(巻三十七)五月雨や湯に通ひ行く旅役者(川端康成)

(巻三十七)五月雨や湯に通ひ行く旅役者(川端康成)

5月21日日曜日

曇り。朝家事はなし。毛布を干した。

日頃、読むものがないと口にしていたものだから、細君がラジオと新聞で紹介されていた、

『東大8年生「自分の時間の歩き方」-タカ サカモト』

『街の牧師の祈りといのち-沼田和也』

を読んでみてはと云ってきた。

図書館ネットを捲ってみたら、両方とも蔵書にあったので予約してみた。‘東大’の方は11人待ちだが、‘街の’の方は一人目だった。何れにせよ金がかからないからやってみることで手銭となれば呑まない。

昼前に生協へ頼まれたお米、と自分のバナナ、納豆を買いに出かけ、往きにトイちゃんに一袋。

昼飯喰って、一息入れて、瞑想せずにコチコチ打ってから散歩に出た。日射しは強くないが結構暑い。稲荷のコンちゃんと都住3のクロちゃんを訪ねたが、2匹とも暑さに参ってグタッとしていて反応しない。夕方涼しくならないと食欲もわかないらしい。

白鳥のファミマでアイス珈琲を喫して帰宅。

写真は亀中正門脇の紫陽花。

願い事-涅槃寂滅、一発コロリン!

Nice Workの第1章が終わり、一方の主人公Victor Wilcoxの輪郭が現れた。

The Economist

Dec 16 2010 The U-bend of life - Age and happiness

では人生の底、一番厳しいところが

48歳あたりとされているが、Vicは46歳。40歳ころ予習を兼ねて読んだ小説だ。今、予習すべき書物は御経か。U-bendを過ぎて二十余年。幸せになれない性格だから仕方がない。

Everything hangs on one's thinking....

A man is as unhappy as he has convinced himself he is. Seneca

出てくるんじゃなかった。もういい!

で、何となく

「私の人間味 - 松尾スズキ」人生の謎について から

を読み返してみた。

「私の人間味 - 松尾スズキ」人生の謎について から

自分は親戚というものが苦手である。肉親すらも歳をとればとるほど嫌になっている。血がつながっている、というのが生理的に気持ち悪いのである。どこか似ているというのが許せないのである。それが人としてそうとう欠落した感情であるというのも十分わかっている。

小さい頃から、父や母の田舎に家族で帰るのが苦痛でならなかった。自分と同じ歳ぐらいのいとこたちと遊ぶのがまず嫌なのである。そもそも私は子供のくせに子供が苦手だったのだ。子供の遊びは、とくに男子は、いつでも勝ち負けがつきまとう。それがきつい。私は、たいがいのゲームで負けるのである。それは今でもである。ジャンケンすら負ける。だいたいグーを出してしまうからだ。

だから、どちらかというと大人といるほうがよかった。父が佐賀、母が鹿児島で、方言がきつくて、大人は半分がた何を言っているのかわからない。それが楽だったし、大人は子供をちやほやしてくれるし、大人と勝ち負けを競うようなことはまずないからだ。それでも、やはり、親戚といる時間は「がんばらないといけない」時間であることには変わりはなかった。私は、家にいるときにはお絵描きばかりしている子供だったが、親戚の前ではなぜか歌ったり踊ったりする愉快な子を必死に演じていたからだ。人間が苦手でもサービス精神だけはある。それも今でも変わらない不思議なメンタリティである。

上京して九州の親戚たちとはまったく没交渉になった。三十年以上叔父や叔母、いとこたちとあったことがない。非常に楽だ。甥や姪に関してはがんばっていた時期もある。うろ覚えだが、竹内久美子さんというおもしろいシモネタを多用する動物行動学者の方がなにかの本で、甥っ子や姪っ子は大切にしたほうがいいと書いていたからだ(どういう理由で、かも忘れてしまったが)。

兄の長男が東京でギターの専門学校に入っていた頃は、家に呼んだり、食事に誘ったり、自分の芝居を見せたりもしていた。しかし、正直甥っ子との時間は苦しかった。私以上に内気で、とにかく全然喋らないのである。

「学校で、どんな曲の練習してるの?」

「……オブラディ・オブラダ」

大丈夫か?と、私は戦慄したものだ。東京でギターの学校へ通いプロになろうとするほどの人間というものは、すでに、私生活でツェッペリンぐらい弾き鳴らすものだと思っていたからだ。あんのじょう長続きせず、甥っ子は田舎に帰った。そして、しばらくして兄が死に、前にも書いたが、私が借金して買った父の仏壇が、兄の入っている宗教団体によって燃やされたと後から聞いて、私は兄家族と一切の縁を切った。なんのためらいもなかった。元々兄家族は、お金でごたごたし過ぎていて、付き合っていてもろくなことがないのはわかっていた。

姉とも些細ないざこざが積もり積もって五年ほど前、縁がなくなってしまった。

これに対しては忸怩[じくじ]たる思いがある。姉の旦那がどこかへ行ってしまい、私が離婚して一人でいた頃、心配した姉が上京して家まで来てマッサージをしてくれた。お互いの傷をなめあいながら、肉親というのはいいものだなあ、という、私にしてはウェットな感情に包まれたこともあったのだ。

しかし、今は一切連絡はとりあっていない。それになんの後悔もない。

人間を優しいタイプとそうでないタイプに二分するとすれば、どちらかというと、私は優しいタイプだと思うし、無理に二分などせずともそうありたいと願っている。

しかし、「血のつながっている人」にだけは苦手意識があるし、だからこそ、自分の子供を作る気もないのだ。

人ともっとつながりたいと思っている。だからこそ、このように自分のプライバシーをさらけ出す仕事をしている。でも、人がプライバシーに近づきすぎると、ゾッとして逃げていく。この繰り返しである。おおむね幸せに過ごしているが、そのややこしい矛盾を抱えている点において、とてつもなく寂しく思うことがある。寂しさが頂点に達したとき、私は、マンションの前を通る電車に窓から手をふったりする。バカと思われてもいい。そうでもしないと、寂しくていたたまれなくなるのだ。

この間、姉の息子から初めてメールが来た。おじさん、人との縁はそう簡単に切れるもんじゃないですよ、と、優しく諭するような内容だった。そして私はこれに対して、闇金からの督促状が来たように怯えたのだった。

なにかの病気なのかな。

揺れている、甥のメールを着拒にするかどうかで。心がうっすら患いそうになるほど。でも、揺れているところがまだまだ、人間味があるな、とは思うのである。

人生って、なんなんだ。