「死後の事 - 佐江衆一」日本の名随筆別巻83 男心 から

 

「死後の事 - 佐江衆一」日本の名随筆別巻83 男心 から

 

人間嫌いではないが、齢とともに好嫌が激しくなるせいか、顔も見たくない相手が幾人かいる。幸い物書きだから自分勝手を通して、会わずにいられるものの、死んだときはどうなるか。
この春、友人が死んだ。疎開先で小学校から中学校までが一緒だった友人で、近所にマイホームを建てて越してきたので、子供たちのこともよく知っている。その彼が定年後のんびりしていたと思ったら、持病の喘息で急死した。
彼の息子から電話があり、すぐに駆けつけた。和室に寝かされていた彼の死顔は穏やかだった。私は次室にさがり、戦争中のころのことを、細君と息子たちにポツリポツリと話した。そこへ次々と弔問客が来た。近所の奥さんや細君の友人たちで、とりまくようにして死顔を拝み、 「まあ、きれいなお顔」
「いまにもお目をお覚ましになるみたい」
などと口々にいい、故人とは無関係なお喋りをはじめた。
「うるせえな、さっさと帰ってくれ!」
こっちは死んで静かにしていてえんだと、私なら怒鳴りつけたい。それまで親しくしたこともない女どもから、息をふきかけられるほど間近に見つめられ、死顔の感想など金輪際お断わりだ。私がふだん顔も見たくないと思っている奴ほど、いかにも殊勝づらをぶらさげて、いの一番に駆けつけてきそうである。
葬式でもそういう輩ほど、生前のありもしない親交ぶりを人前でひけらかし、世間体のみを気づかってしゃしゃり出てくるにちがいない。出棺のお別れのとき、そいつが口臭の臭うつらをぬっとさしのべ、白菊なんぞを死顔のそばに置き、そのなまあたたかい手が頬にでも触れようものなら、カッと目をひき剥き歯まで剥いて睨みつけてやりたいが、それは出来ず、穏やかな死顔のまま棺の蓋を閉じられるのだから、私には耐えがたい。
先日、妻の母が痴呆のすえ八十八歳で死に、型通り葬儀社のとりおこなう葬式があったが、故人は優秀な成績で女学校を卒業されました。などと、葬儀社の進行係がくぐもった作り声でのべていて、生前のことを何ひとつ知らぬ他人ごときが余計なことをいうなと思った。
腹立たしいことはまだまだある。
近頃どこの火葬場もキンキラの結婚式場のようで、しかも予約の時間に次々と火葬者と家族の一団がマイクロバスで到着し、火葬までがベルトコンベアのようだ。以前は、火葬を待つ間、煙突からうっすらと風にたなびく煙を見あげながら、ああ昇天してゆくのだなと冥福をひっそり祈りつつ死者の感慨にふけることができたもねだが、今日では煙も見えず、キンキラの待合室では故人の追想にふけることのできる雰囲気ではない。そのせいか、冠婚葬祭にのみ顔を見せる連中が、円高がどうの株価がどうのと俗な話ばかりしていた。時間がきて火葬炉の鉄の扉が開き、その連中もさすがに厳粛な顔つきになったと思ったら、火葬場の係員が台の上で遺骨をかき集めながら、骨壺に書かれている享年を見て、
「お齢にしてはお骨[こつ]がずいぶん多いですね。珍しいですね」
と骨の批評をした。
これまで火葬には幾度も立合っていて、係員がこれは頭蓋骨、これは喉仏などと説明しながら骨を扱うのは見てきたが、こんどばかりは肚に据えかねた。骨がすっかり弱って寝たきりになった老人の、介護の苦労も知らぬ赤の他人から、しかも骨になってはじめて二、三分だけ会った男から、物識り顔に骨の批評をされては、黙ってやれと、私が遺骨なら怒鳴りたいところだ。その上、さっきまで円高がどうのと話していた連中が、私の骨をつまんで骨壺に収める光景を想像すると、これまた許せない。
俗世にさよならしてまで、こんなにしょっちゅう怒っていたのでは、私は成仏できそうにないが、おとなしく成仏するにはどうしたらよいか。その方法はある。
私は妻と三人のわが子以外、死顔を見せたくないし、骨も拾ってほしくない。出来ることなら、それも家族にさせたくないが、死んでからさっさと自分で骨になり、骨壺に収まってノコノコ歩いて墓に入れないのだから、死後の世話は、申しわけないが家族に任せるほかはないのである。しかし、
「どんな親しい友人にも死顔を見せるな、葬式もやるなよ」
と先日、妻と三人の子供たちには言いわたした。すると、小説家の私を最も理解していると信じていた作曲家の長男が、弔う者の気持もあると反論し、オヤジの身勝手さをたしなめるような目つきをしたので、遺書を書くことにした。これまで自分の好きなように生きてきたのだから、死の始末も自分流にしたいし、人は一人で死んでゆくのだ。遺書通りにやらねば化けて出るぞと、書きそえるつもりである。
理想をいえば、私は誰にも知られず、ひっそりと死にたい。旅に出たまま遺体も残さず煙のごとく消えたいが、遺体捜索などで残った者に迷惑をかけるから、ふつうに死ぬほかはなさそうである。しかし、死亡通知も出さず、もし聞かれたら、
「佐江は遠くへ旅に出ております」
と答えてほしい。十年もたって、人が忘れたころ、
「実は、佐江は死にました」
といってほしいのである。
骨は江の島の沖に捨ててほしいが、全部を撒骨というわけにはいかぬようだから、妻と二人だけの墓に入ることにして、自然石の墓石には何も刻まず、墓参も不要である。こんなことを考えていると、憎まれるまで長生きするかもしれないが。