(巻二十一)耕人を笑はせているラジオかな(二階堂征治)

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3月24日日曜日

ラジオ放送をすべてFMにするという要望が局側から上がっているらしいが、もそのようにしていただけるとありがたい。
最近は聴かなくなってしまったが、NHKのラジオ第二放送(AM放送)の講演会は良い番組でよく聴いていた。平日の夜八時半から毎晩放送していたカルチャーアワーは今も続いているのだろうか?昨日読んでいた西部邁氏を知ったのも10年以上前の文化講演会でありました。
民放のAM局がFMの実験放送を始めたので、AM放送は実質的にNHKだけになってしまい、そのためにAM付きのラジオを買うのも面倒だし割高なので止めた。

秋雨のラジオをけせばひとりかな(中久保まり子)

スコット・ターロウーの推定無罪のなかで殺害された独居の女性検事が家の中の静寂を嫌い常にラジオを鳴らしているという場景描写があったことを思い出した。

桜の開花は如何と散歩に出掛けた。さくら通りで早い桜はこの木のようです。

更に図書館に向かって進みますと、年度末の駆け込み工事が行われておりました。
図書館ではNYTの記事を点検しましたが、読みたくなるような記事はありませんでした。かなり記事は溜め込んでありますので慌ててコピーをとる必要もなく手ぶらで“ときわ”に向かい、いつもの通りの鰯で一杯いたした。親爺から“毎日休みでいいねえ~”と一言いただいた。確かに五連休になっているし、ときわには一日おきに来ているなあ。

三月や道路工事の回り道(金子さと)

特に何をしたわけではないが、窓を拭けと言われて四部屋の四面の裏表を拭いた。この住居は三階で軒もはり出していて北側は廊下になっている。窓ガラスに直接雨風が打ち付けるわけではないので汚れも深くはない。

子の荷物運び出したる部屋の窓ソメイヨシノのつぼみふくらむ(田島千代)