(巻十二)言ひ訳のできぬ物出る土用干(田村米生)

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10月15日土曜日

朝日千葉歌壇10月13日から:

あれやこれもたつくことの多くなり老いのゆとりに慣らされ生きる(中山由利子)

何もかも捨てると言へど捨て去れねものありてこそ人のなさけか(森川町子)

10月10日朝日俳壇から:

存じあげぬ虫も鳴きをる夜明けかな(菅野仁)

ひと月も後の訃報や鳥渡る(池谷涼子)

手を出して日照雨(そばえ)たしかむ鉦叩(古賀勇理央)



本日の句“言ひ訳のできぬ物出る土用干(田村米生)”は心に沁みる句である。女性にも居るのかもしれないが、男は箪笥の奥とか、本棚の学術書の後ろとかに艶本を忍ばせているものである。

埋蔵金隠し続けて山眠る(原田要三)

が、しかし、

死支度致せ致せと桜かな(一茶)

ということになってくると秘宝の処分を迫られるわけだ。これは断腸の、否断チンの思いである。

男といふ性は峠を過ぎゆきて赤いきつねを啜りいるなり(田島邦彦)

電子媒体に取り込んで携帯に埋め込んでセキュリティを掛けた写真などもあるが、艶書は紙媒体でないと深い味わいがつたわらない。これはIT媒体の特性であるスピードを艶文が嫌うためではなかろうか。ある小説作法指南書では、“艶文の基本は「遅々として進まない。」ことである。”としていた。確かにそのようだ。部位の表現は形状・色彩の詳らかな描写に始まり、

牡蠣というなまめくものを啜りけり(上田五千石)

挙動はコマ送りに表現される。

背を割りて服脱ぎおとす稲光り(坂間晴子)

これに一つ一つの行為の目的や反応についての評価などの主観が差し挟まれていくのだから、遅々となる。

春遅々と先の詰まりし醤油差し(田中悦子)