(巻三十四) 美しき稲の穂並の朝日かな(路通)

(巻三十四) 美しき稲の穂並の朝日かな(路通)

9月8日木曜日

酔っ払って金を落としたり、拾ったりという情けない夢を見て起きた。しみったれの心理が作用してか拾った額の方が多くなった。

7時前にお祝いのメッセージが1本入った。以降各氏より頂く。

細君は生協に出かけ、ついでにカーネーションとワレモコウを買って戻る。義母の命日が近づいてきたようだ。

昼寝して、起きて血圧の薬をもらいに新しい病院、大野クリニック、へ行く。このクリニックは平成30年の今ごろ野良猫に引っ掻かれて傷を診てもらって以来の診察なので今回の病状などを書く用紙を渡された。それに「リハビリ病院で高血圧の診療と投薬を受けていたが、同院が午後の診察を行わなくなったのでこちらで診ていただきたい。」と書き、お薬手帳と共に提出した。一時間ほど待って呼び込み。四十代の穏和な男の先生が「お待たせしました」と迎えてくれた。先生にお渡しした血圧測定手帳や健康診断記録をご覧になり、一応ここでも測ってみましょうと測り140-80と出たが、「ご自宅での数値は安定してますから、今の薬を続けましょう」ということで落着。向かいにある薬局で薬を頂いて帰宅。 

病院に行く途中で図書館に寄り『ヘタウマ文化論-山藤章二』と『遺稿-立川談志』を借りた。一時間ほどの待ち時間もこの2冊の流し読みをしていたので苦にならず。ヘタウマ文化論の中の「江戸テインメント」の章に太田南畝の辞世「生き過ぎて七十五年くいつぶし限り知られぬ天地[あめつち]の恩」と安藤広重の辞世「われ死なば焼くな埋るな野に捨てて飢えたる犬の腹を肥やせよ」が紹介されていた。我が辞世「計らずも泣いて出てきた道化の世すまぬすまぬと生きたくはなし」もそれほど悪くはないのではないか。

願い事-スパッとやっておくなせい。

四十代この先生きて何がある風に群れ咲くコスモスの花(道浦母都子)

いわんや七十をや。