「星座を知るよろこび - 草下英明」社会思想社刊 星座手帳 から

 

「星座を知るよろこび - 草下英明社会思想社刊 星座手帳 から

 

太宰治の、昭和十五年ごろの作品で、「走れメロス」という気持ちのいい小説がある。
メロスは、シラクサの暴君ディオニスの圧制をにくんで、王を殺そうと企てるが、捕えられて死刑をいいわたされる。メロスは死刑の前に故郷の村へもどって家族のためにしなければならないことがある、それを果たせば死んでも思いのこすことはないという。そのため、友人のセリヌンティウスを身代わりの人質にたてるのだ。ディオニス王に、この世の中に真実と正義があることを教えようと決心する。こうして・・・
『竹馬の友、セリヌンティウスは深夜王城に召された。暴君ディオニスの面前で、佳き友と佳き友は、二年ぶりに相逢うた。メロスは、友に一切の事情を語った。セリヌンティウスは無言で首肯[うなず]き、メロスをひしと抱きしめた。友と友の間は、それでよかった。セリヌンティウスは、縄打たれた。メロスはすぐに出発した。初夏、満天の星である。』
どうだらう、このリズミカルにたたみかけてくる調子のよさ、心よい簡潔適切な描写、くどい会話などいっさいなく、これだけで人物の影があざやかな陰影をもって躍動し息づいている。そして、メロスは自分の故郷の村へと走ってゆく。砂漠のような平原をただ一人走るメロス、たくましいメロスの半裸体、その黒いシルエットを浮かびあがらせるのが、「初夏、満天の星である」。
ここで、星座を知っている人と、そうでない人とでは、ぐっと鑑賞のしかたがかわってしまう。ある人は、太宰が一言も初夏の星座についてふれてくれなかったことを残念に思うだろうし、ある人は、メロスが走ってゆく夜空の星を、なにがみえていただろうかとあれこれ想像してみる。
初夏といえば、ヘルクレス、かんむり、うしかい、ことなどの星々が天頂付近をかざり、南の空には、おとめ、でんびん、そしてさそりが頭をだしている。北の空には、北斗七星が大きく西にかたむきつつある。待てよ、メロスが出発したのは、深夜すぎということになっている。すると、初夏の星座は大きく西にまわっている。ま夏の星空か、いや、もうすでに初秋の星々がかがやきでているかも知れない。天の川は、東北の空から西南へ、みごとな光のかけ橋をわたしているだろう。メロスは、どの星を目あてに故郷の方へいそいでいるのだろう。ところでシラクサ(イタリアのシチリア島)の緯度は、日本と同じであったかしら、北極星の高度は、日本の東京あたりと同じにみえるのかしら、などといろいろ考えを発展させてゆくと、たのしみは倍加してゆく。(じっさいは、シラクサの緯度は北緯三十七度くらい、東京より少し北によったくらい)
どうだろうか。「初夏、満天の星である。」太宰治のたったこれだけの文章から、もうこんなに星空を知るたのしみがみちあふれてくるのだ。それにしても、太宰のはあくまでもフィクションで、つくり話にふりまわされるのは、ばかばかしいという人もあるか。それなら、ノンフィクションでもいいのである。
たとえば、マナスル登山隊長であった槇有恒氏の「山行」という有名な立山の松尾峠の遭難を記録した名文がある。大正十二年、槇氏の若かりし日のことだ。吹雪の中で同行の一人が力つき息をひきとるのだが、槇氏はそのようすをひじょうな名文で描写している。
「・・・一月十七日、〇時五十七分、ふしぎにもみわたすかぎり空が晴れて、空一面に星がでている。松尾峠の上に大きな星がでている。板倉さんの霊はそのむらがる星のなかに去った。星の光はすぐ消え、死体の上にうっすりと雪がおおった・・・」
このふしぎに晴れた星空、そして、松尾峠の上に光っていた大きな星というのは、いったいどの星だったのだろうか、一月の深夜ならば、大犬座のシリウスがみえていたにちがいない。あるいは、ぎょしゃ座のカペラ、うしかい座アルクトウルスなどが山の稜線すれすれに見えていた可能性もある。
以上の例は、紙上天文学というわけだが、もちろん、じっさいの空の星座を忘れてはなるまい。これは、あくまでも星座鑑賞の応用例にすぎないので、本筋は、じっさいの星空をながめることにある。
大都会の空から、年々、失われてゆく星空を、なんとかして、人びとの努力によってとりもどしてゆこう。星座や澄んだ空は、鳥や虫とちがって、絶滅したり、逃げていってしまったわけではないのだから、一人でも多くの人が、星座を知るたのしみをおぼえたならば、きっと都会の空にもとりもどせると思うのである。