「まるで臓器-腸内細菌叢」ロハス・メディカルvol158、2021年夏号巻頭特集

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「まるで臓器-腸内細菌叢」ロハス・メディカルvol158、2021年夏号巻頭特集

脳・免疫・代謝を左右
私たち人間の細胞数は約37兆個です。一方、人間の腸内には、約1000種類、40~100兆個の細菌が棲み着いていると考えられています。この腸内細菌の集まりを叢[くさむら]や花畑(フローラ)になぞらえて腸内細菌叢あるいは腸内フローラと呼びます。
人間の遺伝子数が約2万個なのに対して、腸内細菌叢が全体として持っている遺伝子数は100万個を超えると想定されます。遺伝子は、酵素をはじめとするタンパク質の設計図ですから、人体自身が作れないタンパク質でも、腸内細菌叢なら作れることになります。
そのため、人間単独では消化できず利用もできない物質(例えば食物繊維)を腸内細菌が代謝(生命活動のために使用)し、その産出物(食べカス・作ったタンパク質)を改めて人体が利用するという共生関係が出来上がっています。そして、それら代謝産物の存在を前提にしているとしか考えられない人体の活動調節メカニズムが次々と見つかってきました。腸内細菌叢は、まるで臓器のように働いているのです。
このような分子レベルのメカニズムが分かってきたのは近年のことで、それまで経験的に知られていた原理不明の現象の多くが、腸内細菌叢の関与で説明できるようになりました。
現在では世界中の科学者がしのぎを削る最先端の研究分野となっており、これからも腸内細菌叢の知られざる働きがどんどん発見されていくと考えられています。

「体質」それも菌たちの影響

各種疾病の原因が遺伝要因と環境要因に大別され、病気によってどちらの影響が大きいか異なるというモデルを、見たことがあると思います。
つい最近まで、「体質」は、そのほとんどが遺伝情報(ゲノム/エピゲノム)の影響下にあり、本人の意思や生活態度では如何ともしがたく、環境ともあまり関係ないと見なされてきました。
しかし、ゲノムは同じである一卵性双生児の腸内細菌叢を入れ替えてみる研究などを通じて、腸内細菌叢によって「体質」は結構変わることが分かってきました。
腸内細菌叢が、まるで臓器のように働いているという話を前項でしました。素晴らしくも恐ろしいことに、形や機能が一定の範囲に収まる生来の臓器と異なり、腸内細菌叢の形や働きは融通無碍です。
何しろ約1000種類の菌が環境に合わせて競合したり共生したりしながら世代交代を繰り返しているものなので、その総量や菌の構成比は時間と共に変動しますし、宿主である人ごとにも相当の差があります。当然ながら、作り出される代謝産物の種類や量にも相当の違いがあります。
場合によっては、様々な疾病のリスクを上げたり、直接の原因になってしまったりするわけで、それが「体質」として見えていたことになります。
そして、次項で説明するように、腸内細菌叢は環境から様々な影響を受けて変わり得ます。つまり「体質」は勧善な遺伝要因ではなく、これまで考えられていたより大きく変えられることになります。
実際、疾病によっては、患者に対して健常者の腸内細菌叢を「移植」するという治療が実用化されています。

 

