「無題 ー 立川談志」文春文庫 そばと私 から

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「無題 ー 立川談志」文春文庫 そばと私 から
 

「オイ、どうでぇ、縄ァたぐって、湯でも入(へえ)るか」.....なんていう会話を、江戸っ子はよくしたという。
“ 縄ァたぐる”とは、そばをたべることでなんとも江戸っ子の職人衆らしい、イキで、乱暴な、いい言葉だ。
吉原へ遊びにいっての朝帰りに、不忍の池の連玉庵で、“ぽかっ”と開く蓮の花を見ながら、縄ァたぐるっていう図なんざァ、さぞかしオツなもんだったろう。
腰の強い細いそばを、安くてオツなのせもの(くいもの)として、江戸っ子は仲良くしていたのだ。湯銭と同じぐらいの値段だったというのも気に入っていた。
サツマ芋をドヂ棒と呼ぶ彼等は、逆にうどんをヤボなたべものとしていた。
噺の中に「宿屋の富」という名作があって主人公の文無しが、宿屋の主人に大きなことを吹く。その揚句、一分で富の札を買わされたところ、何とその札が千両富に当るというお馴染みの一席だが、その中で、主人公が椙(すぎ)の森神社へ出掛けていくと、富の当日で一杯の人、ワァワァ、ガヤガヤ騒いでいる。
“千両当てたいですネ”
“いや、私しや千両当らない”
“どうして.....”
“昨夜(ゆん)べ神様が夢枕に立っていうのにやァ、今回は都合によって千両は駄目だ、その代り、二の富の五百両を当ててやると言われてネ”
“ホントかい、で五百両当ったら、どうするの?”
と聞かれてその男は大きな財布をこさえて、これに小粒に替えた五百両を入れて吉原へ、女を身受けして、どっかへ囲って、朝起きて湯に入って、帰ってくると、一杯のんで、女と寝て.....と夢の世界を、さも目の前に五百両があるかの如く語る。聞いてる連中が、
“そりゃア、当ってからの話だろ”
“当らなかったら、どうするんだいッ”
“うどんを食って寝ちゃう”
というわけだが、この「うどん」が実にいい。つまり、吉原の女を身受けするというイキな栄華に対して、いかにも野暮な現実があるわけで、同じ値段のたべものでも、これが「そば」となると、イキに聞えてくすぐり(ギャグ)にならないのだ。
もっとも本来は、上方の「高津の富」という噺を江戸前に改作したのだから、関西で、ただ安いものというだけの意味で「うどん」といったのかも知れない。
別に関西では、うどんはそれほど野暮なものとはしていない筈である。ところが、これを関東で演じると、なんとも「うどん」が可笑しいのだ。
この他にも、そばを扱った噺に、そばを何十枚もたべる、そば喰い競争のチャンピオンになった清(せい)さんの「そば清」、お馴染みの勘定を一文誤魔化す「時そば」、殿様が御手製のそばを家来衆にたべさせ、家来一同を大いに悩ます「そばの殿様」など多い。
しかしこのイキなたべもののそばが、近頃イキでなくなっちゃった。
店の中をイキな造りに替えて、イキを気取って、法外な値をとる老舗づらしたそば屋が多い。曰く、「本場ナニナニそば」と、いう手合である。
中には、ざるそば一枚四、五百円もとろうなんていうべら棒な店もあるという。そばの奴ァ、さぞかし肩身の狭い真似をしているだろうと、私は思う。
麻布の長寿庵の八十円の「かけ」は美味しい。気取りなんてまるでない。並みの街のそば屋だ。もっとも八十円ぢやァ、気取ろうたって無理かも知れないが.....とにかく結構な舌ざわりだ。(つゆがチト甘いのが荷だが)
私は弟子をこの店へ連れていって言う。
“いいか、噺家なんだから、そばの美味しいのをよく覚えておけよ”
そしてその縄のたぐり方に、いちいち注文をつける。
“こら、そばを途中で喰いちぎる奴があるか、汁(つゆ)の中にそばを落として、かきまぜる奴があるかよォ、そんなにたっぷりつゆをつけるな、ドヂな奴めッ”
“残すんぢゃないよ、そばを残すベラ棒があるか。ライスカレーはどうくってもいいが、そばはちゃんとイキに喰え”
.....てなもんである。
江戸の小噺に、そばっ喰いが死に際に一言いう。“一度でいいから、つゆをたっぷりつけて、そばを喰いたかった”
そばって奴ァ、イキなんだよ、イキがって喰うものなんだよ-