「眠れぬ夜 - 大佛次郎」日本の名随筆34老 から

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「眠れぬ夜 - 大佛次郎」日本の名随筆34老 から

若い人達の一度横になったら醒めない深い睡眠は如何にも健康で頼もしいものである。私達の年齢になると、夜なかにふとした工合[ぐあい]で目が醒めて了い、睡たくても暫く睡れないことがある。
起きて、あかりをつけて本を読み始めればいよいよ目が冴えて睡れなくなるのだから、私は暗闇の中で、じっとしていることにする。何かを考えているのである。悪いことには、そう云う時は、自分がして来たことで、しまったなあと思った悪いことばかり泛[うか]んで来て、自分を責めることが多い。つくづくと自分が馬鹿に見えて来たり不勉強で出来の悪い人間に思われて来る。自分に在る欠点ばかりが見えて来るのである。そう云う眠れない晩は、つらい。五十何年も生きて来て見ると、実に数多くの失策や、しなくてもよかった軽率なことをしているものである。これは私だけのことだろうか。
ほかの時には、もう死んでしまった友人のことを考えることもある。二十年も前に別れた両親のことを思い出すこともある。また、自分のまだ小さかった頃のことを、記憶をたどって見ることもある。人間のさまざまの思い出は、年とともに遠ざかりがちのものだ。赤ん坊の時分は何もかも夢中で暮らしていたと見えて、記憶の痕跡が残っていない。私の思い出で一番古いものは、五歳ぐらいの時のものであろう。それも普通で平凡な日々のことは忘れて了って、特別な出来事のことだけを覚えている。躯が弱かったので健康法として無理に灸をすえられたことだの、使いに行く女中に附いて行って煉瓦の道で転んで、おでこを切って血が流れ、近くの八百屋の店で銅[あか]のかなだらいに水を貰って洗ったり冷したりして、無論、大泣きに泣いていたことだのである。怪我をしたと云うような特別な事件だったから、現在もよく覚えているのだろうが、その八百屋の店にあった人参や菜っ葉の色まで、はっきりと、頭に残っている。正月にすぐ上の兄が家の前で凧を揚げてくれたのが門松の竹にひっかかりそうに成るので、母親の口真似だったろう、思わず、南無阿弥陀仏と云ったら、馬鹿と云って兄に叱られて、子供ごころにひどく羞しかったことも覚えている。気が弱く生れていたせいか、稚ない日の記憶で今日まで残っているのも、自分を羞じたり泣いたりしたことばかりである。面白かったと云うことや楽しかったと云うことは、妙に、覚えていない。これは、その後についても同様である。暗闇にひとりで目醒めて起きていると、思想も夜の色に染って了うせいだろうか。悔やむことや羞じ入ることの代りに明るい記憶ばかり泛カんで来るのだったら、睡れぬ夜も如何に楽しいことだろうか。
自分の手がけている劇作の仕事や、勉強の計画のことだけを思い詰めて起きている晩もある。その時は、流石[さすが]、苦しいにしても気力が静かに湧いて来るのを覚えていられる。窓の外がいつか白み始め、近くの鶴岡八幡の暁の太鼓を打つのを聞くまで、目をあいていることもある。雀が喋[しやべ]り出で、朝日が、松の枝の高いものから順に照らし出す。新聞の配達らしい地面を走る足音が路地を入って来る。夜は立ちのいて行ったのである。しかし、仕事も勉強も、志[こころざ]すどおりに押しとおす為には怠りがちの自分に鞭打たねばならぬ。これは昼間のことである。睡れぬ夜を楽しくする為に光のある昼の間を悔いなく生きねばならぬ。そう思いながら私は怠けたり、ぼんやりと庭を見て坐っている。