(巻三十四)亀のせて石の日永のはじまりぬ(石川渭水)

(巻三十四)亀のせて石の日永のはじまりぬ(石川渭水)

10月19日水曜日

細君は美容室に出かけてくれて独り居を楽しむ。ちょっと前まではAVを楽しんだのだがここのところ体も心もそれを楽しまなくなってしまった。見過ぎとマンネリだろう。

男といふ性は峠を過ぎゆきて

赤いきつねを啜りいるなり(田島邦彦)

エキサイト・ブログの「随筆筆写」に人が訪れてくれるようになった。やはりタグ付けの効果のようだ。円谷幸吉氏の遺書が読まれていた。

昼飯は細君不在につきパック赤飯と赤いきつね。午後は歯医者なので昼寝せず。細君はコンビニのサンドウイッチと餡パンを買って帰宅。

2時半に歯医者に出かける。3時から30分かけて歯の掃除。いつもながらこの汚れた歯の掃除をしてくれる衛生士さんも大変だなあと思う。

歯科のあと、北口のTSUTAYAに回り細君所望のクロワッサンを買う。自動精算にやや手間取るが逃げていてはいけないとやってみた。クロワッサンは都内の散歩特集。TSUTAYAから大阪王将へ回り餃子でホッピー。久しぶりの餃子旨し。

帰りも歩いて都住3を抜けると猫婆さんがサンちゃんとフジちゃんに食事をあげていた。しばし歓談。フジちゃんも野良だそうで、通りの向こうで飼われていたのだがまだ1歳のころ棄てられて野良に身を落としたとの話。クロちゃんは4歳くらいで猫婆さんもクロちゃんはやさしい猫だと言っている。フジちゃんは人間には臆病だが猫同志では強いらしく縄張りを形成していて、クロちゃんなども寄せ付けないとのことだ。婆さんの話だと野良は二三人のパトロンを持っているのが普通でどこかで餌にありつける状況が最良だそうだ。これも教訓。

帰宅して、細君が買ってきた餡パンを食す。これまた旨し。

願い事-涅槃寂滅。あらためて遺書を書く気はない。毎日書いているつもりだ。早く遺書になれ。

「俳句旅枕ー渡辺誠一郎」角川俳句平成29年5月号から一部書き抜き(円谷幸吉遺書)

芭蕉やたよ女の句碑がある須賀川十念寺の境内で、私が知るもう一人の円谷の名を墓碑銘に見つけて驚いた。それは、昭和三十九(1964)年に開催された東京オリンピックのマラソン競技の銅メダリスト、円谷幸吉である。円谷は、二位で国立競技場に戻って来た。しかしゴール直前でイギリスのヒートリー選手に抜かれ、銅メダルに終わる。円谷は、若いころから、走ったら後ろを振り返るな、と指導を受けていた。それゆえ、抜かれるまで決して振り返ることはなかったといわれている。当時私は中学生であったが、今も忘れられないシーンである。円谷は次のオリンピックを目指していたが、昭和四十三年一月、けがの回復の遅れや周りの期待の重圧もあって、自死するのだ。両親にあてた次の遺書には衝撃を受けた。

父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、モチも美味しゆうございました。/敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。/克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。/巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。/喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。/幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゆうございました。/正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。/幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。/父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。/幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。

韻文としての響きを放っている。食べ物に対する思いが殊の外印象的だ。食べ物の記憶を通して、命そのものへの思いが籠っているかのように思われる。言葉の一つひとつが、朴訥だが、肉声の生々しさが滲んでいる。川端康成は、この遺書を、「千万言もつくせぬ哀切である」と評した。また作家の沢木耕太郎は、『敗れざる者たち』のなかで、「呪文のような響き」、あるいは「土俗の魂が秘められている」とし、「遺書にはうらみつらみの一片もなく、ただ、『礼』と『詫』で終始している。円谷は最後まで『規矩の人』だった。円谷の生涯の美しさは『規矩』に従うことの美しさであり、その無惨さも同様の無残さである」と述べている。しかし、無残さは別にして、美しい死などはない。ただ死はいつも美しく装われるだけなのだと思う。

ふり向かぬゆえの命や雪しんしん(誠一郎)