「妻の悪口(漱石日記から悪口だけ抜書) - 夏目漱石」岩波文庫漱石日記 から

 

「妻の悪口(漱石日記から悪口だけ抜書) - 夏目漱石岩波文庫漱石日記 から

大正3(1914)年

妻は私が黙っていると決して向うからは口を利かない女であった。ある時私は膳に向って箸を取るとその箸が汚れていたのでそれを見ていた。すると妻が汚れていますかと聞いた。それから膳を下げて向[むこう]へ行った時、下女にまたこっちから話させられたといった。(これは去年の事である。)近頃は向から話す事がある。私にはそれが何の目的だか分らない。
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私のうちに若い人の細君がくると私が応対する。妻も女だから義理で出てくる。ある時ある人が来た時もその通りであった。すると彼女は下女に出ないとまた何かいわれるからといっていた。すべて私の耳に這入[はい]るような這入らないような距離と音声でこういうことさらな事をいうのである。
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私の上着と下著が揃わないと妻は〇の着方がわるいからだという。仕方がないと上着と下著を縫いつけて着せる。私は着物の裏が横からはみ出した着物が嫌いである。それを叱るとこれまた着方がわるいのだという。そうして何年経っても改めない。現に今着ているのは着た最初から裏がはみ出している。
余所行[よそゆき]の胴着がむやみに袖口から顔を出す。妻は寸法が合っていると主張し取り合わない。二年ばかりすると妻は自分の方からユキはあっているが脊[せ]の縫目が曲がっているのであるとつげた。しかもその曲がり方は何でも一寸以上である。それは宅へ作ったのか裁縫屋へやったのか知らないが、もしそれを計るものさしがあるならまたそれだけの気があるなら、こっちで袖口が出ると注意した時によく調べてもよさそうなものである。
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妻は朝寝坊である。小言をいうとなお起きない。時とすると九時でも十時でも寝ている。洋行中に手紙で何時に起るかと聞き合せたら九時頃だといった。普通の家庭で細君が九時頃起きて亭主がそれ前に起きるのは極めて少ない。そんな亭主はベーロシヤとしか思われない。妻は頭がわるいという事をきっと口実にする。早く起きるとあとで仕事をする事が出来ない終日ぼんやりしていると主張する。それで子供が学校へ行ってしまって凡てが片づいた時分にのそのそ起きて来る。そのくせどこかへ約束があって行く時は何時だろうが驚ろくべく早く起きる。そうしてその日一日出あるいていながら別に頭痛の訴えも起さないから不思議千万である。近頃はそれが私より早く起きるようになった。これはわが家の七不思議の一つである。聞けば静坐で頭がよくなったのだ位いうから私は聞かずにいる。
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妻君の按摩も驚ろくべき現象の一つである。殆んど毎日のように按摩をする。それは女按摩と男按摩と両方である。この女按摩は大隈さんの所へ行ったりまたその親類の三枝といううちへ行ったりするので言葉遣が丁寧であるが、それが悉く矛盾で持ち切っている。自分の事や他の事で慎んでいうべき所へなさいましたとか遊ばしたとかいう。自分にはそれがわざといっているとしか聞えない。しかるに細君は芝居へ行ったり、有楽座に行ったりするときは決してこの按摩の必要を説いた事はない。娯楽は彼女に取って按摩以上の功力[くりき]があるように見える。
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木曜の面会日の晩に下女がちょっとというからみんなを待たせて行って見ると、妻が茶の間に寝ている。心臓がさっき急に痛くなったから医者に電話をかけてくれという。尤も今は何ともないが要心のためだからという。私はすぐ電話をかけた。心臓痙攣ではあるまいかと聞いたら医者のいうには心臓痙攣でそんなにしていられる訳のものではない。思うにリョウマチ位なところだろう。もし痛くなったら私の持薬に用いている薬を飲ませらといった。しかるに私の粉薬は無論重曹剤[じゆうそうざい]で酸を中和する胃病の薬である。私は妻にその旨を話したら妻は別段怪しい顔もしなかった。この前も胸がいたいとか頭がどうとかで医者を迎えにやったら医者は診察してどうもないような事をいった。その時医者の顔にはありありとこんな馬鹿気た事で人をわざわざ呼んで騒がせる方があるかといわぬばかりの表情があった。その前から妻はヒステリーに罹[かか]るくせがあったが、何か小言でもいうときっと厠の前で引っ繰り返ったり縁側で斃[たお]れたりする。その度数が重なると私は彼女の誠実をさえ疑った。今、医者の様子を見た私は果たせるかなと思った。翌日妻は私が起きたら横になっていた。私はわざわざ大あくびをした。それ切り妻に何ともいわなかった。妻もやがて起きて平生の如くにしていた。