健全さを保つには当たり前の健康法

腸内細菌叢で体質が変わると知った以上、何かしたくなるという方も多いことでしょう。
ただし、既に病気という場合を除き、急に変えようとしない方が無難です。人知の未だ及ばない部分ばかりで、健全であってくれたら御の字。それなのに神経質になりすぎると、腸内細菌叢へむしろ悪影響を及ぼしかねません。
前述の通り、腸内細菌叢は約1000種類と考えられる膨大な菌から構成されています。せっかく叢の字を使っているので、1000種類の植物で構成される大草原をイメージしてみましょう。
草原の植生が、地球上どこでもいつでも同じではないこと、ご存じと思います。場所と時期によって、総量や内部で栄える植物は違いますよね。どの植物がどの程度栄えるかは、気候、土壌、生息する動物の種類や量、植生内での競合関係に左右されることでしょう。種が飛んでくることによる周辺地域の植生の影響も考えられます。
腸内細菌叢だって同じです。宿主の食べたもの、宿主の分泌物、入ってくる菌、菌同士の競合関係などによって、どの菌がどの程度栄えるか変わります。ちなみに宿主の分泌物は、宿主の遺伝情報や置かれた環境を反映し、過度のストレスは分泌物を乱します。
さて、先ほどイメージした草原に、外来種を持ち込んで、全体を好み通りの植生に変えられると思いますか?思いませんよね。
そもそも気候の制約を超えることはできませんし、もし気候は適合していたとしても、先住の植物同士や生息動物が相互に複雑に影響を及ぼし合っており、外部からの働きかけた結果が意図しない形で現れるかもしれないこと、想像できるはずです。
腸内細菌叢も、多様な菌同士が互いに影響を及ぼし合って全体として恒常性(ホメオスタシス)を保っています。そのような恒常性を保った腸内細菌叢全体へ無理なく緩やかに働きかける方法は、実は昔から言われてきた健康の秘訣と同じだったりします。
善玉悪玉を超えて
腸内細菌叢を健全に保ちたいと考える時、皆さんの頭の中には、善玉菌と悪玉菌のバランスが思い浮かぶと思います。人体にとって善い代謝物を作るか悪い代謝物を作るかで善玉と悪玉を分け、シーソーの両側に乗っているようなイメージが流布されているわけですが、実際のところ、そう単純な話ではありません。後述するように「善玉菌」が原因の病気すらあります。そこで今回は善悪という対立概念抜きに話を進めましょう。
カギを握っているのが酵素です。
細菌が地球上に誕生した時、まだ植物が存在していなかったため、地上の酸素濃度は極めて薄かったと考えられます。つまり古来の性質を残している細菌にとっては、酸素の少ない方が生存に適した望ましい環境です。
消化管内の酸素は、口から入ってきたものが途中の細胞や菌などに使われて、奥へ行くほど薄くなり、大腸まで達するとほとんどありません。細菌の天国です。
そんな大腸内の細菌は、酸素を全く必要としない偏性嫌気性細菌と少し使う通性嫌気性細菌とに分けられます。この違いは、エサの代謝に酸素が必要か否かによって生じ、前者は主に食物繊維、後者は脂質やタンパク質、糖、アルコールをエサとします。ピンと来たでしょうか。前者がいわゆる「善玉菌」、後者が「悪玉菌」です。
美食がエサ
後者が悪者扱いされるのは、活性酸素種を利用して呼吸し、炎症や発がん、動脈硬化に関わるトリメチルアミンや硫化水素などの代謝物を産生するからです。
でも、よく見てください。彼らがエサとしている脂質、タンパク質、糖、アルコールは、おいしい食事の構成要素そのものです。そして適量なら、大腸に到達する前に吸収が済んでいてよいはずのものです。おいしいものをたくさん食べて、吸収しきれなかったら、大腸で通性嫌気性細菌が増えるのは当たり前なのです。
悪玉菌を増やし過ぎたくなければ腹八分目。これが腸内細菌叢の健全さを保つ秘訣の一つ目です。何も新しいことはありません。

 

