「書卓の上 - 島村抱月」ちくま文庫書斎の宇宙 から

 

「書卓の上 - 島村抱月ちくま文庫書斎の宇宙 から

今朝もテーブルに向って腰かけたまま懐手をして二時間以上ぼんやりしていた。何をする気も出ない。かたわらの台の上に取り散してある新刊の雑誌や書籍を、一つ二つ抽き出して明けて見たが、一向に面白くない。またもとの所へ投げ戻して、まじまじとしているて、手は自然とまた懐に這入る。内懐で組み合わせた其の手が、シャツの上から汗ばんで来て、いやな気持がする。片手だけまた出して、テーブルの上に載せて見た。他人のように煙草でも吹かすのだったら、成程こんな時に、此の手一つぐらい持てあつかわずに済むだろうと思った。
テーブルの板の冷たさが、熱した掌に快よく感じる。じッと其の手を見ていると、窓に曇り日の薄いさむい風が、かすかな気合に触れて通る。やるせないように降りそそいだ昨夜の雨を、今日につなぐ知らせかと思った。ああと言って手を引くと、軽い身ぶるいが一つ出た。
自分の使っているテーブルは可なり大きい方だが、それがもう手元のところ方一尺四五寸位しか明いていないまで、色々の書物や書いた物やで押し詰められて来た。つい二三日前までは、まだ余程明いていたのが、何時の間にか一列に積まれた書物は二列に二列は三列にと殖[ふ]えて、四方から主人を包囲して来る。それが読まなくてはならないで読む書物、書かなくてはならないで書く原稿、みんな義務の塊である。
本籍から抜き出された書物、棚から取り下された書物、図書館から借りて来た書物、その中には、もはや用務を果たして脳を抜かれた蛙[かわず]のように静まり返って横たわっているのもあるし、次の何曜日にはまた用がある筈だと待ち構えている風なのや、取り出されて以来一度も開かれないで悄気[しよげ]ている風のもある。が、何れに眼をとめて見ても、今の自分の心には何等の交渉も起こらない。何等の活きた興味も刺戟されない。ただ其等のものの後に繋がっている義務-囚人の脚に附いている鎖のような義務が、鈍角な重い刺戟を誘って来る。

左手に堆[うずたか]く積んであるのは、重[おも]に学校の講義に必要な参考書である。用のある箇所だけインデックスで抜き読みをした哲学書を見ると、著者に対して相済まんと思う。此の作だけは全部細読してと思ったのが、時間の都合か何かで下半分は飛び読みで間に合せて了った文学書を見ると、あれで果たして遺憾のない批評が下されるかと自分ながら面目ない心になる。
その前の列の上の所を見ると、英国の学会や倶楽部の綱領などを書いた書物が載っている。その下にはアメリカの演劇学校の規則書、その下はロンドン劇場史、是等は皆二三日前に某協会の規則書を英訳する必要があって、参考に引っぱり出したものである。用が済んで了えば、もはや其の表題を読むのさえものういと思う。まして手に取り上げて元の所へ納めに行こうという勇気など全く無い。そこへほうり出したままである。
正面のところを見ると、近世英文学史の古い講義草稿で今は不用になっているのと、ロンドンの図書館で書き抜いた抜★帳の、所々に紙きれを挿んだのとが、一緒に重なっている。是れは英国劇の歴史と、劇に関する英語のテクニカル、タームスとの講義をする必要があって、其の下調のために取り出したのが、其のままになっているのだ。
其のすぐ側には、原稿の畳んだのや広げたのが十二三も積んである。手紙、葉書、印刷物などの古いの、新しいのが、それと伍して堆[たい]をなしている。この原稿の中には別に期限の無いのもある。期限と言った所で、もともと先方が頼み手で此方は好意で読んで見ようというのだから、是非何時までと厳しくは言わない。じわじわと迫って来る。淡い義務の苦味である。併[しか]し中には学生の論文などで、疾[と]くに見てやらなくてはならないのがある。学校の研究もので、三四回やったきり、何しても跡をつづける気力の出ないうち、今年も、もうまた学年の終りに近づいて来たのが此等の原稿をみると、鉛を胸にあてられるように心苦しく思い出される。

手紙にも返事を出さなくては済まないのが、一二箇月もたつと束になるほど積もる。甚だしいのは一年も二年も打ち棄ててあるのがある。それでも何時かは義務を果たそうと思う心から、裂きすてもし得ない。斯んな手紙が五通や八通は何時でも残っている。ビジネスライクに三銭切手を封入して、礼を尽して、頼ない事情を打ちあけて、種々の事を問うたり、頼んだりして来る。然いう未見の田舎人の手紙抔[など]には是非返事をやりたいと思うのである。それでいて容易に書けない。愈々[いよいよ]思い立って、五通三通と古いのから片づけて行くと、其のうちまた妨げられることがあっと、それなり、当分は中絶して了う。其のあいだにはまた次が支[つか]えて来る。往復葉書などの、期限をすぎて空しく討死をしているのも幾枚あるか知れない。不義理だなと思うと、堪えられぬ不快の感が胸を衝く。一体少し気を張って筆まめにすれば、斯んた事は何でもない。西洋人などには、朝起きて一時間なり半時間なりを、きちんと其の日の通信応答に宛てる習慣がある。それは自分も千万承知だから、他人に説法する場合には其の通りの事を言って聴かする。併し今の自分には、ただそれだけの実行が容易な事でない。ただそれだけのきっかけを作るのが大事なのである。是れを思うと、世の中の事は必ずしも思想が一々実行に伴わなくとも、思想だけでも意味を成す場合がある。あるどころではない。多数はそれで運転して行く。ちょうど紙幣と金貨の関係のようなものだ。大蔵省が日本銀行か何処かに準備金塊が積んであるとさえ極[きま]れば、それを当[あて]にして、しまいには其の当も忘れて、ただ空な紙切が、それみずから実価のあるように取扱われて、次から次へと運転されて行く。紙幣を握った奴が一々それを銀行へ金貨と換算しに行った日には騒ぎである。世間の思想家が、兎に角善いと思った思想を思想だけで広げて行く。当人は必ずしも実行家でなくとも、必ず何処かで何等かの条件の下に実行されると信じさえすれば、其の信念が準備金貨になる。勿論時としてはこの準備金貨の無い濫発紙幣も思想界には交る。それが世間である。それでいて、我々は、一方世間なみに空な思想を運転しながら、一方にはそれが一々自分の手で実行の黄金にならぬと言ってもどかしがっている。
茲[ここ]まで考えていると、取次のものが来客だという。ぼんやりとして書卓を立った。立ち際に今一度見廻すと、そこら中一面に漲った頽廃の空気-義務に疲れ、義務に老い行くものの頽廃の空気が、書冊の香[にお]いに交って漂っている。