「芸は異なもの味なもの - 美空ひばり」日本の名随筆別巻63芸談 から

 

「芸は異なもの味なもの - 美空ひばり」日本の名随筆別巻63芸談 から

 

歌とお芝居との二筋道を歩きはじめて丸八年になりました。いまではお芝居の魅力にすっかりとりつかれてしまったわたしです。わたしのお芝居を見ていただいて、本命の歌を聞いていただいて、たっぷり楽しんでいただく、「ああ入場料は安かった」と言って帰っていただく、というのがわたしのモットーです。そして、映画とちがって、目の前にお客さまがいて下さる、ということのうれしさがあります。ですから、これからもずっと、歌とお芝居をつづけていくということにしたのです。
とはいえ、最初は困ったこともありました。歌ならバンドと自分さえいれば、それでできるのですけれど、お芝居は相手役を探さなければなりません。その人とうまく呼吸があわないと、苦労のしつづけということになってしまうのです。
それから、わたしは、お芝居は映画畑の出身ですから演技の質がちがいます。舞台の所作というものは、はじめはてれくさくててれくさくてしかたがありませんでした。伊志井先生は「てれるなよ。お芝居はてれたらだめだよ」と言って下さいました。はじめはなかなかやれなかったのですけれど。自然に階段を一足ポーンと降りて、うちかけを持って、見得を切ったりすることも、やるようになりましたし、間のとり方とか、形とか、じきにのみこめるようになりました。一年たち二年たちするうちに、わたしのお芝居も、ぐんぐん変わっていくのがわかり、この道の底知れぬ深さも知りはじめました。
そして、わたしのお芝居は、やはりわたしらしくなければなりません。演出に沢島忠さんをおねがいしているように、わたしのお芝居には映画的な要素も生きています。それは歌舞伎でもなければ新国劇ともいえないもので、やはりひばりの舞台といえるものになっている、少なくともそれを狙っている、ということです。
なにしろ舞台は大ぜいですることです。表に出る人ばかりではなく、裏で支えて下さっている方々も沢山いらっしゃいます。「ひばり劇団」というものの座長という役割についてみると、本当に大変なお仕事だ、ということを身にしみて感じます。普通の人の四倍も五倍も労力と頭を使わなければ座長はつとまりません。それで、お客さまはわたしを見に来て下さるのですから、わたし自身の芸がおろそかになることは許されることではありません。

舞台に立っていらっしゃる他の方々はどうなのか存じませんが、わたしは未だに初日前夜は眠れないことが多いのです。どうしても明日のことを考えてしまいます。おふとんの中で踊りが頭に浮かんでくれば、いつの間にか足をバタバタやっています。「いつ、どこでひばりちゃんは練習しているの」と言ってみんなが笑いますけれど、おふとんの中でやってる、ということかもしれません。
寝る前というのは大事な時で、せりふのうけ渡しの相手を、母や付人の範子にやってもらって、台本どおりいっているかどうか、たしかめる練習も、幕あき前の数晩は行います。それはもちらん大丈夫なのですけれど、やはり足場をふみかためて確信をつけるためなのです。ふとんの中の踊りも、納得がいけば眠れますけれど、納得がいかないと、しらじら夜が明けて来てしまいます。
そんな晩は、母はだまって寝たふりをしてくれついますが、母も気にしながら起きているのがわかります。
しかし、お芝居というものは不思議なものです。いよいよ衣裳をつけはじめると、ほんとにその気分になっていく、というのは、どういうわけなのでしょうか。自分で、そういう格好をしてポーズしているわけではないのに、顔を作り、鏡を見、森の石松なら森の石松の扮装をすると、もうわたしは本当の森の石松になってしまっているのです。
そうなると、普段はミニスカートを穿くと、足が恥しいなと思うわたしなのに、そういう時なら、足が見えてももう自分は男になっているので平気なのですね。
楽屋でも立ち居ふるまいまでそうなってしまいます。椅子に腰かけても男のようにすわりますし、お昼ごはんを頼んでも、口のききようから食べ方まで石松のようになっているのです。そんな時、自分でもぼんやりと「自分はなんでこんな気分になってるんだろうなあ」と思ったりしますけれど・・・。
そんなときのこっけいな失敗談をお話しましょう。
ある時、柄の悪い土地へロケーションに行ったことがありました。すると黒山の人だかりで、わたしが石松姿で車を下りて行くとあちこちから野次がとんだのです。「やーい魚屋の娘ェ」とか、「なんだ、思ったよりチビだなァ」といった声がとんで、なかなか道をあけてくれません。整理に当っている人の言葉もきいてくれません。わたしは思わず石松になってしまいました。
「やーい。そこをどきやがれ!」
そうどなると、道をぱっと開けさせて、さっそうと走りぬけてしまいました。
「あれ、美空ひばり?」
びっくりしたような声がきこえます。しまった、石松姿のせいで・・・と思ったけど、もう後の祭り。わたしは内心で苦笑いしながら肩で風を切って進んでいったのでした。