「森鴎外(「馬鹿らしい」と叫びながら墜ちた巨星) - 門賀美央子」文豪の死に様 から

 

森鴎外(「馬鹿らしい」と叫びながら墜ちた巨星) - 門賀美央子」文豪の死に様 から

森鴎外
ザ・文豪である。
貧しい下級武士の家に生まれながらも、学問によって立身出世を果たし、文学者として後世に名を残した人である。
近代日本の価値観から見ると、お手本のような人生だった。
ところが、だ。
その死に際のエピソードを眺めてみると、どうやら彼は自分の人生を大団円とは考えていなかったようなのだ。
証拠は二つある。
一つは死の二日前、心から信頼していた親友に口述筆記させた遺書。
もう一つは死の床で発したうわ言。
文学史上のミステリーとして様々に語られてきた「鴎外の死」について、この二つの鍵を手がかりに迫っていきたい。

死は一切を打ち切る重大事件なり

まず、遺言状から見ていこう。それほど長くないので、全文引用することにする。
《余は少年の時より老死に至るまで、一切秘密無く交際したる友は賀古鶴所[がこつるど]君なり。
ここに死に臨んで賀古君の一筆を煩わす。
死は一切を打ち切る重大事件なり。
奈何[いか]なる官憲威力と雖も、此に反抗する事を得ずと信ず。
余は石見人森林太郎として死せんと欲す。
宮内省陸軍皆縁故あれども、生死別るる瞬間、あらゆる外形的取扱いを辞す。
森林太郎として死せんとす。
墓は森林太郎墓の外、一字も彫るべからず。
書は中村不折[ふせつ]に依託し、宮内省陸軍の栄典は絶対に取りやめを請う。
手続きはそれぞれあるべし。
これ唯一の友人に云い残すものにして何人の容喙[ようかい](注=横から口出しすること)をも許さず。》
すでに自ら筆を執る力さえなくなっていた鴎外が、学生時代からの親友である賀古鶴所に代筆を頼んで残した一文だ。遺言とはいえ、相続など事務的な手続きについては一切触れず、自身の死後処理にのみ言及している。
特徴的なのは、二百五十字余りの短い文章の中に「森林太郎として死せん」という文言が二度も出てくることだ。林太郎とは鴎外の本名で、一度目の頭についている「石見人」というのは、鴎外が石見国、つまり現在の島根県南西地方にある津和野出身であることを示している。
すんなり読めば、本状は「自分はあらゆる名利を捨てて、石見の国で生まれた森林太郎という一個人として死ぬのである」という決意表明であり、教科書的な解釈だと「一切の名利を捨てて無に帰っていこうとする鴎外晩年の高い境地を示すもの」とは思えない何かが、この文章にはある。昇華しきれない強い情念が見え隠れしているのだ。
これは何も私だけの思い込みではない。同様の解釈が多くの文学者や研究者から提出されてきた。
山田風太郎の『人間臨終図鑑』(※拙者注“図鑑●”“図巻○”)には、四人の識者の見方が記されている。
ドイツ文学者で鴎外の評伝を書いた高橋義孝は「鴎外の自負に相当する地位、名誉を与えられなかったことに対する悲しみの表白」。
小説家の中野重治は「この遺言の対象は強大なる『官憲威力』そのものであって、それに対する反噬[はんぜい](注=動物が飼い主にかみつくこと。転じて、恩人に背き、歯向かうこと。)である」。 
同じく小説家の松本清張が「鴎外をしてついに疎外者の運命を感ぜしめずにおかなかった『長州閥』への復讐の語」だとした。
そして、山風本人は「呪詛と悲哀に満ちたふしぎな遺書」と評している。
また、鴎外の専門家であり、津和野にある森鴎外記念館の館長も務める近代文学研究者の山崎一穎[かずひで]は、「〈公〉的な鴎外の遺言の底流には、ある劇[はげ]しさがある。不満の意がある。咆哮する獅子の荒ぶる心がある」と少々大仰な表現を用いた上で、私人として「父祖の地・先哲文人の地・石見に帰る」決意を表したのだとする見解を披露している。他の諸賢の分析も似たり寄ったりだ。要するにみんな「鴎外は自らを不遇の人と思い、その不満を抱えたまま死んでいった」と考えているのである。
不遇ねえ……。
帝国陸軍の軍医としては最高位である陸軍省医務局長まで昇り、退職後は宮内省帝室博物館総長兼図書頭[ずしよのかみ]、帝国美術院初代院長などを務め、死の直前には宮中から従二位の位が贈られている。社会的には立派な成功者だ。その上、近代文学の巨星として輝き、今に至るまで名を残しているのだから十分なぐらい十分な人生じゃないの?と私のような生涯一ぺーぺーは思うのだが、自らを強く深く恃[たの]んでいた鴎外には不足だったらしい。
だが、彼の死に際を見ていくと、鴎外が不満を抱えていたのは、必ずしも社会的評価に対してのみだったとは思えないのだ。もっと大きな何かが胸中にあった気がする。
そのヒントになるのが二つ目の鍵だ。これは危篤になる少し前に突然大声で発したという言葉なのだが、なんとも生々しいのでそのまま引用しよう。
《意識が不明になって、御危篤に陥る一寸前の夜のことでした。枕元に侍していた私は、突然、博士の大きな声に驚かされました。
「馬鹿らしい!馬鹿らしい!」
そのお声は全く突然で、そして大きく太く高く、それが臨終の床にあるお方の声とは思われないほど力のこもった、そして明晰なはっきりとしたお声でした。
「どうかなさいましたか。」
私は静かにお枕元にいざり寄って、お顔色を覗きましたが、それきりお答えはなくて、うとうとと眠りを嗜むで居られる御様子でした。》
(「家庭雑誌」第8巻11号伊藤久子「感激に満ちた二週日文豪森鴎外先生の臨終に侍するの記」より)
人格者で知られた大文豪、末期の言葉としてはなかなか乱暴である。それゆえか山崎氏はこの言葉を「謎である」で片付け、さほど深く突っ込んでいない。
だが、私はこの言葉こそ、鴎外の人生そのものを象徴するリフレインだと感じた。謎というほどのものではない。額面通りに受け取っていい。要するに、鴎外は死に直面して本気で馬鹿らしくなったのだ。
なにが。
己の人生すべてが。