 

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今度の病気になってからまた容体[ようだい]がそう軽くないという事が分ったら妻は看護婦を呼んだ。大久保とかいう去年のと同じ奴でバイブルを読む切り口上の女である。しかるとこの看護婦が来ると妻君は私の病室へ滅多に顔を出さなくなった。ただ医者が診察に来た時だけ出てくる。だから医者が容体を聞いても答えられない事がある。その上医者が来て自分の枕元へ坐るときっとアクビをするのを例のようにした。それ切り妻に何ともいわなかった。妻もやがて起きて平生の如くにしていた。
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植木屋が幾日でも来る。妻が勝手に命令して庭木を移植させたり妙な石を庭に敷いたりする。以後自分の命令でやれというとへいと答える。そうして五、六日するとまだ来ている。そうして下女部屋の掃除をしている。何故おれに聞かないか、貴様のとる銭はおれの銭で妻の銭ではないといってやる。すると翌日朝恭[うやうや]しくおれの前へ出て、旦那様芭蕉の霜除は如何致しましょうと聞く。いつもは俵を使って拵えますがという。そんならそうしろと答える。この植木屋は馬鹿である。しかし人にこれほど丁寧な言葉を使うくせに子供や妻に対しては非常に横風である。
妻が鈴木の葬式の時に羽二重[はぶたえ]の喪服をこしらえる。しかもそれを何ともいわない。拵えたあとでこの間喪服の安いのを拵えたが云々とあたかも既に人の許可を受けたあとの口調である。
十二月から会計は自分がやる事にする。十一月は小使いをのぞいて四百十円か二十円である。妻は筆子のために毎月十五円を貯蓄銀行にあずけ始めた。これも私には相談しない。五年たつと千円位になるといっている。
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妻が三越へ行ってメリンスの裏と襦袢[じゆばん]の裏と純一と伸六の綿セルの上っ張りを買ってくるという。いくら入ると聞くとほぼ十五円というから紙入のなかにある二十円を渡して、ついでに羽二重の頸巻[えりまき]を買って来てくれと頼んだ。妻は帰って羽二重の頸巻の黒いのを出した。真黒な頸巻は思いも寄らない事である。何故黒を買ったのかというと白いのは家にあるからだという。白いのはあるにはあるが汚点だらけでしかも小さくって駄目だから頼んだのである。細君はそんなことは知らないといって澄ましている。三越からあとの買物は届けるはずだというから一所に白いのを持って来て取り替えてもらえと電話をかけさせる。妻は電話をかけるひまもないのにすぐ出て来て、黒いのを持って来てくれなければ替えられないという返事だという。自分はもう一遍かけろと命じて電話のそばに食付いて監督していた。かけるのと談判をするのでも五、六分はかかる。そうして先方では黒いのを持って来なければ取替えられないとも何ともいわない。自分が出て電話口で談判をする。白いのは三円で黒いのは三円二十銭だから持って行っても構わないが二十銭あまるという。二十銭位どうでも差支ないというとこっちはそうは行きません、から二十銭のハンケチでもつけましょうという返事である。