「帳面 - 串田孫一」ちくま文庫 文房具56話 から

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「帳面 - 串田孫一ちくま文庫 文房具56話 から

帳面というものは、落書を始めた頃から使い出したと思うが、それ以来約七十数年の間に、一体私は帳面を何冊ぐらい使ったろうか。学校時代にも多かったが、その後二十五年間教師生活をし、講義のためばかりでなく、自分の勉強に使った量も、考えてみると恐ろしくなる。その量に大体比例して悧巧になっていなければならない筈なのに、そうはゆかない。しかし帳面で想い出すことは幾らでもある。
中学時代のいたずら盛りに、学校の休み時間にこっそり教室に入って、友だちの帳面にメンソレータムのような油気のあるものを塗っておく。そうすると、筆記をしようと思っても、インキがのらない。そんなことを面白がったこともあるが、戦争中はだんだんに紙が悪くなって、今度はインキが染みてどうにもならない。中には吸取紙のようなものさえあった。それにインキも悪く、水っぽくなって、罫を無視して餘程大きな字を書いておかないと、読めなくなってしまった。
私は日記をずっと縱罫の帳面でつけていたが、その帳面が買えなくなり、細いペンで一つの罫に二行ずつ書いた。それがなくなったらもう書くものが手許になくなってしまう。それは寂しい感じだった。滅多に出しては見ないが、その頃の帳面は今も残してある。
途中ではあるが、私がノートと書かず、わざわざ帳面と書いているのは、大して理由があるわけではない。子供の頃からノート、ノート・ブックという呼び方は一般に使われていたし、もともと、明治の頃にドイツのマーヤ商会から輸入したものだというから、ノーテン・ブッフなどといわないまでも、ノートはノートでいいわけだが、私は帳面という言葉が好きで、スケッチ・ブックも画帳と書く習慣がついている。単に気分のことではあるが、それが案外大事である。
というのは、横罫の場合にはノートでもいいが、縱罫となると、ますます帳面の方がしっくりしている。ところでこの縱罫の帳面である。
昭和のはじめ、まだ戦争などのことを考えていなかった頃、縱罫の帳面を買うのにも困らなかった。安いものから上等のもの、薄い一帖綴のものから五帖ぐらいの厚いものまで、私の記憶では少し大きい文房具屋へ行けばいつでも揃っていた。
それが、先程も書いたように、戦争中に紙質が落ちて行っただけでなしに、入手が極めて困難になり、勤め先の大学から証明書を貰ってやっと買ったこともあった。その頃には帳面の種類など選ぶどころではなかった。
再び物が豊富に店先に並ぶ時代が来て、文房具店も賑やかになって来た。物が乏しくなって行く時の習慣が残っていて、帳面もつい五、六冊ずつ買ってしまい、数日後もっと上等のものを見付けて口惜しい思いをした。その頃に私は縱罫の、フールス版の実によい帳面を見付けた。こんないい帳面が出来るようになったのなら、もう平和が戻って来たと思った。
そしてその帳面のおかげで新しい勉強をはじめ、同じ日記を書くのにも張りが生じた。それ以来、小売りの店にそれがないと、製造元の会社まで出掛け、ほしがる友人のためにも買いに行ったり、送ってもらったりした。私はそのことを「白い頁」という題で放送し、たまたま聴いていた製造元の人から悦びの電報を貰った。
その縱罫の帳面が、まったくなくなったので、いつも通りに製造元から送ってもらおうとすると、需要があまりないので造らないことにしたと言われ、私は全く途方にくれてしまった。と同時に、都内の大小の文房具店を歩き廻って、それに代わるような帳面を探したが、どこにもなかった。
縱罫の帳面が全くないわけではないが、その種類は実に少なく、それが未だに不思議でならない。日本の文字は本来縦書きである。横にも書けるが、私は縦に書いているときと調子が変わって実に書きづらい。それは私だけではないと思うが、文房具店には横罫がさまざまの姿で並んでいるのに、縱罫は何とも寂しいありさまである。私は同じ縱罫の帳面を使って、六十七冊目まで進めてきた勉強をやめてしまいたくなった。
大量ならば注文に応じて造ってもいいということなので、頼もうかと思うが、ばからしいような気もして迷っているところである。私は決して贅沢をいっているつもりはないが、いわば帳面は私の商売道具であるから出来ることなら気持のいいものを使いたい。
しかし、縱罫の需要が少ないということで、世の中の移り変わりが分かるような気もする。と同時に物は豊富でありながら、本当に欲しいものの買えない時代だとも思う。