「正宗白鳥と珈琲 - 広津和郎」作家と珈琲 から

 

 

正宗白鳥と珈琲 - 広津和郎」作家と珈琲 から

大正二年の話である。
その頃正宗氏は牛込の矢来町にいた。そこに自分は始めて訪問に行った。日頃から尊敬する氏をいつか一度訪ねたいと思いながらその機会がなかったところ、その自分は一年志願の費用を得るためにモオパッサンの「女の一生」を翻訳したが、その序文を正宗氏に書いて貰う事になった。「女の一生」に正宗白鳥の序文!-考えて見るとそれ程似つかわしい話ではない。正宗氏も苦笑された事と思う。併し氏は快く引受けて呉れた。
(中略)
その後自分は氏を二三度訪問した。原稿は氏の手から『中央公論』に送られたが、『中央公論』からはなかなか返事が来なかった。氏は自分が帰る時外まで送って来て、或珈琲店に寄り、そこから電話で滝田氏に催促してくれたりした。
何でもそうして氏に原稿の成行きを訊くために二三度訊ねた時の一度だった。自分はその帰りに時事新報に行く用があった。
「散歩がてら僕も銀座まで出かけよう」そう云って氏は自分と一緒に外に出て来た。「ぶらぶら歩いて行かないか。僕は毎日その位の散歩をすることにしているんだ」
「ええ、歩きましょう」
相変らず文学の話、文壇の話をしながら、我善坊から銀座までぶらぶら歩いて行った。何も読まないような顔をしながら、氏位物を読んでいる人は尠いだろう。そして又誰に会うという事もないらしく思われるのに、いろいろな文壇の人人の消息を実によく知っている。-氏の近作「東京通ひ」を見ても、氏が文壇のいろいろな事を聞くのが好きだという事が書いてあるが、氏はいろいろな人の生活を、それぞれ興味を以て眺めているらしい。誰某はどういう生活をしているか、誰某はどんな興味で毎日生きているか、そんな事を誰に聞くのか実によく知っている。そして又此方の知っている事を氏はいろいろと聞きたがる。
日比谷公園の側から山下門を通り、南鍋町の時事新報社の前まで、そんな事を話しながら歩いて行ったが、そこまで来ると、
「やあ、君は時事新報に用があるんでしたね。それじゃ失敬、僕は此処で珈琲を飲んで行くから」
いきなり氏は帽子に一寸手をかけて、ひとりでつかつかと時事新報社の前のカッフェ・パウリスタに入って行ってしまった。
自分は笑い出した。そして「好いなあ」と思った。大概の人なら、「どうです、僕は此処で珈琲を飲んで行くんだが、君も一寸寄りませんか」というところだ。けれども氏にはそれだけの月並みなところがない。お愛想で物をいうようなところが毫末もない。-君は時事新報に用があるんでしたね、それじゃ失敬、僕は此処で珈琲を飲んで行くから-そしてあっさり帽子に手をかけて、つかつかと一人でパウリスタに入って行く。簡単なようで一寸真似の出来る芸当ではない。自分は腹の底から愉快になって来た。
時事新報の用事は直ぐ片付いた。そこで未だ正宗氏がパウリスタにいるかも知れないと思うと、後からパウリスタに入って行って見る気になった。-それは建て直さない以前のパウリスタである。建て直した以後のパウリスタも去年の震災で焼けてしまったので、建て直さない以前のパウリスタなどと云ったところで、その二階の有様が直ぐ今の読者の頭には浮かんで来まいが、兎に角、正宗氏は二階に上ったような気がしたので、自分も二階に上って行った。それは広い四角い部屋に一杯にテエブルが並んでいる。そのテエブルの殆んど悉くに客が腰かけている。階段を上ったところに立って自分は一渡りその部屋を見まわして見た。が、正宗氏の姿は一寸見つからなかった。自分はぼんやりして暫く佇んでいた。すると向う隅の方のテエブルで小柄な人が立上った。そして両手を振って、「此処だ、此処だ、広津君!」と叫んだ。
見るとそれが白鳥氏で、高く差上げた両手で「おいでおいで」をしていた。自分は白鳥氏のテエブルに近づいて行った。
今でも正宗白鳥を思う度に、自分はその時の事を思い出し、そして愉快になる。「君は時事新報に、それじゃ、失敬。僕は珈琲を飲んで行くから」そういって、つかつかと一人で入って行きながら、それは自分と一緒に珈琲を飲むのが厭なわけでも何でもない。後から自分が入って行けば、立上って両手を高く上げて、「此処だ、此処だ、広津君!」と叫んで「おいでおいで」をする。自分はそこに氏の明快な人格を感ずる。透徹した非凡を感ずる。思いのままに生きている人物のオリジナリティを感ずる。 
自分はその時の小説のその次の小説(「神経病時代」)が『中央公論』に載る事になった。それは滝田氏が「もう一つ書いて欲しい」と云ったので書いたので、正宗氏の眼を通しては貰わなかったが、それが雑誌に発表されると、正宗氏は直ぐそれについての親切な意見を述べた端書を下さった。自分は氏の温い心に感謝した。
自分のある友人がその端書を読んで、「正宗さんという人は、世間の噂では非常に冷たい人のように聞いていたが、そんなに温い親切な人なんだね」と感心していた。
自分は正宗氏が自分に文学に対する興味を最初に目覚めさせてくれた人であるという点と、自分を小説壇に紹介してくれた恩人であるという点と、二重の意味で氏に感謝している。