「『孤独という「ふるさと」』(著者は文中に掲載)の書評 - 松山巌」松山巌書評集 から

 

「『孤独という「ふるさと」』(著者は文中に掲載)の書評 - 松山巌松山巌書評集 から

〈戦後特に子に捨てられる親が多くなった一因として、親の方のヒガミやヤケが生まれ、忍従やアキラメを失った事実を指摘しうるという点に於て、これこそは戦争が生んだ特異現象の一ツであり、あるいは確かにアプレゲールと称してよろしいものではないかとも思う。〉「親が捨てられる世相」
昭和二十七年、坂口安吾はこう書いている。安吾らしい眼を感じるのは、戦後の老人を疎む事態を、親をないがしろにする若者たちが増えたという一般論を退け、老人たち自身の心のなかに大きな変化があったためだと捉えていることである。戦争により生活設計が崩れ、価値観が変われば、老人であれ、いや老いの身なればこそ、ヤケを起こすに違いない。
この安吾の指摘を、私は老いをテーマにした、戦後の小説作品の方向と重ねてみたい気が起きた。老いをテーマにした小説は多いが、たとえば川端康成の『眠れる美女』や谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』はどうだろう。小説はむろん作家個人の内面に属する。が、この二つの作品がセンセーショナルにうけとられたのは、戦後の老人たちは「ヒガミやヤケ」を募らされ、またやがて老人となる者も来るべき日には、そうなるだろうといった気持ちと呼応したのではないか。両作品とも、老人の性を扱っている。老いてなおも性に妄執する姿が露呈されている。そこに作者は、人間の奇怪なまでの生への執着と孤独を見た訳だが、それまでの老人像から、大きくネジクレている。そのネジクレは「忍従やアキラメを失った」戦後の人々のなかにこそあると思われるのである。
川端や谷崎の作品をあまりに単純化して考えているといわれるかもしれぬ。では、もう一つ、センセーショナルな話題をもって登場した小説をあげよう。
深沢七郎の『楢山節考』が多くの読者に衝撃を与えたのは、子どもが歳老いた親を山に捨てたからでない。まだまだ元気である母親おりんが、若い息子たちが生き延びるために自ら進んで、死を受け入れる気持ちに打たれたのである。その気持ちは、むろん「ヒガミやヤケ」ではなくて、また単なる「忍従やアキラメ」でもなかった。忍従やアキラメを徹底した先に生まれる、人間の生と死は繰り返すという輪廻観である。この古来の日本人が抱いてきた、生死観に触れ、あらためて戦後の日本人は驚いたのだ。
ということは、老いて死をおりんのように受け入れる心理が、もはや戦後の日本人には稀になっていることを証している。

こうした戦後に起きた、老いに対する人々の心理の変化は、必ずしも老人にばかり生じた訳ではない。
〈「弱さというのは体の中で腐っていくものなんだ。まるで壊疸[えそ]みたいにさ。俺は十代の半ばからずっとそれを感じつづけていたんだよ。だからいつも苛立っていた。自分の中で何かが確実に腐っていくというのが、またそれを本人が感じつづけるていうのがどういうことか、君にわかるか。」〉
村上春樹の『羊をめぐる冒険』のなかで、登場人物の「鼠」が「僕」に語る言葉だ。彼らはいまだ若い。若者が死を思うことは、むろんいつの時代にもある。が、「確実に腐っていく」という心理は、死を生の昂揚のバネとしたものではない。むしろ、その心理は谷崎の『瘋癲老人日記』にこそ求められる。死を前にして、死んでもなお若い女の足に踏まれたい、「痛イケレドモ楽シイ、コノ上ナク楽シイ」と叫び「モツト踏ンデクレ、モツト踏ンデクレ」と叫ぶことを夢想する心理にこそある。
つまり、若者が死を思い、生の糧とする心理は老人のものとなっている。逆転したのか。そうではない。老いのなかに生ずる「ヒガミやヤケ」が戦後の日本人の心理に大きく影を落しているのである。
〈◎「五十四年度厚生行政年次報告書」(五十五年版厚生白書)
六十五歳以上の老人人口比率
一九七九年 八・九%
一九九〇年 一一%(予想)
二〇〇〇年 一四・三%(予想)
(国連が定義した、「高齢化社会」とは老年人口比率が七%の場合を指す)〉
これは厚生白書の一節である。日本の社会が益々、高齢化社会に進むという予測である。この文章を私は厚生白書から引いた訳ではない。じつは一九八〇年代初頭に書かれた田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の最後の文章である。女子大生の軽やかな身振りを描いた、この小説も話題になった。話題になったのは、小説の後につけられた四百余りの注である。大半は若者の華やかな風俗についての脚注だが、その注の最後に、先の厚生白書の文が引かれているのである。
女子大生の生活は、クリスタルで「忍従やアキラメ」とは無縁に見える。が、その軽やかさの背後にも、やがて確実に訪れる、老いへの不安が影を落としている。「なんとなく、クリスタル」な気分の背後には、「アキラメ」が忍び込んでいる。

戦後の日本は高齢化社会へと進み続けた。が、それは誰をも幸福にしたとはいえない。老いてもなおも生き続ける不安を若者にも与えた。死は突然やってくるものではなく、「確実に腐っていく」ものとなり、老いと若さの境目は曖昧になったのである。結果、老いも、その先にある死も見えにくくなったのである。
山田風太郎が『人間臨終図巻』上下を八〇年代末に著したのも、死が見えにくくなったためではないか。九〇年代に入ると、自殺マニュアルだとか、宗教本が売れるのも、読者の側に死と生の境目がよく判らなくなってしまったからではないかと思われる。
しかし本当に老いや死は見えなくなったのか。そうではあるまい。確実にやってくる老いや死への不安が、緩慢で「腐っていく」ような感じであるのならば、人はやがて忘れようとする。それは本当に忘れたということではない。老いや死を迎えたとき、ことさら驚いてみせるということだ。『人間臨終図巻』は十五歳から百二十一歳まで、古今東西の著名人の臨終間際の姿を記している。じつに千差万別だが、私は死に行く人よりも、周囲の反応に興味が湧いた。時代が新しくなればなるほど、老いや死への人々の反応は事大主義的なのである。
この老いや死についての、事大主義的な反応は今後さらに強くなるだろうし、私自身もそのように反応するだろう。
どのような老いを迎えても、もはや人は無自覚に、あっさり片づける訳にはいかなくなっている。とすれば、そのとき人はどのように自覚するか、が試されるはずである。
私は、これからも何度か繰り返して読むであろう老いをテーマにした小説を、比較的近年に書かれたものからあげてみたい。藤枝静男の『悲しいだけ』『虚懐』と深沢七郎の『秘戯』である。藤枝と深沢の作品をどのように紹介していいのか、じつはまだ私には判らない。老いを迎えて、なおも何かに拘泥しているようでいて、じつに透明な印象が残るのである。
私は言葉よりも、もっと適切に彼らの小説の何たるかを語っている坂口安吾の言葉がある。それを引いてみる。
〈この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身[うつしみ]は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期すらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いでないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる-私は、そう思います。〉「文学のふるさと

(「本の話」1995年8月号)