自分自身で引き受けるしかないものという強い精神力を身につけたんだと思います。私は人生の岐路に立つたびに、親父の写真に「どうしたもんかな」と話しかけるんですが、いつも必ず「それはおまえの問題たから、おまえがきちんと向き合って解決するしかないだろうな」という言葉が聞こえてくるんですよ。
久坂部:腹の据わった方だったんでしょうね。ふつうは誰かに泣きついて「何とかしてきれ」と言いたくなるでしょう。
中村:愚痴をこぼして楽になる人は、それでもいいと思うんですが、でも生き死にの問題は別じゃないでしょうかね。私は親父譲りの性格なのか、人に聞いてもらって楽にならないんですよ。しょせん、相手にとっては他人事ですからね。うちの女房は少し具合が悪いと言うと、「今日は調子どうなの?」と当然ですけど口にしますよね。でも、あれも自分が安心したいだけの話ですからね(笑)。だから私は、よほどのことでないと具合が悪いと言わないことにしてるんです。心配されても、こっちは少しも楽にならない。
久坂部:まあ、そこは人それぞれなのかもしれませんね。たぶん、何が大往生なのかも人の数だけある。大事なのは、やはり本人の満足感があるかどうかだと思います。
中村:ええ。大往生に決まった形はないでしょうね。いろんな人に話を聞いてもらって楽になれる人は、そうしたほうがいいと思います。
久坂部:ただ難しいのは、死は誰にとってもワンチャンスしかないので、やり直しがきかないことです。「失敗したから、次はうまくやるぞ」というわけにはいきません。たとえは末期がんが見つかったとき、できるだけの手を尽くして闘ったほうが満足できるのか、「助かるかもしれない」という希望を捨てて苦しい治療を受けずに死んだほうが満足感が大きいのか、これは試してみることができないわけです。どちらかを選ばなければいけない。それを選ぶ強さや判断力がないから、多くの人が右往左往するんですよね。
中村:そこはもう、ひとりで決めるにしろ、まわりの人たちに相談して決めるにしろ、最後は自分で選んだことに責任を持って、何が起きても他人のせいにしないことが大事でしょうね。自分で選んだことは、「これは俺が決めたことだから」と自分で引き受ける。生きることも死ぬことも、すべては自分自身のものですから。その信念と覚悟がなければ、どんな死に方をしても大往生とは呼べないのではないでしょうか。
久坂部:その覚悟がないと、辛い思いをするのは自分ですからね。
中村:たとえ結果が悪くても、自分で決めたことなら諦めがつきますよ。それに、何よりも大事なのは、それまでに納得のいく生き方をすることです。死に方は自分の思いを超えたところで起きるので、その通りにはいきません。でも、生き方は自分の思いの範囲内で充実させることができるんです。結果を気にせず、しかし死は視野に入れながら、思い通りにできる範囲のことを思い通りにすればいいのであって、あとは、おまかせですよ。