「親父の小言 - 山藤章二」文春文庫 09年版ベスト・エッセイ集 から

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「親父の小言 - 山藤章二」文春文庫 09年版ベスト・エッセイ集 から

「お前さんは商売が下手だねぇ、古い物じゃ随分損をしてるよ」「俺が古いもんで損したのは、清盛のシビンと岩見重太郎のわらじだけだ」
ご存知、古今亭志ん生の「火焔太鼓」の一場面だ。夫婦の会話でこの古道具屋のランクがわかる。同じ道具屋でもキリの方は俗にゴミと呼ばれるガラクタや珍品を扱っている。
だいぶ前になるが私もその手の店で珍品を手に入れた。「親父の小言」という、小ぶりの額装をされた書だ。
題名を見たとき、どこかの親父が子供たちに言った小言を誰かがまとめたものだと思ったが、最後に筆者名が記されている。「相馬藩大聖寺暁仙僧正正為一家繁栄胎之」とある。なんだか偉そうだ。偉そうだが書いてある三十項目ほどの小言は平易であり、中身はそれぞれに含蓄に富んでいる。
しかしこうした単純な小言は、親父に充分な権威があった時代の遺物であって、現代ではおそらく通用しまい。いや、だからこそ古き佳き時代の親父の声として伝え残してゆきたいのである。
小言その一
「働らいて儲けて使へ」
そうなのだ、昔の日本人は儲けるために馬車馬のように働いた。儲けに重みがあった。
ひるがえって現代では、電子マネーバーチャルマネーになってしまった。机上のパソコンを操作することでとんでもないカネを稼ぐ種族がヒーローとなる。嘆かわしいことに子供たちにもその金銭感覚が伝播してゆく。
「カネ儲けって悪いことですか?」と公然と言う者がいた。悪いことなのだ。特に子供たちの労働意識や価値観にきわめて悪い影響を与えている。「働らいて儲けて使へ」、この言葉の持つ真の意味を子供たちに教えたい。
小言その二
「子の云ふこと八九きくな」
八九とは、十中八九のこと。子供のわがままをきくなと諭している。現在のような少子化の時代には、親はどうしても甘やかす。
もうすっかり見慣れた風景になったが、いまの子は所を選ばずゲームに熱中している。
そのゲームの中身の想像がつくのがテレビで流しているゲームのCMだ。そこで展開されている世界は驚くべきものである。
奇怪醜悪な生物や人間が次から次と現れ、ゲームの主人公はそれを破壊し殺戮してゆく血みどろの世界である。
幼いうちからこうした残虐行為に興奮を覚えた子供たちが、平凡な日常よりバーチャル世界に心を奪われるのは自然のなりゆきだろう。だから子供にゲームを与えない、十中八九に耳を貸さない親が必要なのである。
小言その三
「小商もの値切るな」
価格破壊という言葉を私は好まない。“弱いものいじめ”を連想させるからだ。
物には適正な値段というものがある。生産者、問屋、小売店、それぞれの労力に応じて利益を受けるのがまっとうな商いだろう。
大安売量販店(または百円ショップ)を覗いてみることがある。驚き、まさかと目を疑い、やがて胸がしめつけられる。この品がこんな値段で売れるわけがなかろう。そのかげでは低賃金労働者がどれだけ泣かされていることたろうと想像するからだ。
貪欲な客は常に不当な安値を求める。こんな下品な客に、「小商もの値切るな」の小言を呈したい。
小言その四
「借りては使ふな」
物を買おうとして、持ち合わせがないときは我慢する。これが正しい。買えるときが来るまで稼いで貯める。これが昔のひとの常識だった。
いまは我慢しない。ローン、金融、月賦、クレジット、名こそいろいろだがつまりは借金だ。この業界の繁昌ぶりはすさまじい。
前借りして手に入れた物はじきに飽きる。飽いても借金は残る。あとは砂を噛む思いで返済するのみ。物を得た喜びは短く返済の苦労は長い。「借りては使ふな」、真理である。
小言その五
「何事も身分相応にしろ」
日本を訪れた外国人が一様に驚くのは、若い女性たちの贅沢な持ち物、身なりだという。
欧米の女性たちは、自分たちの棲む階層に見合った身なりで街に出る。ところが東京の銀座や六本木あたりの日本女性は、どう見ても学生とか新人OLといった体で、超高級の装身具を持つ。
外国人は悩むそうだ。彼女らは貧乏人が金持ちの真似をしているのか、金持ちが貧乏人のなりをしているのかと。
ひざの抜けたジーンズに百万円もするバッグを携えた彼女たちは、「身分相応」という言葉をきかせてもせせら笑うだけだろう。ふと思い出すのは池田勇人元首相の「貧乏人は麦を食え」の言だ。この時代、妙に小気味よく響くのである。
珍品「親父の小言」で言っていることこそ、昔の日本人のたしなみ、人の倫[みち]を説いているもの、日本の庶民文化として後世に残したいと思っている。