「謎の句 - 復本一郎」日本の名随筆57謎 から

 

「謎の句 - 復本一郎」日本の名随筆57謎 から

謎というものは、解けると非常に気持ちがいい、仮名草子に『犬枕』という作品があるが、そこでも、「嬉しき物」として、「人知れぬ情」「町買の堀出し」「思ふ方よりの文」「誂物[あつらへもの]能[よく]出来たる時」とともに「謎立解きたる」があがっている。
俳諧の特質として、滑稽性であるとか、庶民性であるとかが指摘されているが、私は、その一つとして謎解きの要素があると思っている。それは、蕉門俳諧とても例外ではない。俳諧史を貫通して、現代俳句に至るまで、謎解きの要素がある。
ここでは、蕉門の俳人たちのあいだで問題になった謎の句を検討することによって、俳諧における謎解きの要素の一端を窺ってみることにしたい。
まず、其角の句を一句、左に示す。
まんぢゅうで人を尋ねよ山ざくら(其角)
この句を自由に解釈していただきたい。かなり解釈に苦しまれるのではなかろうか。どのように解釈されたであろうか。従来、いくつかの解釈がなされているので、それらを順次示してみる。
古いところでは、亨和三年、六十六歳で没している江戸の俳人石河[いしこ]積翠が、
下戸は下戸をたづねて行脚せよといふ句なるべし。
と解釈している。納得のいく解釈である。近年になって、岩田九郎氏が、
わが友は不思議に酒をのまぬやつ、きっと饅頭でも食っているに相違ないから、食っている饅頭で尋ね出して来い。
と解釈されているのは、積翠の解釈に近いものである。岩本梓石氏は、
饅頭でといったのは、饅頭あたま、即ち坊主あたまといふ謎である。己の友達で坊主頭であるから、それを目標として尋ねてこいといふのである。
と、まったく別の解釈を出されている。そして、ごく最近では、井上敏幸氏によって、
類船集饅頭の項に「堂塔の下の土台を饅頭がたといふとかや。物見の庭などには専もてはやし侍る」という一文がある。「饅頭で」を、「饅頭がたの上に立って」と解すれば、群衆を見渡すと同時に山桜をも見渡すことになり、句は花見の句ということになる。
との大変斬新な解釈が提出されている。

何故にこのようにいくつもの解釈が生まれるのであろうか。この句を問題にしている『去来抄』〈同門評〉の一節を繙[ひもと]いてみよう。
許六曰、「是ハなぞといふ句也」。去来曰、「なぞにもせよ、謂不果[おほせず]と云句也。たとへバ、灯燈で人を尋よといへるハ、直に灯燈もてたづねよ也。是ハ、饅頭をとらせんほどに、人をたづねてこよ、と謂る事を、我一人合点したる句也。むかし、聞句といふ物あり。それハ、句の切様、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句也。此句は其類にもあらず」
当時から議論のあった句であることがわかる。許六は、謎の句であると言い、去来もそれを一応は肯定しつつも、結論としては、表現不十分の句として批判している。同時代人でありながら、評価が分かれているのである。この評価の分かれは、俳諧の特質の規定において今日まで揺曳[ようえい]しているようで、私にとってはすこぶる興味深い。すなわち、俳諧の特質として謎解きの要素を認めるか否かである。
それはともかく、去来の説明の中に見える聞句というものを明らかにしておきたい。従来の『去来抄』の注釈書類の中で、この聞句を『去来抄』以前の資料によって説明してあるものは、一つもない。日本古典文学大系と日本古典文学全集の頭注が、早川丈石の『誹諧名目抄』をもって説明しているが、これは、後代、宝暦九年の刊行であるので、去来の言う「むかし、聞句といふ物あり」の「聞句」を説明する資料として使うには、少しく心もとない。次のように記されている。
聞句 是は謎の句にて思惟すればよく聞ゆるなり。聞発句ともいへり。闇の夜は松原ばかり月夜かな、嗅で見よ何の香もなし梅の花、などといふ類なり。
「聞句」とは、「謎の句」「聞発句」と同意であり、考えればよくわかる句のことを言うとの説明は、『俳諧大辞典』などにも「聞句」の項目がないことを思えば、非常に有難いのではあるが、肝心の、例句としてあげられている二つの発句、〈闇の夜は松原ばかり月夜かな〉〈嗅で見よ何の香もなし梅の花〉の意味をどのように解してよいかには迷ってしまう。
ここで、私は『去来抄』成立以前(『去来抄』の成立は元禄十五年頃から、宝永元年頃までの間と考えられている)に聞句について説明されている資料を提示したい。去来の言う「むかし、聞句といふ物あり」に、まさしく該当する資料である。そこでは「聞発句」として説明されている。その点では、『誹諧名目抄』の解説は、私にとって有益だったのであるが。

