「第1章 神岡線・富山港線・氷見線・越美北線 - 宮脇俊三」河出文庫 時刻表2万キロ から

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「第1章 神岡線富山港線氷見線越美北線 - 宮脇俊三河出文庫 時刻表2万キロ から
 

鉄道の「時刻表」にも愛読者がいる。
時刻表ほんらいの用途からすれば、愛読の対象となるべき書物ではないが、とにかくいる。しかも、その数はすくなくないという。私もそのひとりである。
真底からの愛読者となると、旅行などいっさいしない。生まれ故郷から一歩も外に出なかったカントのような趣があるから、もっとも純粋な愛読者であろう。それにくらべると私たちなど、時刻表を眺めていると汽車に乗りたくなってしまう質だから、純度は低い。しかし、毎月、新しい時刻表が発売になると、その晩は何時間も読み耽るから、愛読者にはちがいない。
そういうわけで、ときどき「時刻表に乗る」ための旅行に出かけていた。

時刻表のおもしろさは幹線にある。特急・急行・快速・各駅停 車などが過密ダイヤでひしめき合い、抜きつ抜かれつの混線状態を呈していなから、それぞれの列車には起承転結があって、えもいわれぬものがある。その点、ローカル線や私鉄は、ダイヤも車両も運転も単純で、あまり興味をそそらない。だから、私の時刻表旅行は、ほとんど国鉄の幹線ばかりであった。
ところが十五年ほど前、行ったことのない都道府県がひとつもなくなったのを機に、それまでに乗った国鉄の線区のキロ数を足し算してみた。一万キロを少しばかり超えていた。これは当時の国鉄の旅客扱い線区の、ちょうど五〇パーセントに当たっている。北海道から九州までひととおり乗ったつもりだが、まだ半分にしかならないのか、と私は思った。
それいらい、折があればローカル線にも乗って みるようになり、昭和四六年の九月には一万五千キロに到達した。これは全線の七三パーセントである。しかし、そのころまでは、全線に乗ろうとは考えもしなかった。それは霞の奥のことで、できるなら九〇パーセントぐらいは乗ってみたいと思っていたにすぎなかった。
言うまでもないことだが、全線の七三パーセントに乗るのと、残った二七パーセントに乗るのとでは、手間のかかる点で比較にならない。特急の走る便利な線区だけで四五パーセントぐらいは簡単に乗れるし、急行の走る線区まで加えれば七〇パーセントは超えるだろう。問題はそこからで、一日数往復しか運転しない盲腸線などを、こつこつと能率わるく踏破してゆかねばならないのである。
いったいどれだけ残っているのかと調べて みると一六〇線区もある。少ない数ではない。中には清水港線のように一日一往復しかないのもある。未乗区間はすべて赤字線であるから、せっかく乗ってもいつ廃線になるかわからないし、逆に少しでも延長されれば起点から乗りなおさねばならない。だから、全線完乗は手間のかかるばかりか、馬鹿らしいことでもある。ああいうことを目指すのは目玉の据った狂信者や完璧主義者のやることで、とても私の体質には合わない、と思っていた。
しかし、ローカル線は乗ってみるとおもしろい。私はしだいに熱心になり、昭和五〇年の正月休みに南九州で一万八千キロを超え、残存区間が二千七百キロになったころには、全線完乗を目指そうと心に決めていた。

そのような経過で国鉄全線乗りつぶしを志す にいたったけれど、私はもう若くはない。小学校時代に東海道本線の駅名を暗唱し合った連中も、いまではグリーン車におさまって書類に目を通したり居眠りしたりする地位になっている。いい齢をして相変わらずの鉄道ごっこでは自慢にもならないから、私はなるべく黙っていた。そして、暮夜ひそかに時刻表をひもとき、計画を練っては、ときどき出かけていた。日帰りの場合もあるが、当然外泊も多くなる。熱心になるにつれて頻度が高まってきたから、しだいに露顕してくる。休日でも仕事の関係で電話ぐらいはかかってくるし、月曜日には夜行帰りの精気の抜けた顔つきで出勤していることもあるだろう。誤解されないためにも、すこしずつ白状することになる。こうなってくると、
「もうどれだけ乗っ たか」
「残っているのはどの辺か」
といった質問がやってくる。
「完結したら、ひとつ盛大な祝賀会をやりましょう」と、激励とも揶揄ともとれる言葉を頂戴することになる。こちらとしても、やり遂げねば格好がつかなくなってくる。
私は、国鉄の運賃を高いとは思っていないが、たくさん乗れば費用がかさむ。グリーン車などに乗る必要はないが、寝台は上等なのに乗りたい。窮屈な三段式では頭がつかえて、お酒がのみにくい。前かがみで無理にのもうとするとシーツの上にこぼれるし、のけぞってのむと襟元に流れこむ。
ところが、A寝台を奮発して翌日六〇キロばかりの未乗線区を片付けても、国鉄全線の0・三パーセントにしかならない。金と時間のかかることなのである。そう気安く「 まだか、まだか」と督促してもらいたくない。
国鉄全線完乗はあなたが考えるほど簡単なことではないのである、あなたはよく大阪へ行かれるが尼崎港駅という国鉄の駅があることを知っているか、そこへの線には一日二本しか列車が走っていない、自分もまだ乗っていないが、などと説明や弁明をしていると、だんだん自己主張のごとくなってくる。問われもしないのに、つい余計なことを言うようになる。ある旅行家に「もうじき二万キロになるのですよ」と言ったら、
「証拠になるものはとってあるの?」と聞かれた。
「証拠ってなんですか」
「写真とか切符とか」
「そんなものはありませんよ」
「ないのですか」
「自分自身のためですから」
「なるほどね」
私は憮然とした。なるほ ど、のあとの、ね、がひっかかる。証拠など考えてもみなかったことである。変なことになってきた、と私は思った。
心優しい人もいる。金曜日の夕方、会社の退けどきに旅装をととのえていると、「今晩は何時の汽車ですか」と声がかかる。「八時二四分の新幹線」「それまで付き合いましょう」もちろん、ちょっとお酒をのむのである。
私のほうから声をかけることもある。「今晩は八時五一分の上野発に乗るから、それまでみんな付き合え」こんなふうに威張って言うわけではないけれど、それに呼応する人が何人かいて、待ち時間を楽しく過ごさしていただけるのは有難いことである。
だいぶお酒がまわってきて、
「こら、汽車なんかに乗るのはやめちまえ、もう一軒いこう」と肩に手をかけられ ると、心がうごく。寝台券の一枚ぐらいフイにしてもと思いかける。が、一度もそのような仕儀にはならなかった。