「去年今年を生きる - 嵐山光三郎」ちくま文庫 年をとったら驚いた! から

 

「去年今年を生きる - 嵐山光三郎ちくま文庫 年をとったら驚いた! から

一年のうちで一番楽しい日が大晦日である。各月の「みそか」の最終の日で、年越しそばを食べているうちに近くの寺の鐘がゴーンと鳴って新年となる。
元日になると、旧年のことは忘れてしまうものだが旧年と新年をつなぐ、ぼんやりとした時間と風景が人間に語りかける。「去年今年」は新年の季語で、虚子の代表作のひとつ「去年今年貫く棒の如きもの」が広く知られている。この句は昭和二十五年の暮れ、虚子が翌新年放送用につくったもので、鎌倉駅の構内に掲示されていた。それが川端康成の眼にふれて激賞されて、有名になった。
去年と今年の眼に見えないつながりを一本の棒の如きものと断じ、禅僧の一喝を思わせる吟である。この句があまりに有名になったため、去年今年といえば「棒の如きもの」と決ってしまったのだが、「吹く風のゆるみ心やこぞことし」(峰秀)という先人の名吟がある。年をとってくると、吹く風のゆるみ心が身にしみる。
葉牡丹に旧年の雪がつもっているのを見て「葉牡丹に少し残れり去年の雪」(松浜)、垣根にこぼれ落ちた梅の花を見て「梅の花去年からこぼす垣根かな」(大魯)、いずれも心に残る風情がある。週刊誌の新年号だって旧年の十二月に発売される。新年を迎えれば、「古ぼけし新年号や去年今年」(嵐山)であって、旧年なんてすぐに忘れてしまう。書斎の机をふいて「旧年を坐りかへたる机かな」(素琴)。
会社勤めをしていたころは十二月二十九日に机の上を整理して、缶ビールを飲んでから「ではまた来年もよろしく」と挨拶した。新年に出勤したとき、その缶ビールが机の上にコローンところがっているのが、いとおしい気がした。これも去年今年の感慨である。
そのあと中華料理の龍公亭(創業明治二十二年)でカメ出し紹興酒を飲んだ。
龍公亭のオーナー飯田公子さんは十二月に、神楽坂の画廊で泉鏡花装丁本展を企画した鏡花ファンである。飯田さんは若いころフランス語の通訳をしていた。神楽坂にはフランス人が経営するレストランが多いが、フランス語を話す鏡花通というところがステキです。
「牛込とモンマルトルの去年今年」(公子)という句はいかがでしょうか。暮れゆく神楽坂の空にマンマルの月がのぼっている。レモン色の月にうっすらと雲がかかって、久保田万太郎の句を思い出した。「去年の月のこせる空のくらきかな」(万太郎)。
去年今年は、今年になりながらも去年をひきずっている。
月光に山野凍れり去年今年(相馬遷子)
月光のなかに山野がカチーンと固まって、透明な氷の塔となって屹立している。はっとする一瞬で、奥志賀スキー場で年を越したときにこの光景を実感した。去年今年は虚実皮膜の風景を幻視する時間なんですね。
路地裏もあはれ満月去年今年(三橋鷹女)
路地裏からのぞき見る満月に目をつけたところがさすが鷹女で、去年今年という断層を路地裏で発見した。
去年今年をテレビ番組にしたのがNHKの「ゆく年くる年」である。新年に期待をふくらませながらも、去っていく旧年に思いをはせる。人間の生涯は「行く友来る友」であって、昔と別れ、新しい今を生きる。「竹林に旧年ひそむ峠かな」(鶏二)。峠の竹林は新年になってもまだ旧年の息をしてひそんでいる。そう簡単に新年にはなりたくないという意志が竹林にあって、ざわざわと音をたてる。竹林の七賢人が「風の又三郎」となる。七賢人ではなく七愚人となってぐずぐずして竹林のなかでぬる燗を飲んでいたい。年をとると、「新」とつくものに反感を持つようになった。
「去年今年ゆふべあしたと竹そよぎ」(石川桂郎)。桂郎は悠々とした性格で余裕がありますね。年をとったら、やはり、これぐらい落ちつかなければいけない。
「古ぼけし枕時計や去年今年」(大場白水郎)。白水郎は枕時計に目をつけた。いまは目覚まし時計といって、枕時計という言葉はあまり使われなくなったが、忘れられつつある言葉じたいが去年今年である。年をとると枕時計をけっこう使うんですよ。
若いころは、朝寝坊をしないために使ったが、いまは朝早く目覚めてしまうので、早起き防止のために使う。目がさめてふと枕時計を見るとまだ午前五時で、もう一度眠ることにする。当然ながらベルの音はつけない。とくに大晦日の夜は「去年今年繋ぐ一睡ありしのみ」(石塚友二)。この一睡が命がけであって、闘病生活をした石田波郷は「命継ぐ深息しては去年今年」。
ゆく年くる年」をつなぐ一息が生命線である。はーっと大きく呼吸することが生きていく証しとなります。
もう一句、いいのがあります。加賀千代女の「若水や流るるうちに去年ことし」。これが「天」だな。