(巻二十)秋灯むかしと違ふ読後感(時田しげみ)

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9月23日日曜日

確かに読後感にしろ映画の感想にしろ変わるでしょう。最初に幾つの時に読んだかも問題です。
三国志徳川家康坂の上の雲などの処世訓作品は二十歳(はたち)前に読んだのと三十、四十で読んだのではインパクトが違うでしょう。

細君の命により押入からストーブを取り出し設置した。まだ暖をとるためではございませんで、洗濯物を乾かすためだとのことです。温度が自動調整なので室温が25度以下になると使えるそうです。秋ですねえ!

昼飯どきに細君が朝日歌壇を持ち出して“のたまわく”
「今日は刑務所の人が随分選ばれているわ。時間があるのかしら?」
私も入ったことがないので分からないのですが、懲役刑と禁固刑では違うんでしょう?

朝日俳壇から、

やばいねの言葉列なす炎天下(無京水彦)

心臓の少し上刺す赤い羽根(萩原行博)

颱風を甘く見てゐた悔のあり(田中節夫)

を書き留めた。

やることもないので“ときわ”まで散歩したが途中に子供服の古着屋があった。ごっそり子供服が掛かっている。今やお下がりということもないだろうから持ち込みは多いだろうが、一人っ子に古着を着せるのかなとも思う。だが商売として成立しているようだ。
大人のものも僅ではあるが取り扱っている。替え上衣を探してみたがサイズ・色・柄と気に入ったもはありませんでした。

今日のコチコチ読書、

「誤訳と誤用 - 羽仁 翹(ぎよう)」文春文庫 巻頭随筆 から

羽仁氏は1978年の執筆時の肩書をジャパンタイムズ編集局長とされています。英語の正しい使い方で一編お書きになっている。
因みに“掴み”は以下の通りです。

このうち元大統領首席補佐官のボブ・ホールドマンのThe Ends of Powerは文藝春秋四月号の誌上に「権力の終り」という題でいち早く抄訳が掲載されたが、この訳題に問題がある。
この本の内容そのものの興味と同時に、独占契約の裏をかいたワシントン・ポストのすっぱぬきもニュースになり、日本の新聞の特派員も一せいに記事を送った。その際全ての記者がこの題を「権力の終焉」あるいは「権力の終り」と訳していた。問題の抄訳版の題がこれらの記事に影響されたかどうかはわからないが、これは正しくない。The EndではなくThe Endsだからである。