「秘すれば花 - ジェーン・スー」中公文庫 これでもいいのだ から

 

秘すれば花 - ジェーン・スー」中公文庫 これでもいいのだ から

女友達に誘われ、浅草ロック座へ行ってきた。生まれて初めてのストリップ観賞だ。
最近は女性ファンも多いと聞いていたので、それほど不安はなかった。ストリップが変わったのか、世間が変わったのか、その両方が変わったのかはわからない。女友達の話を聞く限り、ピンクのライトを浴びた加藤茶が「ちょっとだけよ~」とやっていたアレとは違うらしい。
開演十分前に劇場に着くと、夕方だったこともあってか、浅草ロック座はあっけらかんと街に馴染んでそこにあった。目抜き通りにあるのに、思わず通り過ぎてしまうほどに。
創立は一九四七年、私なんぞが「街に馴染んでいる」と言うのもおこがましいが、もう少し湿度の高い空気を醸しているかと思っていたので、拍子抜けした。
ここでは、一公演あたり約二時間のショーが、一日五回行われる。踊り子ごとのショーを「景」と呼び、一回の公演は、十分の休憩を挟んで全七景。料金は男性五〇〇〇円、女性三五〇〇円(当時)。公演ごとの入れ替えはなく、好きなときに入って、好きなときに出られる。すべて自由席。
チケットを買って、ロビーに入る。客のほとんどは、二十代から七十代の男性だった。シニア層が厚い。女性やカップルも、思った以上にいた。劇場は全体的に古びてはいるものの、清潔感があり、まるで老舗の映画館のよう。
飲みものを買って劇場のドアを開けると、舞台の中央から、客席に向かって張り出した花道が目に入った。花道の終わりには、円形の小さなステージがある。客席は小さなステージを取り囲むように扇形に配され、全部で百席くらいだろうか。踊り子を近くで観たかった私は、ステージの真横に陣取った。
ほどなくして、爆音を合図に劇場が暗転する。まずは挨拶代わりに、その日に出演するすべての踊り子、総勢七名が出てきて軽く群舞。一人はほかと衣装が異なり、顔の半分が黒のレザーマスクで覆われていた。ハードコアな衣装は予想外だったので、驚いた。
彼女がトップバッターだった。ハードコアなのは、衣装だけではなかった。ミクスチャーロックをBGMに、四肢がぶっ飛んでしまうのではと心配になるほど、彼女は激しく踊った。明らかに、長年のダンス経験があるとわかる動き。体ごと観客に叩きつけてくるような十分間は、目をしばたたいているうちに終わってしまった。

女の体って、こんなに力強く美しいのか。これは気を引き締めないとマズいぞと、私は椅子に座りなおす。なめをなよ、と横っ面を叩かれたような気分だ。
景は次々と進む。ある者は米国女優のライザ・ミネリを彷彿とさせるタップダンスを躍り、ある者は着物がはだけた胸元に血のりをこすりつけ、ねめるように観客を見た。なんだなんだ、これは。
考える暇もなく、踊り子の圧がステージから覆いかぶさってくる。みなスレンダーボディの持ち主で、両腕を上に揚げければあばらが浮き上がり、腹筋の筋が出る。胸の大きい人、小さい人。背の高い人、低い人。被支配を感じさせる隙は、誰にもない。
踊りの上手い下手はあるが、どの踊り子も「見ろ!これが私だ!」と言わんばかりに滾[たぎ]っていた。観客をお手軽に興奮させるような瞬間は、皆無だった。ファンタジックな女性性を背負わされ、その隙間から、個性がチラ見えするようなシロモノではないのだ。
多くの女性が顔をしかめる羞恥の要素が微塵もないことにも気付き、ハッと息が止まる。私はいったい、誰のどんな目線で楽しむつもりでいたのだろう?なにを確かめる気でここに来たのだろう。
見せるところは見せるが、恍惚の表情とセットでご開帳されるわけではなかった。手のひらに隠した蝶々を、そっと開いてみせるような者もいれば、爆竹をぶつけてくるような者もいた。なんにせよ、簡単に消費されるような「性」は、どこにも見当たらなかった。
今日まで私は、ストリップが女人禁制の背徳から、女体と踊りの美しさで女性をも魅了する、明るいショーに変容したのだろうと高を括っていた。そんな生半可な解釈では、到底追いつかない、
公演のタイトルは、「秘すれば花」。世阿弥の『風姿花伝』にある言葉で、自署には「観客は予想もしていないようなことに感動するものである。そして、結果を予想させないように演じるのが芸である」とあった。なるほど、確かにその通りだった。
ところで、常連と思しき最前列のおじいちゃん、あなたはここでなにを感じているの?自分の性を誰にも明け渡さない凄まじい女たちから、なにを受け取っているの?