「狂気のなかの正気または『リヤ王』の事 - 加藤周一」日本の名随筆45狂 から



 

「狂気のなかの正気または『リヤ王』の事 - 加藤周一」日本の名随筆45狂 から

『リヤ王』は、一六世紀末一七世紀初の英国の役者シェイクスピア(一五六四-一六一六)の作った名高い芝居の一つである。その話のすじは複雑であるから、その主題(あるいは「メッセージ」)も、さまざまに解釈することができる。可能な解釈のなかの一つは、この芝居をリヤ王の変身の物語とする見方である。
老いたリヤ王が三人の娘の上の二人に領国を分かち与え、末の娘との縁を切る。これは上の二人が巧みに★い、末娘が媚びることをきらったからである。すなわち主人公の愚行から話がはじまる。「聡明になるまでは老いるべきでなかった」と王に付き添う道化師がいうのは、そのことである(第一幕、第五場。せりふの訳は、筆者が旅中、坪内逍遙以来の邦訳を参照すること能わず、仮に用いた意訳にすぎない。以下同じ)。
しかるにそれぞれ領国の半分を得た娘は、身を寄せた王を手ひどく扱う。その「忘恩」に対してリヤ王は、激怒し、激怒は、★々たる罵言と呪いの言葉の奔流として表現される。それを聞いて、または読んで、私が感心するのは、英語には悪口のための語彙が実に豊富であった(日本語にくらべれば今でも豊富である)ということ、一六世紀末一七世紀初の英国の社会が露骨な性的表現にはなはだ寛大であったということである(それが寛大でなくなったのは、ヴィクトリア朝以来のことで、その習慣が戦後のある時期までつづいた)。いずれにしても、怒り狂う人物は、世の中を観察しない。冷静な観察にもとづき、気の利いた言葉を吐くのは道化師である。
すなわち芝居のリヤ王は、まず行動の人としてあらわれ、次に激情の人としてあらわれる。そのいずれの段階でも、観察(と理解)の人は、王ではなくて、道化師である。ところが、第三段階に至ると、二人の娘に追い出され、従う者少なく、荒野を彷う王は、全く無力であり、(すなわち行動の可能性を失い)、絶望し(すなわち激情さえもおこらず)、ほとんど狂気の状態となる。と同時に、道化師に代わって、権力と社会の鋭い観察者(理解者)となる。まさに登場人物の一人がいうとおり、「狂気のなかの正気」(四幕、六場)である。

そこでリヤ王は、何をいうだろうか。たとえば乞食に吠える犬について、「いかなる権威であろうと権威に服するのが犬である」という(第四幕、第六場)。その後三百余年、ポール・ニザンが『番犬』について語ったのは、つまるところ同じ事である。また「粗末な服を透しては小さい罪も眼にみえる、美服と毛皮はすべてを隠す」というのも(第四幕、第六場)、その後三百余年、汚職は大きければ大きいほど摘発され難いという今日の事情に呼応する。たとえば一九七四年の米国で、元大統領は浴し、協力した顧問たちが罪を着る(七五年判決)のようなものである。そういうことの全体が、観察者となったリヤ王にとっては、「道化師(ばか者)の大舞台」にすぎない(第四幕、第六場)。一度は末娘に救われ、やがて彼女と共に上の娘二人の軍勢の虜囚となった彼は、二人に会いに行こうかという末娘の言葉に、「いや、いや、牢獄へ行こう、行って籠の鳥のようにわれわれだけの歌を唱おう」とこたえる。「牢獄の壁のなかで」、「誰が敗れ、誰が勝ち、誰が来り、誰が去るか」、権力の消長をながめて暮らそうというのである(第五幕、第二場)。この時のリヤ王は、ほとんど歴史家に近い。
リヤ王の正気は、狂気のなかにあらわれる。歴史と社会の観察者は、歴史への参画と社会的行動が終わった後に成立する。認識の主体は、同時に行動の主体ではあり得ないということなのか-。問題はあらゆる水準で常に提出されていて、しかも一時的な解答を見出し難いから、シェイクスピアはこの芝居を作ったのかもしれない。