「動物とアルコール - 戸川幸夫」中公文庫 私の酒 から

イメージ 1

 

「動物とアルコール - 戸川幸夫」中公文庫 私の酒 から
 

「山の奥にゆくとな、谷間の岩の間などに猿が作った酒がある。猿酒といって、これは天下の珍味と称すべきもんだ。
サルどもがとってきた山栗だの山ブドウだのコクワなどを岩のすき間にかくしておくのじゃ。そこへ、岩の間からしみ出た清水がたまって、いつしか果実は醗酵して、天然と美酒に変る。これを味わえるのは狩人か、木こりか、山の奥まで入って仕事をする者だけじゃ」
長じて、ものの道理がわかってきて、猿酒の話は、象の墓場と同じように単に伝説的なもので実在しないものだとわかった。
動物の中にはアリだのハチだの、ナキウサギなどのように、習性的に食物を貯えるものは少数あるが、一般的に言って動物には食物を貯蔵しようという気持はない。
ニホンザルなど、ほっぺたの内側に頬袋の中に食物をいっぱいつめこみはするが、それは貯蔵とは異なる。
食物があればうんと喰い、なければひもじさを我慢するという行きあたりばったり式なのが普通だから、まして猿が食物を岩のわれ目にかくしておいて、酒になるまで待つなどということは到底考えられない。
いったいに動物はアルコールに弱い。犬などに実験的に酒を飲ませると、千鳥足を通りこして腰が立たなくなってしまう。
どことかの肉牛には、毎日ビールを飲ませてマッサージをする。だからそこのウシの肉は柔かくて、網目状に脂がのってうまいのだ - などとおう自称通人の話もちょくちょく聞くし、そういう場面の映画も見たことはある。
しかし、この話もだいぶ宣伝が交っているようで、現に私は、そのビールを飲ませる撮影をした牛屋の御主人から話を聞いたことがある。
「はい、ウシはビールを飲ませれば飲みます。だが、肉をよくするためにビールを飲ませるというのはちがいますな。私共ではそんなことは致して居ません。肉を美味しくするのならもっと別な方法があります」
という話だった。私が御主人に質問した理由は、ウシがどれだけアルコールに強いか、また好きであるかを知りたかったであったが、それはわからなかった。
とにかくウシはビールを飲ませれば飲むということだけはたしかだ。
酒を飲む(飲ませればの話だが)動物に有名なのは海ガメである。正覚坊(しょうかくぼう)などが浜に上ってくると、ところによっては漁師たちが縁起がいいからと、酒を一升ふるまって海へ帰してやる。酒ビンをカメの口へ押しこんで、ゴクゴクと飲ませるのだが、カメはこれをけろりと飲むのだから、酒は好きなのかもしれない。
新宿に野獣の肉を食べさせる栃木屋さんという店がある。ここに、以前小さいときはテレビにも出演したという、ニホンツキノワグマが飼われている。
このクマ公、なかなかのビール党である。もともとは、やってくる客が飲ませたのが始まりかもしれないが、両手でビンをかかえてうまそうに、それこそラッパ呑みをする。それ が面白いので、客たちはさらに飲ませるのでかなりの酒豪になっている。
クマがビールを好むのは、どうも性質のようで、宝川温泉に飼われていたクマたちもよくビールを飲んでいた。あんなにがい液体をよく好むものだと思うが、クマは山菜 - ことにフキノトウなどをよく食べるから、にがいという味には平気なのだろう。
上野動物園長の林さんが、この栃木屋のクマがどれくらい酒豪かためしてやろうと、ビールビンに焼酎を入れて砂糖をまぜて与えたことがあった。クマはいつものビールと味がちがっているので変な顔をしたが、好物の砂糖で味つけがしてあったので、大喜びで飲んでしまった。ところが、さすがにきいたとみえて翌日までウンウンと唸って寝こみ、枕も上らぬ宿酔。店の人が呼んでも横になったきりだという。よほど悪酔にこりたと見えて、それからしばらくは客がビールビンをさし出すとくるりと尻を向けていたそうだが近ごろではまた飲みはじめたという。悪酔にこりないのは、人も動物も、左党とあれば同じものらしい。