「小雨日記(うち三作抜書) - 小泉今日子」小雨日記 から

 

「小雨日記(うち三作抜書) - 小泉今日子」小雨日記 から

 

はじめまして

 

春の優しい小雨降る日に、私は彼女に出会いました。千駄ヶ谷のペットショップで気持ちよく昼寝をしていますと、「ちっちゃい、ネズミみたい」と、屈辱的な言葉が聞こえてきたのです。ふと目をあけると、彼女がガラスケースに額をくっつけて私を見つめていました。「運命を感じた」。後に彼女はそう言いました。ネコの私には運命なんて言葉がはなんのことやらわかりませんが、彼女の手に抱き上げられたとき、嫌な気がしなかった。ただそれだけの理由で私は彼女についていく事にしたのです。彼女が運転する車に乗せられ、助手席のマサト(彼女の親友)の膝の上で揺られていると、彼女は言いました。「今日は春の優しい小雨が降ってるからこのコの名前、小雨っていうのはどうかな?」「いいんじゃない、粋な芸者さんみたいで」。小雨、コサメ。小さな鮫みたい。強そうで弱そうな名前。人にはみんな名前があって、彼女の名前は「キョーコ」っていうみたい。私は人じゃないけれど、人と暮らす動物にもみんな名前があるみたい。私は、あの春の日に「小雨」と命名されました。

 

ネコズカン

 

『ボイスレスキャットの異名をとるほど実におとなしく、めったなことでは鳴き声一つあげません。頭が良く、飼い主を信頼し、愛情を理解する猫といわれます。また、その反面で他人を寄せ付けず、警戒心が強い面もあります』
猫図鑑に載っているロシアンブルーの性格。「うん、うん。その通り!すごいね、これ当たってるね~」って。キョーコ!占いじゃないんだからとツッコミながらも、確かに当たっていると納得。
小雨は人見知りが激しいと日頃から言われます。キョーコさんのお友達が遊びに来て楽しそうにしている時、仲間に入りたくて近づくのだけれど、手を出されると急に怖くなって「シャー!」って変な声が出てしまうんです。そして猫パンチをお友達に向かって連打してしまうんです。消毒液と絆創膏を手に必死で謝っているキョーコさんの姿を何度見たことか。
『ビロードのような毛並み、エメラルドグリーンの瞳。華奢な身体に長い足、容貌はまさに貴族を思わせる気高さを感じます』。これはロシアンブルーの容姿の特徴。「華奢な身体?長い足?あれれ?こっちは当たってないね~」って。おーい!とツッコミながら鏡に映る自分の姿は確かに貴族ではないと納得する小雨でした。

 

マサトとハナコさん

 

そう言えば最近、マサトが遊びに来ません。海辺の町に引っ越してお家が遠くなってしまったからかしら?と思っていたのだけど、実は大変なことが起きていたみたいです。マサトのところには、私よりもお姉さんのハナコさんっていうアメリカンショートヘアーの先輩猫がいるのだけれど、そのハナコさんが不治の病にかかってしまい、闘病中なんですって。
マサトは、キョーコと一緒にペットショップに小雨を迎えに来てくれた大切な人です。ハナコさんにはお会いしたことはないけれど、マサトのバッグやスニーカーにいつも匂いがついているの。匂いを嗅げば大抵のことはわかります。もの静かで、優しくて、美人さんで、食いしん坊。食いしん坊なとこはマサトに似たのでしょう。
数時間おきにお薬を飲んで、注射をうって、一生懸命闘っているのだそうです。ハナコさん頑張って!小雨は大きな海と空に向かってお祈りしています。
私たち猫は知っています。猫の時間は人間よりも早く進むから、小雨はとっくにキョーコさんより年上です。だから、きっといつか悲しい思いをさせてしまう。ごめんね。でも、小雨はいつも幸せです。ハナコさんの匂いの中にも幸せの分子をたくさん感じたよ。