その資料は、貞門の俳人山岡元隣の筆に成る俳諧作法書『俳諧小式』(寛文二年初春成)である。未翻刻の資料であるので、東京大学総合図書館酒竹文庫本によって、原本のまま、該当箇所を翻刻してみる。聞句の説明は、本書によって成されるべきであったのである。詳しく、丁寧である。

きき発句之事
やミの夜は松原ばかり月夜哉
涼風ハ川はた斗[ばかり]あつさ哉
五月雨ハ山路斗や水ひたし
右やミの夜は松ばら斗にて残る世界は皆月夜也と松原のしげりたると月の光の明[アキラカ]なるとを云たてたる也残二句も此心を以て聞は明也其外
かいで見よ何の香もなし梅の花
此花ににかぎくらぶれハ万花[ハンクワ]香なしと也
しら鷺の巣だちの後ハからす哉
巣がからになると也
二人行ひとりハぬれねしぐれ哉
二人ながらぬるるといふ心也と従来聞来れり更に今一説有
はいかいのミにもかきらす唐[モロコシ]にも
飛鳥★不動
とぶ鳥の影は動す其とふ鳥の実の姿か動けハ影ハ随ふと也
鶏有三足 卵有毛
鶏の見えたる所の足は二つにて其のゆかんと思ふ心の足共は三つ也玉子かへりて後くろき鳥の子はくろくしろき鳥の子は白くなれはかいこの内より毛有となり禅家の学者の心を勘弁する語などにあまた有事也かやうの事より工夫仕習ても従浅入深の道理なれば真の道にもいたると也

先の『誹諧名目抄』において例示されていた二句が、本書よりの引句であることがわかる。しかして、〈やミの夜は松原ばかり月夜哉〉とは、決して、闇夜には、松原だけが月夜であるなどというわけのわからにいことを詠んでいるのではなくて、松原が茂っていると、月夜でも月光がさし込まないで、松原の中だけが闇夜であるとの、きわめて論理的な解釈(謎解き)が示されている。同様、〈かいで見よ何の香もなし梅の花〉の一句も、梅の花には香が全然ないとのばかげた句ではなく、梅の花が馥郁[ふくいく]としているのに接すると、他の花の香など問題ではないとの意味であることがわかるのである。必ずしも去来が言うように「句の切様、或ハてにはのあやを以て聞ゆる句」とは限らないようである。聞句とは、やはり『誹諧名目抄』に見えるように「思惟すればよく聞ゆる」句、謎の句と広く理解するのがよいように思われる。
それにしても、〈しら鷺の巣だちの後ハからす哉〉、〈二人行ひとりハぬれねしぐれ哉〉など、実に面白いではないか。つい友人などに試してみたくなる。白鷺の巣立った後に鴉[からす]がいるだとか、二人で歩いていて一人だけが時雨に濡れただとか考えると、もうまるっきりわからなくなる。元隣は、親切に解答を示してくれている。白鷺の巣立った後は、当然、巣がからっぽになるのであり、二人で歩けば、一人だけ時雨に濡れるということはなく、二人とも濡れること、これまた道理である。面白くて仕方がないが、いつまでも楽しんでもいられない。『去来抄』の一節にもどる準備をはじめよう。

