「単純系vs複雑系 - 池内了」高校生のための科学評論エッセンス ちくま科学評論選

 

「単純系vs複雑系 - 池内了」高校生のための科学評論エッセンス ちくま科学評論選

これまでの科学は主として単純系を相手にして成功してきたのは事実なのだが、その方法(要素還元主義)では解決が困難として後回しにしてきたタイプの問題がある。それが複雑系であり、確実な解答が得られないまま現在に至っている。
単純系とは要素還元主義の手法によって解決ができるようなシステムのことで、考える対象や現象について、余分な要素を切り落として理想化した状態で考えることが可能であり、より根源となる物質や運動に還元することによって問題点が鮮明になって解を明確に導くことができるような場合である。その結果、原因と結果が不確定さなく一対一で結ばれ、部分の和が全体に一致する。物質の成り立ちを原子-原子核-陽子・中性子クォークというふうにより根源的な素粒子に求められたのも、生物の成り立ちがDNA上の塩基の並び-アミノ酸-タンパク質-細胞-器官という系列となっていることを明らかにできたのも、要素還元主義の勝利であった。化学反応を原子や分子の結合・解離過程として理解し、地震や火山の出現を地球表面のプレート運動の結果として解釈できているのも、要素還元主義のおかげである。これまでの科学の成功は要素還元主義の賜物と言っても過言ではない。
要素還元主義が成功してきたのは、考える系[システム]が主要な要素と副次的な要素に分けることができ、とりあえず主要な要素に着目して(理想化して)調べれば問題の本質的な部分は解決できるからだ。これまで主に相手にしてきたのはそのような問題群(つまり単純系)で、問題の焦点を絞り込んで研究すれば、答えは比較的容易に出せたのである。
しかし、私たちが相手にする自然はそのような単純系だけではない。(一)多くの要素が対等に寄与するために主要な要素と副次的な要素というふうに切り分けることが困難であり、(二)それらの要素間に非線形の相互作用が働いている、そんな系が多数ある。この二条件を備えている場合を「複雑系」と呼ぶのだが、私たちが日常相手にしている気象(天気・天候)、地球環境、生態系、人体、脳、地震、経済などマクロなシステムはすべて複雑系なのである。
複雑系では原因と結果が一対一ではなく(同じ原因でも複数の結果となる、原因に関わる少しの条件の違いで全く異なった結果が導かれる)、部分の和が全体にならない(一般に全体は部分の和以上となる)から確実な解を指し示せないことが多いのだ。その意味では、文字通り「複雑系は複雑だ」として、その解決が先送りされてきたのである。一九六〇年代から、コンピュータの発達によって非線形の方程式を扱うことができるようになり、複雑系についてもようやく研究が進められるようになったのだが、まだまだ未完成であって確実なことが言える段階ではないというのが現状である。
単純系とは根本的に異なる複雑系の特徴として、以下のような点が挙げられるだろう。

(一) 決定論であっても「カオス」が生じる。方程式において、初期の数値を与えれば後の状態は全て決定されていても、係数の値次第で非周期ランダム運動が生じてしまうことがある。これを「カオス」というが、カオスが発生すると結果が予言できなくなるのだ。
(二) 「量から質への変化」が起こる。一般に部分の和は全体にならず、部分の集団的運動や励起が起こって全体として新しい運動モードが発生する。特に、部分の量がある一定値を越えると全く質の異なった運動が生じたり、新しい状態へ遷移していくことが生じ得るのである。
(三) 新しい状態への「自己組織化」が起こる。量から質への転化の典型例として、質的に異なった新しい状態を自らの反応によって作り出す。砂を上から落としていくと山のように積みあがっていくが、ある段階になると突然山の形が全体として大きく変わってしまうのと似ている。新しく組織化される状態がどのようなものであるかは一般に予想できず、個々の結果を受け入れるしかない。
(四) 「バタフライ効果」が重要となる。バタフライ(蝶々)が舞ったときに生じるごく小さな空気の流れが周囲の条件によって台風にまで発達する可能性があるという(大げさな)喩えで有名で、どのような現象にも、雑音、ゆらぎ、初期の微妙な差異、偶然の作用などが累積し、結果に大きく影響することだ。これらの作用は人間の手では制御できず、同じ状況で繰り返し実験ができないから、私たちは得られた計算結果からこれらの影響を判断するしかないのである。

