(巻三十六)ビル風と云へど五月の風にして(横川満)

(巻三十六)ビル風と云へど五月の風にして(横川満)

3月24日金曜日

曇り、北側の部屋にもウグイスの鳴き声が届く。

細君が白鳥生協の2階にある歯科の下見をしたいので地図を描いて、ついでにそこまで連れて行けと仰る。最近では開き直って方向音痴を一つの才能のように云うところがある。

そう云うわけでご案内いたした。買い物も終ったから、マッいいか。

そうそう、文具売場でセロテープを買ったのだが、そばの棚に学童用の携行防犯警報器があったのを衝動買いしていた。ランドセルなどに着けておいて、変なおじさんが来たら鳴らすやつだ。93デシベルの警報音が鳴るらしい。衝動買いに走るのも仕方無い世相か⁉

宿かせと刀投げ出す吹雪かな(蕪村)

帰宅して、洗濯をして、昼飯喰って、一息入れて、座椅子に寝ころがって、2時半過ぎに散歩に出た。雨が落ちてきそうだったので真っ先にクロちゃんに挨拶した。挨拶が終わったあたりで雨が降りだし、慌てて帰宅。今日も呑まずに過ごした。

うつむきて歩けば桜盛りなり(野坂昭如)

今日は、

https://www.bbc.co.uk/programmes/w3cszv6s

に挑む。内容的に難度Aクラスだ。空手キッドに触れるところがあるが仔細には理解できていない。いわんや書き取りはとてもできない。いつか、いつかだな。でも別に叶わなくても構わない。

寝酒もいたさず、二日抜いた。寝酒をせぬ代わりに寝大福、寝饅頭、寝草餅と、体に良くないことは続いている。

願い事-涅槃寂滅、酔死か即死。

嵐山光三郎氏の随筆中に志賀直哉のことが書かれていたので、

「城の崎にて - 志賀直哉岩波文庫 日本近代随筆選 3 から

を読み返してみた。

冬蜂の死にどころなく歩きけり(村上鬼城)

「城の崎にて - 志賀直哉岩波文庫 日本近代随筆選 3 から

山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした。その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。二、三年で出なければ後は心配はいらない、兎に角要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上 - 我慢出来たら五週間位居たいものだと考えて来た。

頭は未だ何だか明瞭(はっきり)しない。物忘れが烈(はげ)しくなった。然(しか)し気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。稲の穫入(とりい)れの始まる頃で、気候もよかったのだ。

一人きりで誰も話相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前の椅子に腰かけて山だの往来どのを見ているが、それでなければ散歩で暮していた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ登りになった路にいい所があった。山の裾を廻っているあたりの小さな潭(ふち)になった所に山女が沢山集っている。そして尚よく見ると、足に毛の生えた大きな川蟹が石のように凝然(じっ)として居るのを見つける事がある。夕方の食事前にはよくこの路を歩いて来た。冷々とした夕方、淋しい秋の山峡を小さい清い流れについて行く時考える事は矢張り沈んだ事が多かった。淋しい考だった。然しそれには静かないい気持がある。自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば 、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もその儘で。祖父や母の死骸が傍(わき)にある。それももうお互い何の交渉もなく、 - こんな事が想い浮ぶ。それは淋しいが、それ程に自分を恐怖させない考だった。何時かはそうなる。それが何時か? - 今迄はそんな事を思って、その「何時か」を知らず知らず遠い先の事にしていた。然し今は、それが本統(ほんとう)に何時か知れないような気がして来た。自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、 - 中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。実は自分もそういう風に危うかった出来事を感じたかった。そんな気もした。然し妙に自分の心は静まって了(しま)った。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起っていた。

自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。その羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑(とらふ)の大きな肥(ふと)った蜂が天気さえよければ、朝から暮近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいから摩抜(すりぬ)けて出ると、一ト先ず玄関の屋根にに下りた。其処で羽根や触角を前足や後足(うしろあし)で叮嚀に調えると、少し歩きまわる奴もあるが、直ぐに細長い羽根を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛立つと急に早くなって飛んで行く。植込みの八つ手の花が丁度咲きかけで蜂はそれに群ったいた。自分は退屈すると、よく欄干から 蜂の出入(ではい)りを眺めていた。

