1/2「 青春の日々(一部抜き書き)-植村直己」文春文庫 青春を山にかけて 植村直己 から

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1/2「 青春の日々(一部抜き書き)-植村直己」文春文庫 青春を山にかけて 植村直己 から

兵庫県日本海側に面し、円山川の流れる国府村(現 城崎郡日高町)。私は、その山村の農家に生まれ、高等学校は隣市にある県立豊岡高校に通った。
家では米作のほかワラを加工して縄を作り、神戸や大阪地方に売っていた。大人だけでは人手がたりず、小学生のころは、牛飼いや畑の草とり、ワラのそぎ取りを手伝わなければならなかった。
中学のときバレー部に入ったのもその手伝いがいやだったからだ。放課後練習があるので家の手伝いなどできない、というわけだ。しかし、高校のときはクラブ活動をやる勇気もなく、そうかといって勉強も満足にせず、学校の反乱分子のようになってよくいたずらをした。学校の中庭にあった生簀のコイをつかまえてストーブで焼いて食べたり、ストーブにゾウキンをつめて煙突をふさぎ、教室を煙だらけにして授業を中止させたりしたものだった。
明治大学農学部農産製造科に入ったのも家の農業のためになどというものではない。志望者が少なくて、入学が比較的簡単だったからである。もっとも、私が無一文のうえ、アチラの言葉もよくしゃべれないのにアメリカに行ったとき、この妙な学問は農場に仕事を見つけるのに多少役立った。
大学に入っても自分の将来にはっきりした目標があるわけではなかった。しかし、大学生活を有意義に過ごすために、大学のクラブ活動をやろうぐらいの気はおきた。ただ、自分には文化サークルや音楽グループに入れる才能はなし、運動部となると、みんな高校のときからバリバリやった連中ばかりで、どこにも所属できそうな部がなかった。
そこで、入学式も終わり、ガイダンスがはじまろうというとき、ふと思いついたのが山岳部だ。山岳部なら緑のみられない都会の雑踏からのがれられ、自然の中で、山にも登れる。またテントで一緒に生活することによって、おなじカマのメシを食えば、友だちを得ることもできるだろう。
私は保証人の赤木正雄さんのところへ行って相談した。子供のころ赤木さんとは家が隣同士で、息子の健一さんとは遊び友だちだった。その健一さんは慶大に行って、東京六大学野球リーグの首位打者になり、プロ野球の”国鉄スワローズ”(現在のヤクルト)にもいたからご存知の方も多いだろう。
赤木さんは、
「登山には遭難があるからなんともいえないが、部活動は友人も先輩もでき、体の鍛錬にもなり、有意義なことだ」
といってくれた。
山岳部に入るといっても、中・高時代に山に登ったわけではない。確か豊岡高校にも山岳部があったが、どんな活動をしていたか知らない。高校一年生のとき、まだ頂上近辺に残雪のある1,000メートルそこそこの蘇武ガ岳(兵庫県、1、075メートル)に息をきらし、クラスメートと競争して登ったことがあった。雪をガブガブ食べ、舌を荒らしたのを覚えている。
しかし、富士山こそ知っているが、日本アルプスがどこにあって、そこにはどんな峰がそびえているのかなんてまったく無頓着だった。これで大学の山岳部に入ろうと思い立ったのであるから、考えてみると無茶な話だ。
とにかく、山岳部なるものをのぞいてみよう、入部する前に山岳部の活動内容をよく調べ、よく考えたうえで決心しようと、私は駿河台の校舎の地下にある部室のドアをノックした。
部室は天井の低い、八畳ぐらいのすすけた部屋だった。壁には部員の名札が掛けてあり、どこか知らないが雪山の写真が二枚ばかり。部屋の中央には飯場にあるような長机が置いてある。いやはや、山岳部とはなんときたないところだ。
ちょうど部員が二十人ばかりトレーニングから帰って、部屋の中で素っ裸になって着がえているところだった。そのうち、奥にいた上級生らし部員にベランダに呼出された。
「われわれは、君の経験の有無は問わない。ここに入ってきている部員は、みんな君同様に山の素人ばかりだ。想像したまえ、冷たい雪の中、吹雪、嵐と闘って目的をひとつにして、みんなが力を合わせ登ることを・・・・。お互いが信頼し合い、ザイルで命と命を結ぶ。狭いテントの中で寝起きをともにし、同じカマのメシを食い、お互いに助けあっていく。われわれ部員は、兄弟のような愛で結ばれている。この山岳部に入ってきた新人はだれでも、経験によって差別されることなく、山の基本の歩き方から教わってゆく。かえって君のような初心者の方が上達がずっと早い」
自分もそうだったのだと、その上級生の言葉は自信に満ち、一語一語に自分の肌で感じた体験がにじみ出ているようで、私の胸をうった。この上級生にすがっていれば、きっと私の求めている有意義な学生生活ができるだろうと、そのとき直感した。
「三日後に北アルプスの白馬で、新人を対象にした歓迎山行合宿をやる。君も参加してみないか」
ところが、その”白馬”とやらがどこにあって、どんな山なのか私はまるっきり知らなかった。
「いや、きょうは、山岳部とはどんな部なのか尋ねにきただけなんです。入部の決心はまだ・・・」
といいかけたが、その先輩は、
「心配いらん、装備はみんな先輩が貸してやる」
といって、他の部員を呼びつけ、部屋の中から靴下と登山靴を持ってこさせた。そして、かかとに穴のあいた、しょぼくれた厚い毛の靴下と、底のすりへった登山靴をはかされた。
「オー、君にぴったりじゃないか。ズボンとシャツはあすオレが持ってくる。ザックとピッケルは部屋にある。地図jはそんなに高くないから買った方がいい・・・」
まだ私の決心もつかないのにすっかり上級生のペースで話が進み、白馬新人歓迎山行の準備会では、
「きょうまた、われわれの同僚が一人増えました。植村直己君です。上級生はよく面倒を見てやってください」
と紹介されるハメになった。ペテンにかかったようだが、もうどうしようもない。
こうして私は明治大学山岳部員になった、というよりはさせられたのだ。保証人の赤木さんは、
「いったん決めたことはやりぬきなさい」
とおっしゃった。