地球温暖化問題を考えてみよう。地球を温める熱源は太陽であり、その熱エネルギーが地球に注がれるのだが、雲があれば遮られるし、チリのような粉末状の物体が空気中に漂っていればそれに吸収される。地上に達した太陽光は、地面に吸収されて温度を上昇させ、そこから赤外線として再放出される。太陽光は海に当たれば海水に吸収・反射され、氷床に当たれば多く反射され、森に当たると木々から水の蒸発を促す。再放出された赤外線や反射光は空中に雲があれば吸収され、大気中の水蒸気や二酸化炭素温室効果で一時的にそこに滞留する。地球大気の気圧分布によって風が発生して熱の輸送も起こり、雲が増えると雨(雪)になり、それによって大気のチリが浄化されたりもする。以上は空気中で起こると想像するプロセスの一部なのだが、多数の要素が絡み合っており、それらの間の非線形反応によって熱エネルギーが互いに行き来していることがわかるだろう。このような気象現象は典型的な複雑系なのである。
そこでは集中豪雨や竜巻のような局所的な突発事象が生じることがある((一)のカオス)。そして、チリの量が増えると太陽光を遮るパラソル効果で地表の温度が下がり((二)の量から質の転化)、極端には零度以下になって地球が雪に閉ざされたり、逆に温室効果が暴走して灼熱の状態になったりすることもある((三)自己組織化)。ちょっとした空気のゆらぎが積乱雲に発達して台風になり((四)ゆらぎの効果)、それが熱帯から高緯度地域への熱輸送の役割を果たすことになる。このような複雑な要因が絡み合うために、地球温暖化問題の原因を二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に求めるのは無理との論も出るのである。実際、IPCCの結論は「地球は温暖化しており、その原因の九五%は温室効果ガスによる」となっているが、「果たして本当に温暖化しているか。」(地球の平均温度をどう求めるのか)、「温暖化しているとしても、温室効果ガスによるのか、他の原因があるのではないか。」という疑問が出されている。おそらく最後まで決着はつかないだろう。

このように、私たちの周囲を見渡してみれば、むしろ複雑系の方が多いことに気づく。地球温暖化問題だけでなく、地震予知にしろ、微量放射線の被曝問題にしろ、生態系の危機にしろ、多くの複雑系に絡む問題は現状では(未来においても)確実なことが言えないのである。ところが、私たちは単純系の科学に慣れていて、単純系のように答えが簡単に出せると思い込んでいる。「科学が発達すれば何でもわかるようになる」という発想はその典型だろう。そしてつい、単純系だとしてシロかクロかを勝手に判断して結論を出し、思考停止に陥ってしまうのだ。確かに私たちは、結論がわからない中途半端な状態で不安を抱えたままでは心が安定しないから早く明快な答えを得たいと望むのだが、複雑系ではそうはいかず、「わからないまま」でいなければならない。このような科学もあることを押さえておくべきなのである。
複雑系に対する一つの対応は、同じような事案について統計を取り、過去の例を参照して確率としてその可能性を表現する方法である。気象に関しては降水確率が一般的に使われるようになった。過去の同じような気圧配置の日に雨が降ったかどうかを確率で表現したもので、多数のサンプルがあるので比較的正確であると考えられる(だから定着した)。これに対し地震確率は、どれくらいの精度があるのか(過去の地震事例が少なく周期的でない)、実際にどう確かめるのかがわからない(一〇〇年に一回では確かめようがない)から警告の意味しかない。地震という地下の岩盤の破壊現象はやはり複雑系だし、微量放射線被曝によるガンの発症率、病気の再発確率や手術の成功確率など人体が絡む事象も複雑系であり、それぞれの確率で現在の知識を整理するしかないのだ。
しかし、私たちが知りたいのは地震が起こるか起こらないか、病気になるかならないか、手術が成功するかしないか、など一〇〇%か〇%かの結果なのである。実際、七〇%の手術成功確率であるからといっても手術が七〇%だけ成功するのではなく、一〇〇%成功するか〇%成功しないかのいずれかしかない。確率は傾向を表すだけであって、個々のケースがどうなるかについては無力なのである。
このように複雑系に対して私たちは、結果が明白な単純系とは異なった対応をしなければならない。科学には二種類あるのである。