或朝の事、自分は一疋の蜂が玄関の屋根で死んで居るのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へたれ下がっていた。他の蜂は一向に冷淡だった。単に出入りに忙しくその傍を這いまわるが全く拘泥する様子はなかった。忙しく立働いている蜂は如何にも生きている物という感じを与えた。その傍に一疋、朝も昼も夕も、見る度に一つ所に全く動かずに俯向きに転っているのを見ると、それが又如何にも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日程その儘になっていた。それは見ていて、如何にも静かな感じを与えた。淋しかった。他の蜂が皆(みんな)巣へ入って仕舞った日暮、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見る事は淋しかった。然し、それは

如何にも静かだった。

夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根も綺麗に洗われていた。蜂の死骸はもう其処になかった。今も巣の蜂共(ども)は元気に働いているが、死んだ蜂は雨樋(あめどい)を伝って地面に流し出された事であろう。足は縮めた儘、触角は顔へこびりついたまま、多分泥にまみれて何処かで凝然(じっ)している事だろう。外界にそれを動かす次の変化が起るまでは死骸は其処に凝然としているだろう。それとも蟻に曳かれて行くか。それにしろ、それは如何にも静かであった。忙(せわ)しく忙しく働いてばかりいた蜂が全く動く事がなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は「范(はん)の犯罪」という短編小説をその少し前に書いた。范という支那人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉妬から、そして自身の生理的圧迫もそれを助長し、その妻を殺す事を書いた。それは范の気持を主(しゅ)にして書いたが、然し今は范の妻の気持を主にし、仕舞に殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。

「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分にはそんな要求が起っていた。その前からかかっている長編の主人公の考とは、それは大変異(ちが)って了った気持だったので弱った。

蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もない時だった。ある午後、自分は円山川(まるやまがわ)、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園に行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真中をゆるやかに流れ、円山川へ入る。或所迄来ると橋だの岸だのに人が立って何か川の中の物を見ながら騒いでいた。それは大きな鼠を川へなげ込んだのを見ているのだ。鼠は一生懸命に泳いで逃げようとする。鼠には首の所に七寸ばかりの魚串が刺し貫(とお)してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上ろうとする。子供が二、三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々(なかなか)当らない。カチッカチッと石垣に 当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。鼠は石垣の間に漸く前足をかけた。然し這入(はい)ろうとすると魚串が直ぐにつかえた。そして又水に落ちる。鼠はどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが動作の表情に、それが一生懸命である事がよくわかった。鼠は何処かへ逃げ込む事が出来れば助かると思っているように、長い串を刺された儘、又川の真中の方へ泳ぎ出た。子供や車夫は益々面白がって石を投げた。傍(わき)の洗場の前で餌を漁っていた二、三羽の家鴨(あひる)が石が飛んで来るので吃驚(びっくり)し、首を延ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水に投げ込まれた。家鴨は頓狂な顔をして首を延ばした儘、鳴きながら、忙(せわ)しく足を動かして上流の方へ泳いで行った。自分は鼠の最後を見る気がしなかった。鼠が殺されまいと、死ぬに極(きま)った運命を担いながら、全力を尽して逃げ廻っている様子が妙に頭についた。自分は淋しい嫌な気持になった。あれが本統なのだと思った。自分が希(ねが)っている静かさの前に、ああいう苦しみのある事は恐ろしい事だ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまではあの努力を続けなけらばならない。今自分にあの鼠のような事が起ったら自分はどうするだろう。自分は矢張り鼠と同じような努力をしはしまいか。自分は自分の怪我の場合、それに近い自分になった事を思わないではいられなかった。自分は出来るだけの事をしようとした。自分は自身で病院をきめた。それへ行く方法を指定した。若し医者が留守で、行って直ぐに手術の用意が出来ないと困ると思って電話を先にかけて貰う事などを頼んだ。半分意識を失った状態で、一番大切な事だけによく頭の働いた事は自分でも後から不思議に思った位である。しかもこの傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。然し、致命的のものかどうかを問題としながら、殆ど死の恐怖に襲われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?、医者は医者は何といっていた?」こう側にいた友人に訊いた。「フェータルな傷じゃないそうだ」こう云われた。こう云われると自分は然し急に元気づいた。亢奮(こうふん)から自分は非常に快活になった。フェータルなものだと若し聞いたら自分はどうだったろう。その自分は一寸(ちょっと)想像出来ない。自分は弱ったろう。然し普段考えている程、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そしてそういわれても尚、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。それは鼠の場合と、そう変らないものだったに相違ない。で、又それが今来たらどうかと思って見て、尚且(なおかつ)、余り変らない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で希う所が、そう実際に直ぐは影響はしないものに相違ない、しかも両方が本統で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それは仕方のない事だ。

