「富める者と貧しい者 - 遠藤周作」遠藤周作エッセイ選集1人と心 かやり、うまく、生きた 知恵の森文庫

 

 

 

富める者と貧しい者 - 遠藤周作遠藤周作エッセイ選集1人と心 かなり、うまく、生きた 知恵の森文庫



周知のように印度人の八〇パーセントを占めるヒンズー教徒は一生を四つの時期にわけるという。
まず若い頃は学生[がくしよう]期と言って、聖典などを学ぶ時期である。
次に家長期がやってくる。これは文字通り一家の家長となるため、結婚し、子供を作り、祖先を祭る時期である。
壮年時代までの家長期が終ると林住[りんじゆう]期といって、妻と共に人里離れた場所に住み、宗教的な瞑想や思索を行う時期である。
そして更に人生の老いに入ると、この世にたいするすべての執着を捨てて、聖地を巡礼して歩く時期がくる。これを遊行[ゆぎよう]期とよぶ。
もちろん、すべてのヒンズー教徒がこの四つを実践しているわけではあるまい。しかしこういう宗教的なもので人生の設計図を作ることがヒンズー教徒のヒンズー教徒たるところだろう。日本人の我々はヒンズー教についても彼等の宗教生活についてもほとんど何も知らない。しかし右のような話をきかされると、我々の生活と何とちがうのだろうと驚かざろうえまい。
我々日本人は自分の一生にどういう設計をたてるだろう。学生期と家長期とはたしかに我々にも存在するが、別にそれは宗教的意味に裏打ちされているわけではない。多くの日本人男性は社会で働くために学び、社会で出世するために努力するのみである。
まして五十歳代になれば林住期、六十歳を過ぎれば遊行期など夢にも思いはしないだろう。六十歳を過ぎた我々日本人が考えるのはいかに安楽で平穏な老後生活を送るかである。家を捨てて聖地を巡礼して歩くなど、日本の老人の大半の念頭には決して起こらぬことである。
もっとも、このような厳しい精神的な人生をすべてのヒンズー教徒が送るわけではあるまい。しかし印度を旅した人ならガンジス河のほとりや、ニューデリーのような大都会のなかでも白く顔を聖灰で塗った行者に出会ったりアスラムというヒンズー教の修行の家に住む老人の姿を見られたことがあるだろう。それらは別に僧籍にある印度人ではなく、平凡な老いた印度人なのだ。
私も数年前、印度を旅している時、そのような年寄りに何回も出会った。彼は家を出て聖地巡礼を始めてから既に二年が過ぎた、と語っていた。文字通り、老年を宗教的精進に捧げているらしかった。そして死が近づけば聖なるガンジス河のほとりに行き、そこで自分の遺体を灰にして河に流してもらうのが人生の目的だと答えた。
正直、私はその時、自分の人生と彼の人生とを比較して、その大きな違いにびっくりした。しかし歳月がたって時折、その印度人のことを思い出すと、一体どちらが幸せなのかなぁと考えるのである。
もちろん私は年とって、死ぬまでに孤独に聖地を巡礼してまわることなどできっこない。しかしあの老人にはヒンズー教徒なりに確たる人生の原則があり、それに則って生きることを疑わぬ幸福があった。それでなければあのようにホームレスの生活を二年も続けられる筈がないからである。
また私は日本の老人の心にからまる孤独や寂しさや愛のなさを考える時、彼等とあの印度の老人との、どちらが(本当の意味で)幸せかを比較する。そのいずれが本当の幸せなのか、正直わからない。しかし富ながら生きる意味も目的も多く失ってしまった日本の老人と、生活的にはみじめなほど貧しいが何かを信じ、自分の老いに方向と意味とを持つ印度の老人をくらべる気持はやはり心の底に残っているのである。