「桃代の空 - 白石冬美」実業之日本社文庫猫は神様の贈り物エッセイ編

 

「桃代の空 - 白石冬美実業之日本社文庫猫は神様の贈り物エッセイ編

 

桃代が和田誠さんの家にはじめてきたのは、三年ほど前のある金曜日でした。
赤塚不二夫さんがもってきた籠の中から、灰色に黒のしま模様の、とんがり顔した仔猫が、細くて長いしっぽをふりたてて四匹、わらわらぁーと、まちかまえていた私達の前に現われました。
まるまるふくふくの猫の仔を想像していた私は、レミさんから「仔猫がくるから、見にこない」との電話をもらい、さっそくかけつけていたのです。
最初に、はしりよってきた猫を、山下勇三さんが抱きあげて「あれこれ器量を見て選ぶと、猫に失礼だし、可哀想だから、まっすぐ、僕のところにきたこいつをもらう」と言って猫をくるりとひっくりかえして「おんなだ」
雄をほしがっていた小池一子さんが、一匹だけの男の子でしっぽの先がちょっとまがったのをもらうことになりました。どれもこれもみわけがつかないぐらいよく似た、アビシニアンという由緒正しい母と、立派な野良猫の父をもつ、あいのこたちです。
私が思いえがいていた、(まりのような仔猫)の基準からは、ずいぶんずれていて、しなやかなやせっぽちで、可愛いというより、豹の仔のようだとおもったのです。
レミさんはニコニコことのなりゆきを見ていて「これがいい」とはなかなか言いません。私は他の仔猫にくらべて、しま模様がいくぶん少なく茶色がかった仔猫に目をつけていて、レミさんがそれを選べばいいなァ-と思っていました。
でも、どうやら和田さんのお許しが出ていないらしいのです。
いつものように楽しい時間がすぎて、そろそろ帰り支度がはじまった頃、さっきからずーっと和田さんの、かたわらに落ち着いて坐りこんでいた仔猫をさして和田さんが「これ飼うかい」とレミさんについに言ったのです。
レミさんはもう大急ぎでうれしそうに、うなずいたので、私がねらってたほうでない仔猫が和田家に残ることになりました。
この仔猫達はパリ祭の日に生まれたとのことで、レミさんはシャンソン歌手でもあるし、さぞフランスふうにパリジェンヌみたいな名前で呼ばれるだろうと、私はとても楽しみにしていました。
山下家にいった猫は、ただの「ミー」という名で呼ばれることになり、小池一子さんは「バーボン」という名をつけました。一匹残った茶色の猫はイルザと名づけられて、愛らしい絵を画く田村セツコさんのお母さんのところへもらわれてゆきました。そしてのちにセツコさんの猫になる、うす茶のしま猫「ニルソンさん」を産むことになります。
つぎに和田家を訪ねると、いたずらな少年のようにとびまわっている仔猫には「桃代[ももよ]」という、おひなまつりのような名がついていました。そう言われてみればなるほど桃代は「ももよ」と以外に呼びようがないぐらい桃代にぴったりなのでした。正式には「桃代のしんこさん」と言うのです。(レミさんに言わせるとどうしてもそうなるのだそうです)
くっきりと黒いアイラインにふちどられた、グリーンのアーモンド型の瞳に、ピンとたった大きめな耳とすんなりとした足をもち、桃色の鼻先が、いつもひんやりつめたい桃代は、お客さんの多い家で、人みしりもせずに、のびのびと育ってゆきました。

抱かれることが大嫌いで、抱きあげると「イヤーン、イヤーン」とそりくりかえってこれはあまり誉められない、しわがれたハスキーな声で鳴くのです。和田さんの本やレコードがならんでいる壁一面の棚を物を落とさずに、ロッククライミングしたり、さまざまな置物の間を身をくねらしてすりぬけとびおりたり、天井のさくを渡ったり、和田さんのペン先にじゃれたりして、おもうがままに生きてました。
和田さんもレミさんも、桃代をすごく可愛がってそのたぐいなさを、書いたり話したりするので、和田家を知るもので桃代を知らないものはないというほどの猫になりました。
猫は犬とちがって、芸をしないのが普通です。なかにはチンチンやお手、おじぎなどをする猫もいるそうですが、それはほんとうにめずらしいことなのです。紙くずを丸めて投げれば追いかけていってじゃれるまでは、よほどのなまけもの猫でないかぎり、どんな猫でもすることです。でも、それを口にくわえてもどってきて、投げた人のそばに置き、桃代は「また、投げてちょうだい」というように、小首をかたむけてじっと顔を見あげてまっているのです。そのうちに投げた紙玉を空中で両手をパンとうちあわせてとるようにもなりました。キャッチ・ボールです。
とても遊ぶのが上手な猫で、せまいボール箱に身体をおりたたんで入ったり、紙ぶくろにもぐったり、この桃代ほどいっしょに遊んでいて面白かった猫をその後、私は知りません。
ポーカー・フェイスの我れ関ぜず派の多い猫達のなかでは、桃代はかなり表情豊かな猫でした。眠くなると、誰がいようと警戒心ゼロで、天井に両手足をなげだし、大の字にバンザイしたまま眠りこけて、天真爛漫こわいものなしです。