そんな事があって、又暫くして、或夕方、町から小川に沿うて一人段々上へ歩いていった。山陰線の隧道(トンネル)の前で線路を越すと道幅が狭くなって路も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までいう風に角を一つ一つ先へ先へと歩いて行った。物が総て青白く、空気の肌ざわりも冷々として、物静かさが却(かえ)って何となく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が路傍(みちばた)にある。彼方(むこう)の、路へ差し出した桑の枝で、或一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れの他は総て静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラと忙(せわ)しく動くのが見えた。自分は不 思議に思った。多少怖い気もした。然し好奇心もあった。自分は下へいってそれを暫く見上げていた。すると風が吹いて来た。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。

段々と薄暗くなって来た。いつまで往(い)っても、先の角はあった。もうここらで引きかえそうと思った。自分は何気なく傍(わき)の流れを見た。向う側の斜めに水から出ている半畳敷程の石に黒い小さいものがいた。イモリ(難漢字)だ。未だ濡れていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾斜から流れへ臨んで、擬然(じっ)としていた。体から滴(したた)れた水が黒く乾いた石へ一寸ほど流れている。自分はそれを何気なく、しゃが(難漢字)んで見ていた。自分は先ほどイモリは嫌いでなくなった。蜥蜴は多少好きだ。屋守(ヤモリ)は虫の中でも最も嫌いだ。イモリは好きでも嫌いでもない。十年程前によく蘆ノ湖でイモリが宿屋の流し水の出る所に集っているのを見て、自分がイモリだったら堪らないという気をよく起した。イモリに若し生れ変ったら自分はどうするだろう、そんな事を考えた。その頃イモリを見るとそれが想い浮ぶので、イモリを見る事を嫌った。然しもうそんな事を考えなくなっていた。自分はイモリを驚かして水へ入れようと思った。不器用にからだを振りながら歩く形が想われた。自分はしゃがんだまま、傍の小毬程の石を取上げ、それを投げてやった。自分は別にイモリを狙わなかった。狙ってもとて(難漢字)も当らない程、狙って投げる事の下手な自分はそれが当る事などは全く考えなかった。石はこツといってから流れに落ちた。石の音と同時にイモリは四寸程横に跳んだように見えた。イモリは尻尾を反らし、高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思って見ていた。最初石が当ったとは思わなかった。イモリの反らした尾が自然に静かに下りて来た。すると肘を張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、イモリは力なく前へのめって了った。尾は全く石についた。もう動かない。イモリは死んで了った。自分は飛んだ事をしたと思った。虫を殺す事をよくする自分であるが、その気が全くないのに殺して了ったのは自分に妙な嫌な気をさした。素(もと)より自分の仕た事ではあったが如何にも偶然だった。イモリにとっては全く不意な死であった。自分は暫く其処にしゃがんでいた。イモリと自分だけになったような心持がしてイモリの身に自分がなってその心持を感じた。可哀想に想うと同時に、生き物の淋しさを一緒に感じた。自分は偶然に死ななかった。イモリは偶然に死んだ。自分は淋しい気持ちになって、漸く足元の見える路を温泉宿の方に帰って来た。遠く町端(まちはず)れの灯(ひ)が見え出した。死んだ蜂はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入って了ったろう。あの鼠はどうしたろう。海へ流されて、今頃はその水ぶくれのした体を塵芥(ごみ)と一緒に海岸へでも打ちあげられている事だろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。然し実際喜びの感じは湧き上っては来なかった。生きて居る事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった。それ程に差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は 遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確(ふたしか)だった。只頭だけが勝手に働く。それが一層そういう気分に自分を誘って行った。

三週間いて、自分は此処を去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。