「エレクトロニックカフェに行った - 川上弘美」中公文庫 あるような ないような から

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「エレクトロニックカフェに行った - 川上弘美」中公文庫 あるような ないような から
 

渋谷センター街マクドナルドに入ってチーズバーガーとコーラを買って二階に上がるとぎっしり人が座っていてたいがいの人の髪が茶色くて茶色くない人もだぶだぶした服を着ていておまけにどのテーブルの上にも必ずポケベルが一つずつ載っていてそのどれかがひっきりなしにピーピーいっているのだった。
神奈川県伊勢原市マクドナルドにくらべてセンター街のマクドナルドの椅子席のテーブルとテーブルの間がすごく狭いのは土地価格から考えても当然なのだろうけれど、同じくらいテーブルとテーブルの間が狭い吉祥寺マクドナルドにくらべて客層があまりに均一なのはどうしてだろうと考えはじめたけれどたぶん大した訳はないだろう思ってチーズバーガーを 包む黄色 いワックスコーティングの紙をむいた。マクドナルドが発泡ポリスチレン容器をフィレオフィッシュビッグマックに使用しない地球に優しいやりかたをするようになったのはハンバーガー屋系統の中でもけっこう後の方で、でもそういうことに関係なくいつもマクドナルドは人でいっぱいである。わたしは照り焼きものはあんまり好きではなくてだからマクドナルドとモスバーガーの両方がある場合は必ずマクドナルドを選んでしまうのだが、マクドナルドで照り焼きバーガーを食べてる人はいったいこれについてどう考えてるの、と、いつか十歳年下の弟に聞いてみたことがあったが、姉貴そんなことを真面目に考えていちいちハンバーガー屋を選ぶ人間なんてないよばか、と、鼻先で笑われたのは少しいまいま しかった。
ポケベルの音は、わりと好きだ。

エレクトロニックカフェに行った。
エレクトロニックカフェとは、インタネットにアクセスできるパソコンが置いてあって飲食もできる場所である。
もともとパソコン通信をしている。ただしインターネットとはうまくアクセスできない。アクセスできることはできるが、持っている機械の関係でごく一部しか見られないのである。インターネットとは世界中の人の書いた情報を世界中の人が電話線その他を通じて読めるしくみである。インターネットなるものをもっとよく見てみたいと薄々思っていたので、簡単にアクセスできる場所に行ってみませんかと誘われて喜んで頷いたのである。
センター街から駅に戻って井の頭線の改札で『文學界 』の渡辺さんと待ち合わせをして鳥升や鳥竹なんていう焼鳥屋の前を通りなんとかいうラブホテルの前も通り、このラブホテルは二十年前からあるねえなどと半分口から出まかせを言いながらでも渡辺さんは二十三歳だからほんとは二十年前からなかったにしてもわかりっこないやとわざわざ自分に言い訳をしながら、道玄坂の裏の坂の上にあるエレクトロニックカフェに行った。
インターネットって、面白いの? とインタネットにしょっちゅうアクセスしている人に聞くと、エッチ情報がちょっと派手なのと怪しい情報も探せばあるのが面白いけどさあねえ後はあんまり面白くないよ、と言われる場合もあるし、電子メールをいろんなネットの人に出せるから便利だなあ、と言われる場合もあるし、いやいや某企業界では全世界の同一企業がネット上でリアルタイム会議を開けるようなソフトとハード作りを行ってる最中だしだいいち世界のありとあらゆる情報をざくざく手に入れられるからすっごいもんですよこりゃ、と言われる場合もある。
いずれにしても利用する人次第なことは当然のことでそれはわたしがポケベルをうまく使えないけどセンター街の茶髪の人たちがすごくうまくポケベルを使っているのと同じようなものなんだろうと思う。

渡辺さんは「来る前に文春マルチメディア室でインターネット接続の方法を教わってきました。うひゃーそれじゃあ君もこれからインタネットなんかやって真面目に世界の行く末を考えるのお、なんて言われちゃいました」と言いながら、簡単そうなページのアドレスを幾つか手帳に書き留めたのを見せてくれた。
真面目に世界の行く末を考えるのはたしかに面白いことだしセンター街のマクドナルドで地球に優しくない環境汚染物質のことを考えるのも興味深いことだけれど、インタネットにアクセスして全貌のわからない新聞の一部をちょろちょろ読むようなことは面白いことなのかなあと多少不安に思いながら、二人で飲み物を頼んでからそれでもいそいそとパソコンの前に座った。
ちっともうまくアクセスできない。
http://と押したあと、なんとかかんとかと押すのだが、 . や , を取り違えるととたんに接続できなくなる。そんなことは当然なのだが、ぐずぐずと時間をとることはなはだしい。やっとアクセスしたと思ったら、英語だ。英語は不得意なくせに、斜め読みですべてを片づけようとするから、ぜんぜん意味がわからない。それでも「シラノにラブレターを書いてもらう」というページに行って「太ってて象が好きで一番似合う服は半ズボン、チャームポイントは肌のつるつるとしたところ」という架空の片思いの相手に出すラブレターを書いてもらったり、「背が高くて困ってる人たちが忌憚のない意見を発言する」ページに行ってみたり、知り合いが作ったホームページを見て みたり、 した。
「けっこう来ますねえ」「わたしはまるかも」と言いあいながら、相変わらずぐずぐずとアクセスしていると、もう二時間がたっていておまけに満員になったので「おしまい」と店の人に言われた。けっこうはまるかも、などと言いながら二時間で得られた世界をかけめぐるインターネット上の情報はあまりにも僅かなものであった。
映画というものを見たことのない人に初めて映画を見せてから感想を聞いたら「横切った牛がすごくよかった」というような感想を述べたのだが牛が画面上に現れるのは二時間の映画のうちほんの十秒くらいなのだった、というような内容のことを昔また聞きしたことがあって、いつも本を読んだり人と話したりするたびにぼんやりとそのことを想い出すのである。結局今になってはっきりと覚えているのは、エレクトロニックカフェの従業員が首からフロッピーディスクを下げていたことと、カフェを出てから渡辺さんと行った台湾料理店で相席になった男性が編集プロダクションに属しているらしいことが同席の女性との会話から判明したことと、渡辺さんと別れた後に待ち合わせた駆け 落ちをしている最中の友人は相手の女性の頭を撫でるという愛情表現方法が好きであるらしいことと、台湾料理における牛のアキレス腱がたいそうおいしいことと、くらいである。わたしという人間が受け取ることのできる情報の型というものは、そんなようなものだったようである。
インターネットのことは、いまだによくわからない。
で、ポケベルの音は、わりと好きだし、茶髪の似合う人が茶髪にしてるのはなんとなく理に適ったことなのだと、思う。