2/3「第五章 「西寒川線[にしさむかわ]」・清水港[しみずこう]線・岡多[おかた]線・武豊[たけとよ]線・「赤坂[あかさか]線」・樽見[たるみ]線 - 宮脇俊三」河出文庫 時刻表2万キロ から

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2/3「第五章 「西寒川線[にしさむかわ]」・清水港[しみずこう]線・岡多[おかた]線・武豊[たけとよ]線・「赤坂[あかさか]線」・樽見[たるみ]線 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表2万キロ から

その月末、昭和五一年四月二十六日に、岡多[おかた]線が新豊田まで開通した。岡多線は、東海道本線の岡崎から豊田市瀬戸市を通り、中央本線の多治見までを結ぼうとする線である。この開通によって私の未乗区間は一本増え、六一になった。
東海地方には清水港線、名古屋の手前の大府[おおぶ]から南へ分岐する武豊線、大垣からの樽見線、おなじく大垣からの枝線「美濃赤坂線」の四本が未乗のまま放置されている。いかにも灯台下暗しのようで気になってはいた。しかし岡多線の開通が近いらしいので、いっそ五本ひとまとめに日帰りで処理しようと、その機を待っていたのでもあった。
岡多線の開通日四月二六日は月曜日なので、二九日の祭日に実行する予定であったが、前夜の行状のせいで朝の四時半などにはとても起きられず、私は珍しく日延べをした。こんな早起きを強いられるのは清水港線のためである。
清水港線は、清水から三保の砂嘴によって囲まれた湾岸を釣針状にぐるりと回って三保に達する八・三キロの臨港線である。貨物専用と言ってよいような線で、もとから旅客列車の運転本数は少なかったが、だんだん減らされて一日一往復になってしまった。一日一往復しかないのは全線区中この清水港線のみで、その方面では国宝級などと言って珍重する人もいる。
下り列車は清水発8時11分、上りは三保発16時14分であるが、上りを利用しようとすると、東京起点の日帰りではそれまでに名古屋周辺の四線に乗り終えることができない。下りの8時11分ならば、東京発6時04分の「こだま」の始発ででかけて静岡から清水に戻れば間に合うし、あとのスケジュールもうまくいく。
五月二日、日曜日の朝五時前に家を出た。連休中でもあり「こだま」の始発は早起きの人たちで混んでいて、静岡まで立った。在来線の電車ですぐ引き返し、8時03分に清水に着く。
しかし、目指す清水港線の乗場が見当たらない。ホームにいた助役に訊ねると親切に教えてくれたが、発車まで八分もあるのに「急いでください」と言う。教えられたとおりに、まず長いホームの静岡寄りの末端までゆき、そこから地上に下りると、輻輳する貨物線の間に操車係りしか歩いてはならぬような道があり、それを進んでゆくと構内の踏切があって遮断機が下りていた。貨物列車がどっかと停まっていていっこうに動く気配がないので、いつ通れるのかわからない。ひとかたまりになって待っている一人に訊ねると、「もうすぐ開きますよ」と落ち着いている。
まもなく貨物列車が移動して踏切が開いた。待っていた人たちと一列に並んで、また貨物線の間を歩いてゆくと簡素なホームがあって、そこに清水港線の列車が待っていた。もっとも、同乗の人たちといっしょでなかったら、私は貨物列車かと思ってうろうろしたかもしれない。なにしろこの663列車の編成はディーゼル機関車を先頭にタンク車、客車、そのあとは貨車ばかりなのである。混合列車に乗るのはひさしぶりであったが、車内は東海大学の運動部らしい学生の集団で満員であった。
発車すると、魚市場、冷凍倉庫、製油工場、罐詰の町工場の間を、貨物列車らしくゆっくりと進む。このあたりの罐詰工場は
冬はミカン、夏は魚を詰めるという話である。灰色に濁った巴川を渡り、左へ九〇度以上カーブすると折戸[おりど]で、すぐ左の海面に広い貯木場があった。
折戸から先きは住宅地となり、家庭菜園に移植したばかりのナスやトマトの苗のようすを観察しているうちに、列車の速度はますます遅くなり自然に停車した。もちろん制動をかけたのであろうが、油が切れて停まるような感じで、そこが終点の三保であった。
上り列車は夕方までないから、バスで帰ろうと駅を出ると、ここでも犬に吠えられた。脂くさい学生服がぞろぞろ降りたのに、私に向かってだけ吠えている。犬というのはよほど閉鎖的な動物なのだろう。さいわい小さな奴だったので、かなり接近してきたが無視し、昨夜来の雨で水溜りの多い駅前や小路を抜けてバスの通りへ出た。清水行のバスは頻繁に運転されており、停留所も街角ごとにあって、とても国鉄のかなう相手ではなかった。ただし所要時間は、八・三キロを二五分もかかった混合列車より余計かかった。

清水から在来線の電車で静岡へ行き、新幹線に乗り継いだが、これも混んでいた。きょうは朝から坐ったことがない。豊橋で在来線に乗換え、岡崎に着いたのは11時45分、岡多線の新豊田行は12時13分である。駅には「祝岡多線開通」の飾りつけがされていて、花やいだ気分になる。
岡多線の開通区間は一九・五キロで、途中八・七キロ地点の北野桝塚[きたのますづか]までは自動車積出し用の貨物線があったが、こんど新豊田まで延長して客扱いをはじめたのである。
岡崎の駅は市街の中心部から四キロほど南にあるので、岡多線の電車は、しばらく走ってから岡崎城跡の繁みや復元天守閣を右に見る。矢作[やはぎ]川を渡ると北野桝塚で、左手に広大な自動車の輸送基地があり、乗用車を八台ずつ積んだ二段式の貨車が延々と連なり並んでいる。こういう貨車を車運車といい、貨車のなかではいちばん長くて二〇・五メートルもあるそうだが、それにしても貨車に積みこまれた自動車というのは、さまにならない。しかし、身柄を国鉄に預けたような殊勝な格好で全国の販売所まで運ばしておいて、いずれは国鉄の敵になるのだから、ちゃっかりしている。
最近の新線は道路とは立体交差で建設されるから、平野部では高架になる。乗っていると新幹線が徐行しているような錯覚をおぼえる。アドバルーンをあげた新しい百貨店などのある豊田の町が右窓に近づいてくるのを高架上から眺めているうちに、12時40分新豊田着。駅も新幹線のをやや小型にしたような立派なものであった。