そこで注目したいのが、文末の「かやうの事より工夫仕習ても従浅入深の道理なれば真の道にもいたる也」との発言である。これは、元隣が、俳諧の特質として明らかに謎解きの要素を認めていることを示すものである。「従浅入深」は、伝定家の「愚秘抄」に「歌をよまん事につきて大切の事侍り。初心の時は浅きより深きに案じ入るべし」と見えるように、和歌以来の伝統的な考え方であり、元隣の頭の中には、例示した如き句は、たしかに次元の低いものではあるが、このような句を理解する能力、あるいはセンス、そしてこのような句を作る能力、センスを十分に養うことが、やがては深きに入ること、「真[まこと]」の俳諧(貞門でのそれであることは言うまでもない)に至ることへ繋がるものであるとの確信があったのであろう。高度であるか低度であるかのちがいはあるが、そして、それは謎の質のちがいへと発展するものであろうが、ともかく元隣は謎解きを俳諧の要素として考えていたように思われる。
高度な謎解きとは何であるか。ここで想起されるのが土芳の『三冊子』〈赤双紙〉中の次の一節である。
「花鳥の雲にいそぐやいかのぼり」といふ句有。人のいへる「此句聞がたし。よく聞ゆる句になし侍れば。句おかしからず。いかが」といへば、師のいはく「几巾[いかのぼり]の句にしてしかるべし」と也。聞の事は何とやらおかしき所有を宜[よろし]とす。
この一節で問題とされていることは、まさに元隣が『俳諧小式』において説いたところの発展延長上にあるのである。一句は土芳の句であるが、句意については触れない。私は、芭蕉が謎解きをやっていることに注目したいのである。土芳の言う「何とやらおかしき所有」句とは、換言すれば、謎のある句ということであろう。謎のない句は、つまらないのである。謎を解くから楽しいのである。一句、「花鳥」の視点からは解せないのである。芭蕉は「いかのぼり」の視点を発見したのである。一句の謎が解けたのである。土芳は「聞の事」という言葉を使っている。当時、重要な問題を含んでいた俳諧用語のように思えるが、残念ながら他に用例を見ない。が、謎解きを問題とする言葉であることだけは、以上述べてきたことからおわかりいただけるかと思う。こんな謎解きもあるのである勿論、本歌取り本説取りの句の本歌、本説を探し出すのも謎解きである。もっと複雑な謎解きもあるであろう。私のやろうとしていることは、謎解きの俳諧史を書くことである。
やって『去来抄』にもどれた。其角の一句、許六は謎の句であるという。去来は、一句を「うまい饅頭をやるから、あの人をさがしてこい。どこかで花見をしているだろうから」と解釈しながらも「謂不果と云句」であると主張する。去来の解釈、『旅寝論』によれば、其角から聞いたごとく記されている。
其角が句ハ自讚といへり。しかれ共、此句意をきけバ、春山花間にあそびて、奴僕[ぬぼく]やうのものに饅頭をとらせん、たれを尋来るべしといへる句となん。
この記述が事実だとすれば、本章の冒頭にあげた諸家の解釈は、あまり意味を持たなくなるが、去来には事実を脚色する癖があるので、頭から信じることは危険である。私には、井上敏幸氏の解釈など、まさに謎解きがなされ、句意が闡明[せんめい]になったようにも思われるのであるが如何[いかが]であろうか。一句、其角の自讚句であるという。謎の句として扱ってよいのではなかろうか。ある点では、すこぶる真面目人間であった去来には、謎の句は、よくわからなかったのかもしれない。
私は、これから、俳諧を謎解きの文学として見ていくわけだが、そんな私には、西脇順三郎氏の、
私の考えでは芭蕉の句はマラルメの詩法と同じことであって、芭蕉を読むということは句が与える謎を解くことであると思う。
との言葉は、まことに心強い。