「平井照敏編俳枕 「解説」- 平井照敏」河出文庫 平井照敏編 俳枕 から

イメージ 1
平井照敏編俳枕 「解説」- 平井照敏河出文庫 平井照敏編 俳枕 から

俳句を作るには歳時記を座右にとか、歳時記は俳句作者の必需品とかいう考えは、すでに古くから定着し、季題のわく内で、本意にかなった句を作ることが、伝統俳句を作る人々にひろくおこなわれてきたと思う、ところが最近、「俳枕」ということが言われはじめ、次々に同種のものが出版されるようになった。列記してみると、
『地名俳句歳時記』全八巻、中央公論者(昭和61年9月より)
『俳枕』全七巻、朝日新聞社(昭和62年9月より)
『俳句の旅』全九巻、ぎょうせい(昭和62年10月より)
『大歳時記』第三巻「歌枕俳枕」集英社(平成元年10月30日)
である。「俳枕」ということばは、もちろん歌枕という周知のことばを俳句に転用したもので、その耳慣れぬひびきを危うんでか、あるいは『地名俳句歳時記』として、例句を季題に分類し、あるいは『俳句の旅』として、旅行への関心に結びつけようとしている。そうした危惧をつっ切って『俳枕』を堂々と名乗ったのは朝日新聞社の七巻であった。私も参加した『大歳時記』第三巻「歌枕俳枕」はそれ より二年 後の出版で、歌枕と組み合わせて俳枕という新しい語感をなじませている。
『新歳時記』(全五巻)の二冊の別巻である『俳枕』東日本、西日本の巻は、右の展望からすれば、五つ目の俳枕の試みということになり、「俳枕」の名称だけから言えば、三番目ということになる。その意味では、まだ未熟の試行錯誤であるともいえるだろう。しかし歳時記も、そのような試みのつみかさねによって、成熟してきたのであり、俳枕にも、今後の蓄積が大いに必要とされ、さらには海外詠という、新分野への開拓がおこなわれてゆかなければならないのである。私はこの別巻で、そのための小さなまとめをおこなってみた。海外旅行や海外滞在がますますさかんになる今日では、この分野も、無視することのできぬ勢いである。たえず補われ、拡充されてゆかなけ ればなら ぬ領域である。
「俳枕」ということばは、しかし、これまでに皆無であったものではない。延宝八年(1680)に刊行された俳書に『誹枕』という書名としてすでに用いられていた。この本を編纂したのは高野幽山であり、幽山は芭蕉俳諧師として独立する前にその執筆(ひゅひつ)をつとめたことのあるひとであった。幽山はなかなかに開明の気性であったらしく、諸国を旅して作った自句や他人の句をあつめて、国別に分類しただけなく、同時に、琉球唐土・阿蘭陀などの外国もつけ加えていたという。この書には、芭蕉の友人山口素堂が序文を寄せており、「能因が枕を借りてたはぶれの号とす」と述べられている。これはこの書物が『能因歌枕』から書名を借りたということで、や はり歌枕から転じて俳枕とつけられたわけである。ただし『能因歌枕』は決して名所和歌集なのではなかった。和歌を詠む上での便利な手引き書なのであった。
俳枕は俳句の枕ということだが、枕とはどういうことであろうか。もちろん、第一には寝るときの頭の受けとするものを言うが、第二に、寝ること、宿ること、第三に、頭の方、枕もと、第四に、寝ている心持ち、就寝の様子、第五に、寝るところ、第六に、長いものの下に横に据えて、これを受けるもの、第七に、物事のよりどころ、たね、第八に、前置きの言葉、落語家などが初めにつけて話す短い話などの意味があり、この場合には、当然第七の意味ということになろう。歌枕といえば、和歌を詠むよりどころになる景物やことば、それを書きあつめたものということになる。それが次第に名所だけをさすことばに変っていったものという。宗祇の頃には、名所がほぼ歌枕と して選ばれ 定まってゆく。どこに歌枕となる基準があったかといえば、それは大歌人の詠んだ土地、古典に詠まれた土地ということであった。しかも、美の幻想をかもし出すところ、架空の土地さえも含まれるものなのであった。もっとも俳枕というものは、歌枕をうけつぐものではなく、俳句にうたわれた名所と変えるだけのことはあって、足をはこんでたしかめて、俳諧の眼でとらえなおした名所となるのである。芭蕉は、とりわけ『おくのほそ道』の旅で、歌枕の地を訪ね、古歌を思い出しながら、実際の眼前の景を眺め、感動をあらわにした。そこには、まだ俳枕という名こそなかったが、歌枕をうまれかわらせ、一変させる新鮮な土地の情熱が発見されたのである。そして、そこに、歌枕ではなく俳枕とこそとなえね ばならぬ、あたらしい価値がうまれたのである。
本歳時記は、一貫して、季題には本意があること、それが季題の中心的幻想となることをとなえ、例句のなかに、そのような一句を見出そうと努めてきた。その方針は、俳枕においても変ることはない。芭蕉が「行く春を近江の人と惜しみける」という自句を言いかえようとする弟子のことばにくみせず、「古人もこの国に春を愛すること、をさをさ都に劣らざるものを」と述べているところに、近江の本意についての芭蕉のこころはあきらかに見える。土地の性格は、時代によって変ることも多いが、先人の歌や句にしっかりとうたいとめられているのである。そうした句に*を付けようと努めてきた。
もう一つ特記しておきたいことは、芭蕉が「名所のみ雑の句もありたし」と述べていることである。雑とは無季のことで、有季定型の俳句おはずれてしまう可能性がある。なぜ名所、つまり俳句では俳枕のことになるが、名所では季題がいらないといってよいのか。それはつまり、名所が季題にとってかわることができるもの、あるイメージ的充溢をもっているということなのであろう。もちろん、芭蕉はそう言ったが、現実には、俳枕の句にも、季題がかならず用いられている。けれども、俳枕が、それほどの威力をもつものであることは、承知しておかなければならないであろう。
歳時記とか、このたびの俳枕というものは、多分に辞書ないし百科辞典的性格をもち、人智の結晶という趣きがある。浅学菲才の私にははじめから手もとどかない仕事であった。記述の一般性ということもあって、先学の成果を学ばせていただくほかになすすべもなかった。俳枕の地名の解説には、とりわけ、『地名俳句歳時記』の、例句の選定には、とりわけ、『俳枕』の業績を学ぶことが多かった。他の類書、旅行案内、句集等の参照は改めて言うまでもない。特に記して、感謝申し上げたいと思う。