「滝田ゆうと玉の井と - 吉行淳之介」日本の名随筆 色街 から

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滝田ゆう玉の井と - 吉行淳之介」日本の名随筆 色街 から

現在、私の机の上に、玉の井界隈の精細をきわめた地図があって、これは滝田ゆう手描きのものである。「コクヨ」の原稿用紙の裏を全面使ったものだが、学校や神社や稲荷や交番はもちろん、カドの酒屋まで描いてある。隅田川にはポンポン蒸気が走っており、白髭橋の傍にはガスタンクの絵が描いてある。
この地図自体がすでに滝田ゆうの作品世界を彷彿とさせる貴重なもので、大切に保存しておこうとおもっている。
なぜこういう地図がここにあるか。私は戦前の玉の井は知らなくて、空襲で焼けたあとの戦後、隅田川に近いところに「鳩の街」という赤線地帯があたらしくでき、「玉の井」は以前よりも寺島町(現・東向島)七丁目寄りに移ったという知識をもっていたのだ。
その点について、編集の人に確認をたのんだところ、この地図が届いてしまった。滝田さんも、さぞ手数がかかったろう。ただ、この地図を見ていると、まるで滝田さんの頭に染み込んでいる地図をそのままスラスラと紙の上に描いたようにおもえてくる。滝田ゆうはいまでも玉の井に住んでいるような錯覚を起こしがちだが、その土地で過ごしたのは幼少時代である。子供のときの記憶は根強いから、地図を描くことも可能かもしれないが、鳩の街の地図も精しく書き添えられているから、これはやはりかなり厄介な作業だったとおもう。
ところで、この地図によると、玉の井は移動したのではなく、寺島七丁目のほうまで拡がったことになっている。もっとも、彼は昭和七年生れだから、終戦の年は十三歳で、多少の錯覚があるかもしれないが、そういうことは考証家に委せておけばいいだろう。
この地図には、白鬚のちかくの川岸にある「水神の杜[もり]」のところに、「三月十日の空襲のときここへ逃げて助かる」と説明がついている。この地図を描く作業には、懐しい気分も混っていたともおもえる。

私は根っからの漫画好きで、それもいまの大学生が半ばキザで漫画本を愛読しているのと違い、大層ハイブラウのものとして親しんできた。したがって、大部分の劇画には馴染めない。まず、絵が下手糞である。もっとも、エロな内容の場合、そのほうが猥雑感が実感につながりやすいのかもしれないが。
先年、イタリアの漫画家クレパックスの「ビアンカ」一巻を見たとき、その絵の上手さに呆れた。裸の女が矢鱈に出てくるが、線の硬質な切れ味のために、エロティシズムはあったが、エロではなかった。そのためか、わが国ではポピュラーになっていない。
クレパックスと対蹠的に、滝田ゆうの絵の線はあたたかくて人間味がある。私の好きな滝田ゆうつげ義春の作品は、劇画とはもちろんいえず、独立した一つのジャンルで、しいていえば「文学的雰囲気をもった連続画」とでもいうことになろうか。
この二人の作品で、しばらく忘れていた漫画への関心を私は取戻した。
滝田ゆうの作品全体の人間味は、やはり玉の井界隈のものである。銀座にも新宿にも、人間味がないわけではないし、新宿にゴールデン街という飲み屋が集まっている一画もあるが、やはりそことも違う。むかしを思い出して、赤線地帯に限定しても、その絵の味は新宿二丁目ではもちろんないし、亀有・小岩・立石でもないし、『抜けられます』という板ぎれがあちこちにあった鳩の街でさえない。やはり、玉の井である。

私の少年のころ、玉の井の話を聞く機会はしばしばあった。迷路のような路地の入口の屋台で飲む「電気ブラン」という酒の強さのことが、頭に染みついた話のうちの一つであった。戦後玉の井に出かけるようになって、さっそく試したのはその「電気ブラン」だったが、濃いワイン色で焼酎くらいの強さのもので、アテがはずれた気分になったものだ。戦前と戦後では、そういう酒も違ってきているし、娼婦が客からチップにもらった十銭玉を楼主に取上げられないように火鉢の灰の中に隠した、という有名な哀話も戦後にはなかったにちがいない。
だいいち、さらに有名な玉の井の娼家の窓(部屋の中の娼婦の顔がその小さな窓をとおしてすぐ傍に見える)もなく、女たちは店の前に立って威勢よく客を引張っていた。しかし、やはり玉の井にはほかの場所と違った独特の風情があったのを、私は鮮明に覚えており、その記憶が滝田ゆうの作品につながる。
さらに、はるかに重要なことは、その作品がその狭い場所の雰囲気を伝えるだけにとどまらず、広い世界に出ていってそこにいる人間たちをあたたかくしみじみと包むことである。つまり普遍性をもっていることで、これがなくては一部好事家の愛好する絵に終ってしまう。
ところで、滝田ゆうの絵の一つの特徴は、「吹出し」に小さな絵が描いてあることである。これが分るようで分らない場合もあり、分かる必要もないのだが、やはりはっきりしたほうが落着く。
石堂淑朗は、女の子がプラットフォームにスーツケースを置いて悄然としている絵の吹出しに、蟹が描いてあるのをみて、
「この女は、いま都落ちするストリッパーで、彼女は横這い状態にあるんだ」
と、ほかの人に説明していた、という。作者のつもりでは、畳の上に蟹を置くと、ガサゴソと横這いして、その音がわびしい感じである、といったところだそうだが。
石堂淑朗がシャレでいったかどうかは分からないが、こういう風に珍妙なコジツケをしてみるのもおもしろい。解釈は、場合によっては理に落ちてシラケるが、滝田さんの絵の場合、逆に笑いを誘うところに興味がある。滝田さん自身、屋根の上にうずくまっている猫の「吹出し」の中に、三味線とその撥[ばち]を描いているが、こういうストレートな「吹出し」も、理に落ちる感じはなくてほほえましさ与えている。
その作品の一つ二つを取上げてみても、木が一本生えた無人島・出刃包丁・落下してきたドクロ・尿器・金槌・電球など、そのほかしばしば見かけるものに、風鈴・蚊遣り器・ジョウロ・鼻緒の切れた下駄などなどがある。
そして、これらにどんな阿呆らしい意味をつけても、それが愛嬌になるのは、滝田ゆうの絵に滲みこんだ人徳、つまり彼自身の人徳によって支えられているもので、こういう哀しくやさしい淋しく愉しく薄倖のようで豊かな作品はめったにあるものではない。