「四十二の感動 - 出久根達郎」文春文庫 朝茶と一冊 から

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「四十二の感動 - 出久根達郎」文春文庫 朝茶と一冊 から

私が古本屋が好きで、いまだにやめずに続けているのは、本を売ることが好きだからである。本と名がつくものは、なんでも売ることができる。その自由さが好きだからである。
敗戦前(もう五十年も前だ)はそうじゃなかった。お上が売ってはいけない、と禁じた本は、売ることができなかった。売れば、両手が後ろにまわった。左翼関係の本が、それだった。
こっそりと、売る古本屋もいた。ご禁制の本は、当然、闇値があって、もうかる。金のためでなく、主義ゆえに密売した古本屋もいる。
戦後は、どんな本でも、おおっぴらに売れるようになった。風俗壊乱ナントカで発売禁止された本は、むろん売ってはいけないのだが、こういう処分というのは、いつまで有効なのだろう。古本屋は考えてしまうのである。
たとえばの話、昭和二十年代、三十年代は、エロものが大変に厳しかった。毎月何点かの雑誌が、おとがめを食っていた。それらの雑誌が現在、古本屋に入ってくる。どれが発禁対象の号か、そんなこと、わかりゃしない。店頭に並べてしまう。厳密には違法かもしれないが、違法と当人は思わないのだから、どうしようもない。かくて古本屋は、結局は客の判断にゆだねてしまう。
昔は、お上にとって古本屋は、目の敵[かたき]だった。何しろ、お上にとって都合の悪いことを書いた本を、堂々と売る商売なのだから。後世に残すべし、と確信犯のように活動する。お上には目ざわりであろう。
なんでも売ることができる古本屋だが、私の場合、エロものだけは扱わなかった。これを置かないと、郊外の古本屋は苦しい。
別に主義で置かないとのではない。私の小説を読んで下さる方は、うすうすお察しであろうが、私は人一倍、この手の本が大好きである。古本屋の店員時代は、「夫婦生活」だの「あまとりあ」「笑の泉」などという雑誌を愛読していた。下町の本屋だったから、売れ筋は軟派雑誌と大衆小説である。軟派の方は、当然ながら若い男性が多かった。
例外なく、恥ずかしそうに買って行く。店番のコツは、絶対に客と目を合わせないことである。それと、よけいな口をきかないこと。手早く商品を包んであげること、包装の際、客が買った雑誌を見ないこと、である。
売る方も、ドキドキしてしまう。無言で雑誌を袋に入れている時間が、とほうもなく長く感じられる。慣れないうちは手がふるえて、しばしば雑誌をカウンターから落としたりした。客の足もとに、落した。ああいう場合は、普通と違って、えらく大きい音をたてるものである。店内の客が、いっせいにカウンターを見る。
雑誌を買った客も私も、まっかになってしまう。私はいくつになっても、図太くなれなかった。自分が悪いことをしているようで、どうも、うまくいかなかった。
だから独立開業した時は、軟派は置かなかったのである。びくびくしながら商品を選んでいる客を、見て見ないふりをする店番は、人は知らず、私には相当つらいものだったのだ。
現在の客は、どうか知らない。顔を赤らめながら求める者が、果たしているのかどうか。
いたのである。こんなところにいたのか、と思わず微笑してしまった。おなつかしや、とあやうく走り寄る寸前だった。
『AV女優』(ビレッジセンター出版局・文春文庫)という本である。
私が走り寄ろうとしたのは、この本に登場する、AV女優たちではない。著者の永沢光雄氏である。
私は永沢氏とは面識がない。この本の、インタビュアーとしての氏の語り口に、往年の、軟派本愛好者の羞恥を感じたのである。
この本の成功は、いつに氏の、そこにある。シャイで、涙もろくて、古風で、まじめな常識人だからこそ、二十歳そこそこの彼女たちが胸襟を開いたのだ、と思える。どこか、おどおどしたオジサン(失礼)に、安心を覚えて、つい内輪のおしゃべりをしてしまったのだ。
本音を語った、という意味ではない。素[す]の言葉をつらねたのだ、ということである。
なんという名言に満ち満ちた本であろう。とても、二十代に踏みこんだばかりの女性の言葉とは思えない。それを言わせた永沢氏は非凡だし、書きとめた氏は更に只者[たた]ではない。
四十二人の女優が、自分の言葉で語っている。私は四十二冊の名作を読んだような、すがすがしい感動を覚えた。
たとえば次のような、セリフが出てくる。
「思うんだけど、ガンと離婚と名器って、遺伝なのね」(藤田リナ)
「(自分の母のことを)男を見る目さえあればねえ。結婚して子供を全部引き取るまでは偉いんだけど、母親という自覚よりも、まだ自分は女なんだという思いが勝つ人だったんですねえ」(風吹あんな)
「子供が知らなくてもいいことをたくさん知っちゃいました。それを知らないと思い込むことが自分が生きていくための最大の防衛策でした」(同)
「道を歩いていると、向こうから(町内の)死にかけのバアサンやジイサンがヨロヨロと歩いてくるでしょ。わたし、目がいいから、『バアチャン!』って手を振って走って行くと、『遠い所からよくわかったねえ』って喜んでくれるの。よし、今度はもっと遠い所から見つけて手を振ってやろう、なんて思ったりして」(日吉亜衣)
この優しさ。口は悪いが、表現は豊かである。
「でも、やっぱり東京の団地に帰りたかったなァ。下町の人間は、どんな人でも表情があったもん。貧乏人でも(ほとんど貧乏人なんだけどね)バカでも不良でもサラリーマンでもジイチャンでもバアチャンでも子供たちだって、みんななんか生きてるって顔をしてたもん。それが、埼玉の住宅地の人たちは無表情なの。お金は持ってるんだろうけど、イキイキしてないの。学校にはもちろん不良もいるんだけど、その不良も無表情なの。無表情の不良ってさ、恐いよね(笑)」(同)
何度も言うが、この怜悧[れいり]な観察が、はたちか二十一の女性と思えるか。
いや、彼女たちの顔写真を見て、納得。四十二人とも(顔を隠した者も何人かいるが)、皆、とても良い大人の顔をしている。
永沢氏も、実に良い顔をしている。良い本が生まれて当然だ。本書は、今年最大の秀作かも知れない。
読んでいてわかったことは、面白いインタビュー集は、インタビュアーが含羞の人であるということだ。それと、相手に媚びへつらわない、人の言葉に敏感であること、心の奥に志ん秘めていること。ひと口にインタビューというが、自分をこれだけさらけだすのである。