神様、仏様、食物繊維様

健康のためには、やっぱり粗食にしないといけないのかとガッカリされた方、話はまだ終わっていません。「善玉菌」と呼ばれてきた偏性嫌気性細菌の力を上手に生かせば、状況は好転します。
偏性嫌気性細菌は、主に食物繊維をエサとして、酢酸、酪酸、プロピオン酸の「短鎖脂肪酸」を産出します。
短鎖脂肪酸の中でも、酪酸は体にとって特に重要です。制御性T細胞を誘導して炎症を抑えるほか、腸管上皮細胞が取り込んでエネルギー源として燃やします。その結果、大腸内の酸素が減り、通性嫌気性細菌の活動が抑制されます。また、腸管上皮がエネルギー豊富で元気だと腸の内容物は早く排泄されていくため、多少変なものが産生されても悪影響は軽く済みます。
つまり、野菜や海藻、全粒穀物などを通じて食物繊維さえ充分な量を摂取していれば、おいしいものを多少食べ過ぎたところで何とかなるはずなのです。
ということで、腸内細菌叢を健全に保つ秘訣の二つ目は、野菜や海藻、全粒穀物をたくさん食べることです。これも健康に良いこととして、ご存じでしょう。和食なら食物繊維を摂りやすいことも常識でしょうか。ただ現実には、日本人の平均食物繊維繊維摂取量は戦後に激減しており、由々しき問題です。19年から急回復の兆しは見られるものの、「日本人の栄養摂取基準」(2020年版)の推奨量1日24gには遠く及びません。なお、短鎖脂肪酸を経口摂取したら同じ効果を期待できるかと言うと、そうは問屋が卸しません。大腸に届く前に吸収されてしまいますし、酪酸は細胞毒性が強いため途中の消化管を傷めます。酪酸を猛烈に取り込んで燃やせる腸管上皮のそばに産生させるからこそ意味があります。
そして、食物繊維の摂取不足は、もっと恐ろしい事態の引き金になる可能性もあります。
腸管上皮と腸内細菌が直接接触しないよう隔てているムチン粘液を飢えた偏性嫌気性細菌が食べてしまうのです。この結果、腸内細菌が腸管上皮に接近して免疫を刺激、やがて炎症性腸疾患が発生します。炎症の起こった腸管粘膜からは、脳・神経に妙な信号が送られ、神経疾患の原因となることがあります。門脈を通じて肝臓へも妙な信号が、、代謝異常をひき起こします。
「善玉菌」によって病気が起こるとは、このことです。食物繊維が足りないのに「善玉菌」だけ摂取しても、ご利益を期待できないどころか危険かもしれないこと、お気づきでしょうか。

 

万病の原因ディスバイオーシス

腸内細菌叢の健全さを保つ秘訣は、まだあります。例えば適度の運動です。どういう流れでそうなるかは不明ながら、適度な運動をしている人の方が、菌の種類は多様で、短鎖脂肪酸の産生も多いと報告されています。菌の種類が多様で全体の数も多いほど、腸内細菌叢の恒常性は、しなやかに頑丈です。
適度の休息と睡眠も、腸内細菌叢の健全さに大切です。これらが足りないと自律神経の活動が乱れて、精神的ストレスを受けた時と同じように分泌物が乱れます。
期待して読んで損をした、当たり前じゃないかとガッカリしましたか?そんなことを知らせるために、こんな大きな記事は必要なかろうと思ったでしょうか。
でも、こんな当たり前のことさえ、実行するとなると結構大変ですよね。
それは、特に戦後先進国の便利で豊かで刺激に満ち溢れた生活が、ご先祖様から何百万年も綿々と引き継がれてきた腸内細菌叢との共生関係を壊す方向に強く働いているからです。
つい最近まで、私たちは、そのことに無自覚でした。そしてヒドい場合には腸内細菌叢の恒常性を破綻させてしまい、そのことに気づいてすらいませんでした。腸内細菌の恒常性が破綻してしまった状態は、ディスバイオーシスと呼ばれます。抗生物質の濫用や長期の偏食、ストレスなどによって腸内細菌叢の菌の総数や種類が激減し、しなやかな復元力を失います。豊かだった大草原が、干ばつでスカスカになった状態と言えばイメージしやすいでしょうか。
当然ながら、腸内細菌叢が人体に与える影響も変わり、様々な疾病の原因となります。もはや地道な昔ながらの健康法では元に戻りません。糞便移植が発想されたのも、ディスバイオーシスを放置していては、疾病の治癒など望めないとの考えからです。
皆さんの多くは、まだディスバイオーシスには襲われていないはずです。でも便利で豊かな生活に甘えていると、いつ襲われてもおかしくありません。どうか当たり前のことを当たり前に実行し、腸内細菌叢と上手に付き合ってください。