(巻三十六)再びは生まれ来ぬ世か冬銀河(細見綾子)

(巻三十六)再びは生まれ来ぬ世か冬銀河(細見綾子)

2月18日土曜日

穏やかに晴れた。朝家事は洗濯、電気掃除機がけ、台所換気扇のフィルター張り替え、毛布干し、生協へのお使い。老師からの指図で作務・修行をしていた方が心穏やかでいられるから、ハイハイと従う。

朝食にみかんを一つ食べているが、みかんの季節も終わったようで、先ず小粒みかんが売場から消え、今日は中みかんの袋が百円値上がりしていた。みかんからバナナへの切替を老師に申し上げていたが、今日を切替日として一房5本の小さなバナナを135円で買った。1個百円近くするみかんを食べる気にはなれず。

みかんからバナナに変えて朝の卓(亀)

ふと思いたって関税率表でバナナの関税率を調べてみたら、やはり季節関税で4月1日から9月30日の間の方が残りの期間、つまりみかんやリンゴが出回る冬よりも関税率が低い。冬はバナナの少なくともWTO協定税率を上げてみかんやリンゴを有利にしているという訳だ。各国別に税率が決められている経済協力協定(EPA)税率のレベルではどうなのだろう。バナナを含む果実は8類に所属して0803項に分類されていますので、興味があれば添付の税率で確認してみてください。

https://www.customs.go.jp/tariff/2023_01_01/data/j_08.htm

バナナ食ふ女のエゴはゆるすべし(行方克己)

バナナは夏の季語でした。

昼飯喰って、一息入れて散歩に出かけた。ここのところ顔本グループ「立食いそばうどんの会」の投稿を楽しんでいる。ロマンスあり、ファミリー物語あり、もちろんそば通たちの品評ありのグループで、(自分のことは棚に上げて)ネガティブなコメントや暗い吐露がないので安心して読み流せる。皆さんが立食いそばうどんが旨い美味しいと書くので食べたくなり駅前のそばスタンドを覗いてみるかと路地を歩いた。しかし三丁目に入る辺りになっても昼飯の満腹感が抜けない。ここで詰め込むとまた腹を壊すことになりそうなので計画を中止し一丁目へ戻った。今度、腹を空かせて天玉うどんに挑もう。蕎麦屋では蕎麦を喰うが、立ち蕎麦ではうどんにしてしまうなあ。

願い事-涅槃寂滅、酔生夢死です。

最近、

「笑う門には福きたる - 木原武一」快楽の哲学 NHK Books から

を読んだが、上機嫌で死んでいきたいと思う。死ぬ時だけ上機嫌になるのは難しいだろうから日頃の修行が要る。少なくとも日々不機嫌は回避したいと思う。どうせ死んでしまうのだから。

立食い天玉うどんは食えなかったので、駅そばを読んだ。

「駅そば - 小林勇」日本の名随筆93駅 から

駅蕎麦のホームに届く葱の束(塩川祐子)

「駅そば - 小林勇」日本の名随筆93駅 から

駅で売っている弁当を駅弁というのだから、駅そばといってもいいのだろうと思う。駅弁は、買って、多くは汽車の中へ持ち込むのだが、そばはプラットホームなどで立っていて急いで食うところが違う。

駅でそばを売り出したのは、いつ頃で何処が最初か私は知らない。しかし私のかすかな記憶を辿って見ると、五十年くらい前に、横川か軽井沢で売っていたと思う。横川と軽井沢では、機関車を取り換えるため、五分か十分停車したので、旅客も悠々とプラットホームを歩いて、息をぬいたものだ。

それに、そばは信州の名物とされていたから、軽井沢あたりが最初か、そうでなくても、ともかく早い方だったと考えて差支えあるまい。今のように早業で客に丼を出せなかったから、停車時間の長い駅の必要もあったのだろう。

最近は東京都内や周辺の駅にもだんだん設けられ、いずれも繁昌しているようだ。繁昌するにはそれだけの理由がある。安く、その割にうまくて早いからだ。

そばは以前上等の食いものとは考えられていなかったと思う。うまいそばは通人の愛するものであったろう。しかし一般的には大衆の安あがりの食物とされていた。そば屋は、どこの街のも貧しげな構えであった。そば屋が今のように客が多くなったのは、戦後のことだ。昔は夜も仕事をして、銭湯にゆき、空腹になってぬれた手拭と石鹸箱をもったまま、そば屋によって、かけかもりを一杯食うというのが私たち丁稚小僧のたのしみだった。

近頃は、少しうまいと評判になると、会社の車にのった重役などがやって来て、通人ぶって、ずるずるやっている。同じそばを売っているところでも安くうまいとなると、働く人や、学生や若い人が集っている。貧しい人が多い証拠だ。

私も駅そばの愛好者の一人だ。丁度昼飯時に、病院へ行っているので、食いそびれることが多い。電車の乗り換えの駅のホームにそばやがある。一度試みに、そこでやって見た。寒い日だった。風の吹き通す所で天ぷらそばを食ってみると意外にうまい。寒い時の空腹だからだけとは考えられなかった。注文すると間髪を入れずに出して貰える。熱い奴に、薬味のねぎをたっぷり投げ込んで、食い出すと、上にのせてある名ばかりのかきあげに汁が滲みてやわらかになり、厚いころもが溶け出して、汁がうまくなる。

早くて安くてうまいという三拍子が揃っているのだから、食物通と称するしゃれ者の叱言など通用しない。駅そばやでは、そばのもり、かけ、天ぷらそば・うどん、玉子そば・うどんを売っている。一番多く出るのは、天ぷらそばだ。こういう所へ来る人は、それがうまいことをよく知っているのだ。

狭い作業場の中には、二、三人の小母さんたちがなれた手順で客の注文をさばいている。客が立つとすぐ注文をきき前金をとる。もり、かけ百二十円、天ぷら百六十円だ。用意してある、丼入りのそばに天ぷらを一個のせる。煮えたぎっている汁をたっぷりかける。汁の鍋は深い桶のような形で、ガスの火が下に見える。汁が少し減ると別の缶から加え、それが沸くまでは、他の鍋のを使っている。

或る日、それまで見たことのない爺さんがもたもたしてやっていた。客がかけを注文すると、ぬるくなった方の汁をかけて出した。まずいなと思って見ていると、客は二口、三口食うと丼を投げ出して、「生ぐさい」といってしまった。

夏でも熱い天ぷらそばがよく売れる秘密がここにあると思った。駅そばは、あらかじめゆでたのを玉にしてあるのだから、熱い汁、天ぷらがその特色を助け欠点を補うのだ。

初代吉右衛門は、そばを食いにゆくと、もりと天ぷらそばを注文し、もりを食ってから天ぷらをゆっくり食った。或る食物にやかましい人が、そば屋で酒をのむ時、天ぷらそばをとり、ゆっくり飲んでいて、そばはのび、天ぷらのころもが溶けるのを肴にするといった。天丼は飯になじんだ頃食うのがうまいのと同じことであろう。