和田誠さんとレミさんが外国に出かけた二週間ほどの間、私が桃代をあずかることになりました。まだ猫のケムリがこない前で、猫好きと言われながら、じつは私が飼っていたのは、ウロウロとボロボロと名づけたヨークシャテリアだったのです。
おひとよしのウロウロはともかく、そのウロウロをすっかりおしりにしいてしまっている、いばりん坊の幼な妻ボロボロと桃代のおりあいが少し心配でした。さて連れてきてみると、桃代は生まれてはじめてみる犬ころにも、ぜんぜんおどろきませんでした。猫が他の猫や動物に、はじめて会った時や物事におどろいた時に発する、あの背を丸め「フウーッ」と息を吹きかけてする威嚇の姿もみせず、とことこと部屋をよこぎり、ひらりとテレビの上にあがると、「ここはどこだろう」というふうにあたりを見まわししています。ふいの侵入者に好奇心をかきたてられたボロボロが近よりすぎると、ウーッと犬みたいにただひくくうなって、片手をあげてピシャッと犬の頭をひっぱたきます。一日たつと、すっかり仲良くなって、じゃれあって遊ぶようになり、眠る時もボロボロの背中をまくらに、おぶさったまま寝こんだりして、もう犬だか猫だかわからなくなってくるありさまです。私がお風呂に入ると、たちまちやってきて、しっぽを身体にまきつけて行儀よく坐ると一部始終をずっとみています。すべての猫の例にもれず、用をたす時は砂箱の上で、実に優雅に空をみつめ、哲学者のような詩人のような崇高な気品にあふれていて、猫ほど美しく用をたす動物はいないのではないかと私はまた思うのでした。
猫が飼主をどれだけ信頼しているかということは、外に出て猫が飼主について歩く距離ではかれると、なにかで読んだことがあります。二十メートルもついてくれば、お礼にあじぐらい差し上げなければならないほどなのだそうです。でも桃代はレミさんの買物について歩いたということですし、和田さんは「電話で桃代としゃべった」などと言うので、やはり猫としては少し風変りだとしか思えません。
やがて和田家に玉のような唱君が誕生して(それにほんとうは動物を飼ってはいけないアパートだったので、大家さんの希望もあり)桃代はレミさんの実家平野家にゆき、まだ緑のいっぱいある松戸の、空気がきれいな空の下をかけまわりながら、まことに猫らしい自由な暮らしができるようになり幸せそうでした。
猫はよく「家につく」といって環境を変えるのを好まず、何里もいとわず、引越し先からもとの家へ帰ってしまうという話をよく聞きますが、桃代はいつも素直に与えられた場所になじむ、けなげな猫です。
成長するにしたがって、仔猫の時よりきれいな猫になり、まるでグレイのピューマていっても良いぐらいの、きりっとした美しさをもった猫になりました。
平野威馬雄さんがヨーロッパにお化けを見る旅に出かける一カ月ほど、桃代が松戸に一匹ぽっちになると、桃代を和田家に連れてこれないレミさんが心配しているのを聞いて、私はまた桃代をあずかることにしました。そしてこのことが、桃代の運命をまた変えることになったのです。しつこい咳に苦しんでいたレミさんのお父さんが桃代とはなれた途端にぴったりと咳が止まり、それはヨーロッパの空気のせいではなく、猫アレルギーだったとわかりました。

松戸に帰れなくなった桃代は、心なしかもの想わしげで、大人しく私の部屋の一番背の高い洋服ダンスの上に陣どって、うずくまり、あかずに八階の窓から、出かけられない空をながめていました。私のとこで暮らすかぎり、もう二度と土の上を歩くことは出来ません。風のように松戸の野をかけた桃代がマンション猫になるのは、囚われ人のようで可哀想です。
それに私の部屋は、この時には、もうケムリという名の猫がきていて、動物密度はぎりぎりみたいでした。
そこで桃代は田村セツコさんのとこへゆくことになりました。そして今は渋谷の街で、桃代の甥になるニルソンさんと仲良く暮らしています。セツコさんが出かける時は、ちゃんと大通りまで送ってきて近所では評判だそうです。セツコさんが帰ってくると、階段の手すりに顔を押しつけて、じっと下を見おろしてまっていてくれるのだそうです。
ニルソンさんにならって、台所の三角窓から三階のひさしにとびうつる、ちょっとややこしい猫の出入り口も、すぐに覚えたとのことです。
桃代も大人になって、仔猫の時とちがい、テリトリー獲得のため松戸でボス猫と戦ったからなのか警戒心もまして、今度は私の犬達を、立派な猫の作法で精悍[せいかん]におどかして、そのいさましさにびっくりしてしまいました。ニルソンさんとも、はじめは険悪な状態で、セツコさんは苦労したみたいです。でもどんな修羅場も、二日我慢すれば必ず平和がもどらます。(その点動物達のほうがずーっと賢いのかもしれません)
和田さんと『雪村いづみリサイタル』を渋谷公会堂に観にいった帰り、かたときも桃代を忘れないレミさんが「セツコさんのとこ渋谷だから、この辺りかな」とほんとになにげなく「ももォモモォモモ、桃代ォ-」と呼んだのだそうです。すると、遠くから応えてたしかに「ニャオン」と猫の声。「あれっ桃ちゃんじゃない」レミさんはまた夢中でさけびました。「モモォももォ」「ニャーン」と応える声がだんだん近づいて「まさか・・・」と和田さんが言うまもなく、ひらりと足許に猫の影、身体を二人にすりつけて、そして今は確かな桃代の鳴き声です。
この「おはなし」みたいな真実[ホント]の話を、「そのまま家へ抱いて帰りたかった」と言う感激さめやらぬレミさんから聞いた時、私は思わずなみだぐんでしまいました。
もうただの無邪気さだけでなく、悟りきったような桃代の、あの深いグリーンの静かな瞳が、うかんできたからなのです。

しらいし・ふゆみ(一九三六~二〇一九)DJ