(巻二十)あと戻り多き踊りにして進む(中原道夫)

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12月22日土曜日(冬至)

午前中、少々の家事手伝い。午後も少々のアイロン掛けだけであとはくつろいで過ごせました。
そんなわけで、

「遺書状を書く必要がなかった人 - 新藤兼人新潮文庫 ボケ老人の孤独な散歩 から

を一日でコチコチ読み終わりました。
とぼけた題名ですが、濃い本です。

溝口健二は陋巷(ろうこう)に埋もれた女の生態をとらえたが、小津安二郎は平凡な庶民の良俗と正義を描いた。庶民は体だけで生きて死ぬのである。カネを残しもしないし、教訓を垂れたりもしない。あるときぽつんと死ぬだけなのである。もったいぶって遺言状を書いたりはしない。
小津作品の正義は何かというと、ゆずりあいである。人を押しのけて前へ出ないという生き方、これが小津作品のすべてであった。”

と評しています。
小津作品は何回か見ていますが溝口健二監督作品は見ておりません。
小津作品の中で東野英治郎とその娘役の杉村春子がやっている中華そばやに東野英治郎の教え子だった笠智衆中村伸郎が訪ねていくシーンがあります。
それがお化け煙突のそばだったような記憶があります。
小津作品は鎌倉に住んで丸の内にお勤めの設定ですから、お化け煙突の見える一帯は落ちぶれた恩師が潜む異郷として扱われのでしょう。

小津映画流れるままの寝正月(小沢昭一)

外出もなく一日中家のなかにおりましたので写真はその文庫にいたしました。

今日は冬至で柚子湯となりました。

不器量の身とな思ひそ残り柚子(吉倉紳一)

器量良き柚子胸もとに長湯せり(中嶋孝子)