「ビートたけし - 天野祐吉」ちくま文庫 バカだなア から

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ビートたけし - 天野祐吉ちくま文庫 バカだなア から

広告批評』という雑誌を創刊して、十年近くになる。正直に言うと、こんなに続くとは思ってもいなかった。あと何年もつかも、はっきり言ってわからない。
創刊号は、三千部くらいしか売れなかった。そのうち少しずつ売れるようになるだろうと思って作っていたが、一年たっても五千部にならない。われながら呆れ返って、もうやめてしまおうかと思っていたとき、ある人が『朝日ジャーナル』でツービートを叩いているのを読んだ。もう中身は忘れてしまったけれど、老人やブスをコケにしているツービートは弱者を差別しているとか、彼らの笑いはファシズムに通じるとか、そんな感じの批評だったように思う。
これが、ぼくにはカチンときた。当時全盛をきわめていた“マンザイ”ブームのなかで、ぼくはツービートだけをホンモノと信じ、テレビ桟敷から熱烈な拍手を送っていたからである。
で、ぼくはとつぜん、『広告批評』でツービートを特集しようと思い立った。いまはまったく様子が変わってしまったけれど、それまでの『広告批評』はどちらかと言えばお堅い雑誌で、筆者も学者や作家のような人たちが多い。その雑誌がとつぜんツービートを特集するというのは、かなり思い切った方向転換だったと言っていい。
この特集が当たった。「ツービートなんかを大マジメに特集しているヘンな雑誌」ということで、広告業界の外の人たちが、『広告批評』を買ってくれるようになった。この「ツービート特集」と、その四カ月後に出した「タモリ特集」で、五千部に手が届かなかった『広告批評』が、スルスルと一万部をこえてしまったのである。「あ、そうか」と、ぼくは思った。何が「あ、そうか」なのかは自分でもよくわからないが、雑誌というのは“いま”を呼吸していなければ商品にならないんだナという感じが、自分なりにつかめたのだと思う。
ぼくとしては、それまでの号にも愛着がある。内容の密度とか、雑誌づくりの完成度という点では、むしろ高かったのではないかとさえ思っている。が、質の高さも大切だが、“いま”という時代といきいきした接点を持たなければ、雑誌は雑誌としての存在理由を持ちえないということを、このときにぼくは、改めて思い知らされた感じがする。
 
この特集で、ぼくたちはツービートにロング・インタビューを試みた。いまでこそ、いろいろな雑誌がタレントのロング・インタビューをのせているが、当時はそんな試みはまったくなかったように思う。エライ人は別として、テレビ・タレントの談話は雑誌にのってもせいぜい一ページが二ページで、それも芸能ウラ話ふうの談話に限られていたような気がする。
が、ぼくたちは、ツービートのインタビューに特集の半分近いページをさいた。貧乏雑誌だから予算がなく、聞いた話はぜんぶのせてしまおうというセコイねらいもあったけれど、人の話をつまんでのせるという雑誌のやり方が、どうもぼくらには合点がいかなかったということがある。
それができたのは、ツービートの話がそれだけ面白かったからだということもある。が、なんにせよ、ページのワクなんかにとらわれず、面白い話はぜんぶのせてしまおうという方法を、ぼくたちはこの特集で自分たちのものにすることができた。
当時、ある先輩から、「広告批評のインタビューは長すぎるんじゃないか」と忠告されたことがある。読者というものはそんなに忍耐強いもんじゃない、もっと写真やイラストをふやしてビジュアルなつくりにしないとソッポを向かれてしまうぞ、というのがその人の意見だった。
たぶんそれは正しい意見なのだろうと思うけれど、正直に言ってぼくたちは、読者がどう思うかなんていうことは、まったく考えたことがない。自分自身が面白いと感じたことを、自分自身に正直にやっていくことしか、ぼくたちにはできないし、それでみんなにソッポを向かれたときは、たぶん、雑誌をやめるときなんだろう。
 
特集のおかげで、たけしに会っていろいろな話が聞けたことも、ぼくにとっては大きな収穫だった。「典型」というのは、どこにでもいそうでいない人のことだが、ビートたけしはまさに「野次馬」の典型だと、ぼくは思っている。ついでに言えば「野次馬」とは、もともと「飼い馴らしにくい馬」のことである。権力にも金力にも飼い馴らされることなく、ぼくたち庶民が言いたいと思っていることを、機知に富んだ表現で言いつづけているたけしは、「野次馬」の純血種だと言ってもいいんじゃないだろうか。
そんな彼の魅力は、テレビを見ているだけで十分にわかる。が、会って話を聞けば、それなりにハッとするような発見がいっぱいあって、ぼくは大いに刺激された。この特集をしたあとも、彼には何回か会って話を聞く機会があったけれど、そのたびにぼくは笑いころげながら、さまざまな刺激を受けつづけている。
こんな思いができるのも、編集者の役得というものだろう。たけしに限らない、谷内六郎さんに会えたのも、久野収さんや内田義彦さんのような方に会えたのも、谷川俊太郎さんや糸井重里さんや、ぼくがスゴイなアと思うたくさんの人たちに会えたのも、すべては編集者の役得である。
前にも書いた通り、もともとぼくは人見知りのひどい人間だった。そのぼくが、人に会うことをそれほど苦痛に思わなくなって行ったのは、職業上の馴れもあるとは思うけれど、やはりあってくれた人たちの魅力に負うところが大きい。
その過程でぼくが気づいたのは、人に会うことは新しい言葉に会うことだ、という事実だった。ダメな人はダメな言葉しか持っていないが、スゴイ人はやはりスゴイ言葉を持っている。「面白い」というのは「目の前がパッと明るくなること」だそうだが、ぼくはスゴイ言葉に会いつづけることで、面白い体験をしつづけてきたことになる。
で、つくづくかんがえてみれば、その一つ一つが、ぼくにとってはかけがえのない体験であり、その一つ一つが、ぼくにとってそれぞれに「転機」になっている。転機というのは、大地震のようにある日とつぜん襲ってくるものではなく、きっとぼくたちの日々のなかに、いくらでもひそんでいるものなんだろう。
その一つ一つを、自分なりに転機としてとらえていくことができるかどうか。そのことで、どうもぼくたちは、運命に想像力をためされているんじゃないかという気がする。
(とらばーゆ、85・3・15)