(巻三十五)城下ならではの町名うろこ雲(馬場公江)

(巻三十五)城下ならではの町名うろこ雲(馬場公江)

11月5日土曜日

曇り空の朝だ。でも朝が来て一日減った。新聞を広げた細君が今日も家電量販店、スーパー、不動産のチラシがいっぱい入っていると慶ぶ。

朝家事。掃除機がけ、風呂温度設定、浄水栓交換。

顔本の「パソコンのなんでも相談室」の管理人さんが気が付いてくれたようで質問が掲載され、6件ほどの助言を頂く。具体的な機種はないが、タブレットでもいいんじゃないというのが2件。矢鱈にひけらかしていて解らないのが2件。高価高級機種も1件。一般論が1件。てとこだ。

《ご助言ありがとうございます。

やはり気が急いて、葛飾区役所近くのコジマ・ビックカメラにパソコンの下見に参りました。高め機種に誘導しない店員さんに相談に乗ってもらいMicrosoft Surface Go3(4GB-64GB)を候補に絞り買わずに退散いたしました。月曜日に買うつもりですが、この機種の欠点など注意点があればご教示ください。》

とコメントを入れてみた。

新しいパソコンに切り換えることが具体的になってきたので旧パソコンに残っている筆写した随筆も載せたり移したりとした。

〔夜の11時過ぎにOTさんから注意喚起コメントが入り、ストレージ64GBではOSを入れて大半を食われ、都度のアップデートで残りもなくなり、使い物にならなくなるよと教えられた。ネットで調べたら、OTさんのコメントの通り、業務で使うなら256GB、遊びなら128GBと言うような説明だ。分からない品物を買うのは大変だな~。〕

散歩は図書館から都住3、富士の湯前、ファミマ、帰宅。都住3ではサンちゃんがバイクの上で寝んね。食欲を見せず。クロちゃんは草むらで用便中。邪魔せずに階段下で待っていたら走ってきた。湯屋の前で久しぶりに友だち婆さんに会う。下町の人だ。最後はファミマで珈琲。

細君が腰が痛い痛いとワメき、あんたは冷たいとナジる。夕飯の手伝いを致して多少媚びた。

願い事-涅槃寂滅です。長患いは勘弁してください。といって今、薬をくれても飲む勇気はないなあ。ポックリで自然に死なせてください。

成り行きに任す暮しの返り花(鯨井諒一)

「私が〈がん〉に罹ったら - 近藤誠」

*自宅で死を迎えるための条件

結論をいうと、可能であれば家で死ぬのが一番だと思っております。広い家である必要はなく、マンションやアパートの一室でも臨終を迎えることは可能です。ただし自宅で亡くなるのを現実のものとするためには、いくつかの条件があります。その一つは、誰か夜中も面倒をみてくれる人が最低一人、できれば交代をみこんで二人程度確保できるかどうかです。

別の条件は、近所に在宅医療をおこなっている医者がいるかどうかです。なるべく医者を遠ざけて過ごしたくても、亡くなる前に最低でも一、二週間程度は、医者の往診が必要になるからです(長ければ数か月)。いいかえるとがんの場合、その程度ですむともいえます。苦痛さえとることができれば、わりあい最後まで動き回れ、寝つく期間が短いことが多いからです。医者や看護婦が訪ねてきてくれる在宅医療サービスが近年充実しつつありますが、まだ地域差が大きいので、受けられる場合と受けられない場合あるでしょう。

残る問題の一つは、がんによる痛みや、呼吸困難などの苦しみがでた場合にどうするか、です。まず痛みに関しては、モルヒネを十分に使うなどの対処法がほぼ確立しており、一〇〇%近くの患者さんで痛みを消失させるか、軽減することができます。

ただし、対処法が確立しているということと、それが受けられるかどうかは別問題で、モルヒネの使用量からみても、日本では普及がまだまだ遅れています。病院の一般病棟に、対処法に通じた医者がいるかは疑わしく、十分に除痛してもらえない場合めあるでしょう。また、本人にがんと知らせていない場合には、モルヒネを処方したら本当のことがわかってしまうではないか、となる可能性もあります(その意味でも、患者本人が病名や病状を知っている必要がある)。

とにかくわたしは医者ですし対処法を知っていますから、疼痛についてはあまり心配していませんが、肺転移による呼吸困難や、腹水がたまってお腹がパンパンになるような場合は問題です。これらについても、症状を軽減できる方法は存在します。が、いろいろやってみた結果、どうしても症状が軽減しないときがあるのです。その場合には、寿命が短くなることを覚悟しないと、楽になれません。たとえば呼吸困難に対しては、睡眠薬を点滴して意識レベルを下げてしまう(つまり眠らせる)。すると呼吸苦は感じなくなりますが、周囲と会話することができなくなり、体内に炭酸ガスが蓄積しやすくなるので、多少なりと寿命が短縮します。(念のためにいうと、痛みをとる場合には、モルヒネを使っても寿命は短縮しない。楽になるので、むしろ延命につながるはず)。

腹水も、なにをやっても増える一方でたいへん辛い、という状況におちいることがあります。それを楽にしようとすると、お腹にチューブを刺して腹水を抜くしかありません。そうして数リットルも抜けばいったん楽になるのですが、すぐに再びたまってきてパンパンになり、また抜くことを強いられます。腹水にはタンパク質がたっぷり入っており、数リットルずつ抜いていると身体は栄養失調になっていき、結局寿命を縮めるわけです。

そういう問題はあっても、それらの処置を希望される患者さんが多いことも事実です。わたしの経験では、寿命短縮の可能性まで説明しても、呼吸困難の場合にはほぼ全員が、腹水の場合には数割が、楽になることを希望されます(腹水のほうがまだ我慢できる、ということなのでしょう)。わたしはどうかというと、かりにそういう状況に直面したら、どちらの場合も楽になる方法を希望します。

このようにして医学的な意味では、あらゆる苦痛は除去ないし軽減できます。しかし、精神的な苦痛はどうか。生きることや、がん治療をうけつづけることに倦むという以上に、精神的な苦痛を感じるようになったときにどうしたらよいのか。医学や医療は答えをもちません。ひとつ理論的に考えられるのは、医者に頼んでいわゆる安楽死をおこなってもらうことですが、現在日本では認められておらず、患者が希望してもどうにもなりません。

別の解決策は自殺です。これはわたしには、たいへん魅力的にみえるのですが、そのときになって自殺するだけの気力があるかどうかが問題です(その意味で、実際に自決された三島由紀夫氏や江藤淳氏の気力はすごい)。結局わたしは、がんの終末期においては、はやく死にたいけれども自殺するほどの勇気もなく、うじうじとして最期を迎えることになりそうです。やれやれ。