8月25日日曜日
涼やかな風がふいている午前中に調味料を買いに生協へ出掛けた。
途中、自販機で灰皿代わりの缶珈琲を買いベンチで一服いたした。気持ちのよい緑でありました。
が新聞に角川俳句本日発売広告が出ていると教えてくれましたが、即日に図書館に配本されることはないだろうと思う。
が朝日俳壇を渡してくれた。
童めく夫と草引き捗(はかど)らず(中山倫子)
を書き留めた。呆ければあたしは楽になるだろうがに迷惑をかけるからこれは頂けない。
今日も洗濯日和で通勤用のチノパンを洗濯した。客先を訪問するとき以外はカジュアルであります。今年は冬場もカジュアルで通そうかと考えてます。
「月並礼讚 - 飯田龍太」中公文庫 思い浮ぶこと から
重いものは読みたくなかったので、これにいたした。矢鱈と難しい字句を使っていますが.....という読後感です。
“ もっともこのうち、万太郎を月並出自とするのはやや牽強附会のきらいがないこともないが、十二世雪中庵増田龍雨との交渉をみても、その俳風に一貫して流れる余技の詩情からしても、あきらかに子規以前の俳風を継ぐものである。
川端茅舎には、その父寿山堂の影響が終生つきまとった。彼の芸境を考えるとき、この点を除外してはなるまいと思う。虚子はその句集に「花鳥諷詠真骨頂漢」の語を冠したが、その諷詠に含む馥郁靉靉とした余裕と、高雅なおかしみは、単なる写生の徒でないことを証していると同時に、これまた万太郎と同じように、古俳諧に連綿する遊びの精神を体したものといえる。”
飯田龍太氏は1920年生2007歿。
俳人には長命の方が多いようですが、長生きが嫌になっても死ねずに、仕方なく生きている(いた)方もいるようです。
こときれてゐればよかりし春の夢(上田五千石)
潔き死ならば死ぬ冬旱(茨木和生)
目覚めるといつも私が居て遺憾(池田澄子)
死にぎはの恍惚おもふ冬籠(森澄雄)
など。
俳句は思っていることをサラッと伝えてくれますね!